2022年6月11日土曜日

自分のことを客観視しないから人は生きていける

 実は先日,仕事がらみでテレビカメラに写ったのだけれど,たぶん,オタク特有の早口でしゃべる 100 kg 超のデブが写っている映像なので,そんな現実は直視せずに生きていたい私は,その映像を見ることはないでしょう(そもそもテレビ持っていない).

なお,すでに放映は終了しているので,たまたま見た人以外は,見ることはないはず.

しかし,テレビに映る仕事の人って,常に自分(の仕事)を客観視しながら生きているって考えると「すげーな」と思う.

2022年6月7日火曜日

マジレス禁止にマジレス

結末が失われた物語は,そのままが美しいのか,不完全な補完が必要なのか,と問われたら,私は,圧倒的に前者を支持する.

「ベルセルク」の連載再開について.

まあ,失われてしまった作者の構想ノートをマンガ仕立てにして発表する,ということでしかないので,それについて,是非もなにもない.ただ,それがどんなかたちになったとしても,失われてしまったモノを強調するだけでしかないのは事実で,だからこそ,やらない方が良いんじゃないの,と思っている.

みんなが見たかったのは,三浦建太郎先生が画き切った「ベルセルク」の完結であって,そうではない形で示されたプロットの確認がしたいわけではないのでは?

……まぁ,出たら読むけれど……と書きかけたけれど,やっぱり,読まない気がする.

2022年6月1日水曜日

相似な事象

 10数年前から観測されているけれど,ここ数年に顕著になった事例のひとつに「ファスト映画(※)」がある.映像の n 倍速再生とかも,この仲間かな.

※大前提である著作権侵害とかの部分は,今回の話と関係ないので,とりあえず置いておく.

私は,バックボーンとして元映画オタで,映像作品が大好きなので,そもそも,単にあらすじだけを追いかけるようなコンテンツ消費とか,n 倍速して「作られた時間」を無視するような視聴姿勢などを理解できないし,いかなる理由でも賛同するつもりは一切ないです.別に,そういう人と喧嘩する気はないけれど,根本的な思想や宗教が違う人なんだと思います.

ただ,よく考えると,近年になって動画編集技術が簡易化したり,機器に n 倍速再生機能が標準化したことで,いわば「要約」「時短」界の最後の牙城だった映像コンテンツが要約できるようになってきたので,こういう議論が沸き上がっているだけだよな,と最近になって気付きました.

昔から,相似な事象はいっぱいあって,はるか昔から長編小説のダイジェスト版みたいなものはあったし,様々なジャンルで「n 分で完全理解」みたいなものはベストセラーになってきたわけです.もう少し広げると,例えば,音楽を聴いているときに主旋律やボーカルの歌だけを聴く人とか,絵を眺めているときに背景知識などに一切興味を持たずに絵面だけを眺めて通過してしまう人なども,対象とする媒体は違っても,全体を構成するもののなかで目立つものを消費して終わるという意味で,同じ種類の人で,それらは古くからいるし,誰もがなにがしかのジャンルにはそういう態度を取っている面があるのだなと気付きました.だって,例えば,ほとんどの人は,その辺に落ちている適当な石ころを眺めて楽しむこととかできないでしょ?(私は地質の知識があるので,かなり楽しめる)

まぁ,そういった触り方しかする気がないジャンルに,わざわざ手を出す理由も分からないし,あらゆるものに対して触ることくらいしかしない人は,最早,理解の外だけど.