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2023年2月26日日曜日

最近の私,と趣味の話

なんか,しばらく書いていなかったのでぼちぼち近況を.

基本的には,なにも変わっていない日々を過ごしておりまして,特筆すべきことはないといってしまえばなく,そもそも,この稿を書き始める意義すら失われるという.

変わった,といえば,多忙すぎてアニメを見なくなってしまったという点が挙げられるかも.最近だと,リコリコとぼっちくらいしか見ていません.百合好きだからリコリコ見てるのか,と思われるかも知れないけれど,個人的にはあの二人はそこまで琴線に触れなかった.ただし,虹ぼは正義.

来期は,原作を追っている僕ヤバと放課後インソムニアがやるので見るかも知れないけれど,どっちも原作の雰囲気が好きな作品なので,アニメとして見たいかというととっても微妙.特にのりお作品は,過去に大失敗しているしなぁ.そして,インソムニアも,白丸先輩は正義であることを表現しきれるとは思えない.

2022年5月25日水曜日

シン・ウルトラマン

世代的にはまったく「ウルトラマン」直撃世代ではないんですけれど,子供の頃,再放送でみていたウルトラマンが大好きだった人です.ほかの特撮に,さほど思い入れはなかったし,一部を除いて(※),覚えてもいないんだけれど,ウルトラマンだけは好きだったんです.不思議.

(※仮面ライダーでいえばBlack~RX 世代,リアルタイムにウルトラシリーズはない時代なので,特撮的には谷間世代)

で,まぁ,「シン・ウルトラマン」をみてきたわけです.

……なんだろう.知ってはいたんですが,この映画,なんかダメでした.どこがどうダメかとか,具体的にいいつのることはできるんだけれど,そういうことをする気も起きないくらいダメ.たぶんだけれど,制作陣と私の間のウルトラマンとか科特隊とか怪獣とかに感じていた「カッコよさ」が根本的にズレているんだろうな,という感じ.

私は子供時代に「ウルトラマン」を子供として楽しんでいたきりだったのに対して(※※),一定程度に成熟した後にも「ウルトラマン」を繰り返してみていた特撮オタクとの差なのかな,と.

(※※子供時代とはいえ,何度も録画をみていたし,記憶力がいい子だったので,いまでもストーリーの詳細を思い出せる程度には覚えている)

ちなみに,同行者が,「ウルトラマン」を全く通ったことがない人だったけれど,私みたいに「ダメ」「肌に合わない」ってほどの拒否感はなさそうだったけれど,「普通」「特段,面白いと思わない」くらいの感じでした.なお,帰り道で映画のネタ元というか,原作の話をしたら,「旧作をみたくなった」とのことなので,旧作のプロモーションムービーとしては意味があったのかもしれませんね.

2021年6月8日火曜日

きめつ考

 もうそろそろ,話題に上がることがなくなってきたし,逆に,アニメの 2 期が始まって話題が再燃する前の時期だし,いいタイミングかなと思って「鬼滅の刃」を読みました.読む前から,想定していたのは,「たぶん,これだけ人気になるんだから,普通に面白いんだろうけれど,(読書体験として)面白いだけなんだろうな」という感想になるであろうことで,そもそも,「少年漫画的なもの」が肌に合わない自分には向かないマンガであることは自覚がありました.

で,読んでみた.(※アニメはみていない)

読語の感想としては,事前に想定していた通りで,「面白いマンガではあった(=読むのに要したコスト分,面白かった)」という以上のものはなかったのですが,マンガ自体の面白さと別なところで,「物語」の無さに驚きました(※批判ではないです).

まず,「鬼滅の刃」自体が,23 巻もあるわけだけれど,その全体でプロットが 5 つくらいしかないうえに,それが一本の線のうえに並んでいるだけなことが,最も衝撃的でした.元々,少年漫画的なものに馴染まないうえに,年齢的にも,最早,最近のマンガの潮流においていかれている自覚はあるのですが,ここまで「物語」がアッサリしたストーリーマンガというものを経験したことがなかったので驚きました.たとえるなら,(今となっては)初期の,面白かった頃の「One Piece」を何倍も薄めたようなアッサリさ(※どちらのマンガについても批判ではないです).

※例えば,「○○の呼吸 ○の型」とか,読む前は,「修行をしてどうこう」とか「キャラに見合った形質が現れる(ex. ハンタの念)」みたいなものかと思っていたけれど,自分がなにか読み飛ばしたのかと思うくらい唐突に,なんの事前情報もなく,いきなり技を出してきて驚きました.

※もう一例.読む前は,恋柱のおっぱいの子とか花のポニテの子とか,すごい主要キャラなのかと思っていたら,ただのちょい役のサブキャラ程度しか露出がなく,アッサリとしか書かれていないのも驚きました.猪と雷との絡みも,ほとんど描かれていないのに,いつの間にか盟友みたいになっている,とかもそういう例.

このマンガの持つ,こういったアッサリとした「質感」は,個人的には,斬新で,面白い(interesting のほう)と思いました.

もうひとつは,そこまで斬新な手法というわけではないですが,キャラクターの造形について,大して深掘りはしないけれど,わかりやすい程度に類型化した「物語」を付与するやり方は,このマンガの大きい特徴かなと感じました.また,先述した物語のアッサリとした「質感」と「キャラ造形」に共通するものとして,「少年マンガのお約束」の多用によって故意に物語を省略する手法も目立ちました.「お約束」の共有によって,書かない部分は書かない(例:一回,共闘のシーンを書いたから,もうこいつらは盟友!みたいな).

何が言いたいかというと,二次創作や妄想のための部品の展示市のような作品だなということです.

そういう目で見ると,東浩紀が「動物化」のころに「エヴァ」を評して,「物語を薄くすることで読者の妄想の材料(情報)を大量に集めた作品で,これらの材料をもとに読者が妄想を膨らませたから成功した(かなり意訳)」と書いていたような知見に近いかもしれないです.作品を読んで,読み手側が妄想し,作品に反復することで,書かれているテキストと絵以上の楽しみ方ができるという点は共通していそうです.ただ,「鬼滅」については,明らかにエヴァのような衒学的な情報過多状態ではなく,非常にアッサリとした「質感」の物語に,妄想するための余地や空間をたっぷりとっている作りを感じます.そういう点で,「鬼滅」は,「日常系」と言われる一群に近い,その進化形なのかもしれません(注).

注:「エヴァ」が物語の喪失という表象とすると,その更なる発展が「日常系」に見いだせて,薄いとはいえあった「物語」という土台すら取り去られている世界観が現れる.そういった「物語の喪失」の極地を越えて,もう一度,「物語」を薄く再導入したようなイメージ.(「日常系」考は,昔どっかで書いた気がするので,ここでは書かない)

10年くらい前から,マンガやアニメの作り手が,マンガやアニメだけを見て育ってしまった論というのが流行りだけれど,「鬼滅」の作者が,そういう出自だとすると,このマンガの持つ「質感」が,そういった世代の作り出した,ひとつの結論なのかもしれません.

あとは蛇足な余談ですが,多分だけれど,アニメは,こういう「余地の部分」を埋めるような描写がある「二次創作」的なものになっているのではないかと思いますが,それは,このマンガの「質感」を下げる作業だと思います(見ていないので,ただの想像).そういう意味では,アニメのほうは,ほぼ無価値かなと思います.世間の評価的には逆なんだろうけれど.

2020年8月1日土曜日

平成という時代の個人史

そろそろ誰も平成がどうとか令和がどうとか言わなくなった頃なので,少しそんな話を.

私くらいの年代(30代半ば)は,平成という時代に育ち,平成という時代を最初から最後まで見ることができた一番若い世代だと思う.物心ついた頃に,昭和末期の空気をなんとなく嗅いで,一番物事を吸収する年代を平成とともに歩んで,平成の中盤に青春を過ごし,平成末期の社会の一員となった世代.

今の時代,こういう場など,個人が容易に記録を残すことができる場が増えた.

もちろん,イコール,その記録が残り続けるわけではないけれど,デジタルネイティブな我々が,みんなで,ただ,盲目的に個人史をどこかに残すだけで,日本の平成史を厚い記録として残せるんじゃないかと思ったりするのです.

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個人的な感想だけれど,平成という時代を一言で表すと「狂気」だよね,と思うワタクシ.

小屋が欲しい

家が欲しいとかは思ったことはないけれど,小屋が欲しいとは思う.

立原道造の「ヒヤシンス・ハウス」とか,ル・コルビュジエのカップ・マルタンの「休暇小屋」とかみたいやつ.

狭い空間に,デスクと書棚,作業机くらいを置いて,ベッドとトイレがあって引きこもれるような.あと,顕微鏡も欲しいかな.で,ネットとかラジオとかもない.ただ,本を読んだり,ものを書いたり,顕微鏡を覗いたりで過ごせる場所.

マジで,二束三文の田舎の土地買って,小屋だけ建てたい.

2020年3月20日金曜日

ワニ2

もう1個.

「死」を表現するうえで,主人公(または主人公の大切な人)が病気などで衰弱していくというのは,王道のフォーマットで,まぁ,よくあるストーリー.

でも,実際には「突然の死」が,世の中には多くて,それを表現する試みもあるが,大抵の場合は,主人公の大切な人が突然死をすることで,主人公がなにかを改心していくというストーリーが多い気がする(例「タッチ」).

そんな物語の作り方のロジックでいうと,漫画内の主人公が「突然死」することで,読者を従来の「タッチ」型ストーリーの疎外されたメタの主人公に仕立てる,というのが,ひとつの発明だと思った.ワニは漫画の主人公であるとともに,読者の親しむキャラで,それの死を見ることが,読者に感情を催させる,という作り方.

ワニ

割と早い段階(2, 3 日目くらい)にリツイートされてきたのをみて,毎日ではないけれど,ポツポツみていた.1日に1日進んでいくスタイルだから楽しめるものでもあると思うので,割と運のいい時期に知ったと思うし,だからこそ,まぁ,楽しめた.

作品自体は「100日後に死ぬ」と「あと◯日」という言葉で括ることで微妙なニュアンスを伝えたり.読者の感情をぶよんとした不安に陥れたりできる,という発明がすごいもので,それがリアルタイムでカウントダウンされるということがすべてなので,途中の日常や最後にある死は(言ってしまえば)タイトル通り以外の何物でもなく,ドラマティックである必要もない.まぁ,普通の突発的な事故死というのが普通であり,だからこそ残酷だったのだろう.

で,まぁ,本題はここではない.

50 日辺りから,急にツイッター外に有名になり,80〜90 日くらいで一般のメディアにも取り上げられるようになり,今日は,あらゆるメディアが「死」の瞬間を待っていたかのようだった.

まぁ,はっきり言ってバカが増えていた.

作者の正確な意図など誰もわからないが,少なくとも,冒頭に書いたように「死は誰にも知られず突然」なのに読者は死ぬことを知っているので不穏な空気を感じ,リアルな時間と同期させることで何とも言えない感情が滲み出る,というのが重要な要素であって,その他は末節だろうと思う(ある日常がある日終わる以外のことはどうでもいい).

最後の10〜20 日くらいは,明らかにこの楽しみ方ができる限界の人数の想定のキャパを超えていたように思う.「死に方」の考察なんかをしている層,斜に構えて「この程度のもの」みたいな見方をすると格好いいと思っているバカ,穿った意見を言っているつもりで見当はずれのバカ,ワニ可哀想勢などなど……,作品をテクストとして楽しめない外野にまで作品が広がったことが,なんか,「これでいいの?」と思った.いや,まぁ,作者は金が儲かるからいいのか.

あと,作者は単行本を出すみたいだからリアルタイム性は捨ててもいいと思っているのかもしれない……が,最初の数日を除いてリアルタイムで読んでいた身としては,リアルタイムだから感じたぶよんとした気持ち悪さは,作品の捨てがたい要素だったと思うよ.(というか,それを意図してなきゃ,そもそも,こういう配信形態にしないはずだから,作者も,それはそれで意図していると思う)

2019年8月25日日曜日

突然書くし,唐突に書かなくなるよ

まぁ,そんなもんです.

こういうところに文章を書いていないと,どんどん自分がバカになってきているような気がするので,そういうタイミングで書き始めるようになるものだと思っていただければ.

2019年2月17日日曜日

芸術との対峙

そんなわけで,連休中は芸術に親しんできたのだけれど,そういう場に足を踏み入れると,いつも感じることだけれども,何故,こうも教養もなく展覧会に足を運ぶ人間が多数存在しているのか,ということ.

まぁ,絵画展なら,まだわかる部分もある(それでもクソうざいけれど).教養がない人でも,意味がわからない人でも「絵だ」程度の感嘆は得られるかもしれないし,具象的描写があれば「何が書かれているか」の表象は理解できるだろうから.

でも,書道に関して教養がない人間が顔真卿展に来るのは違うだろう,と.少なくとも,顔真卿展に来ている書道ガチ勢が,静かに展示を見るのを邪魔する権利は無教養な人間にはないはずだ!(激怒)

しかし,本当に,あーいう奴らってなんなんだろうと思うよね.美術館でも,博物館でも,どこにでも現れるあの生き物たち.

絵でも書でも化石でもなんでもいいんだけれど,それらについて教養が全くないし,現れた展においても学ぶ気もない,そういう行為に彼らを駆り立てるものがなんなのか,本当に,純粋に興味がある.単純に,順当に興味があって来る人の観覧の邪魔をすることが趣味とかなんじゃなかろうか?

自分も博物館に勤めた経験があるので,アレが金を落とすということは知っている.知っているが,貴重な資料や芸術作品をリスクにさらしてまで,本当に,あんなバカどもの金が欲しいのか,と,そういうことを考えてしまう.

まぁ,この辺は,私が,若い人以外に向けたアウトリーチに否定的だからという部分もあるのだけれど,本当に,一考すべき問題だと思っている.

2019年2月6日水曜日

夜のプールと金魚と女子高生

だいぶ前に,夜の学校のプールに女子高生が忍び込んで金魚をプールに放して泳ごうとしているところを,不法侵入で逮捕だか補導だかされた,というニュースがあった.

なんか,その「夜」「学校のプール」「金魚と泳ぐ女子高生」っていう単語の並びから想像される情景が,あまりにもバカバカしくて,美しくて,エロくて,青春で,いつかこの情景をモチーフにした小説とか書きたいと思ったものだった.

で,最近知ったんだけれど,すでに「学校のプールで金魚と泳ぐ女子高生」って映像を撮っている人がいた.完全にツボが一緒の人っているものなのね(笑).ちなみに,その映像(たぶん映画)が,いつ頃の作品なのかとか知らないのと,くだんのニュースがいつのものだったのか記憶が曖昧なので,もしかしたら,事象の前後関係が逆なのかもしれない(映画に影響された女子高生がやらかした).

ちなみに,僕の中で,このニュースが強烈な印象を残しているのは,オチとして「金魚を放して一緒に泳いだらすごく綺麗だと思っていたけれど,実際には,暗すぎて何も見えなかった」みたいな捕まった女子高生のコメントが載せられていたせい.

もう,バカすぎて,何もかも超越した美しさ,尊さだと思わない?

2019年1月30日水曜日

抽象的な話2

今度は,特定しないためにボカす.

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あるネット上のある科学系の学識ぶったクラスタで,ちょっとしたネタが沸いているのを見た.そのネタが明らかにその学問の基本中の基本を理解していない内容だったにも関わらず,それについて何故かちゃんと議論が成立していた(本当のはじめから流れを見ていたわけではないので,くそネタを弄って議論風に遊んでいたのかもしれないけれど).

そんな不思議な光景を見たので,話の展開をちょっとだけ遡ってみたところ,そのクラスタのオピニオンリーダー的な人が,議論をミスリード(というのは言葉が違うんだけれど.何しろ根本的に間違っているから)していたことがわかった.

それがいいとか悪いとかいう話ではなくて,そのクラスタにいる人たちは,その場に書き込んでいるのに使っている箱を使えば,いま目の前で展開されている言葉のやり取りが根本的に間違っているということが簡単に調べられるということに気付いていないということが恐怖だった.つまり,そのオピニオンリーダーの知識や各議論参加者のその時点で保有している知識を上限にした議論しかなし得ていなかったということで,かつ,それが学問系クラスタやら議論を名乗っていて,それがおかしいと思っていないということだ(具体を知っているが故に抽象的に書くのが難しい.要は,バカがもっとバカととんでも理論の構築をしようとしているところを目撃したという話).

何度も書くけれど,その間違いは,その分野に明るければすぐにわかるものだし,その時点では,不勉強ゆえ知らなかったとしても,ググればすぐわかるレベルのもの(教科書を読む,とかじゃなくて,ググればわかることを確認した).

基本的に,議論の途中でわからないことが出てきたら,相手が目の前にいてもググって調べたり(または相手に聞いたり),自分が弱い部分についての話だったら,教科書なり論文なりを手元に置いて,相手と確認しながら話したり,議論の立脚点について誤謬がないかどうかを確認・共有したりというのが当たり前な世界でしか生きてきたことがなかったので,かなりの衝撃だった.とんでも理論とか陰謀論とかができる仕組みを観察できたというか…….

2019年1月27日日曜日

個人的なメモ(カテゴリ新設)

個人的なメモ.

いままで,レギュラーでは万年筆は一本しか使っていなかったから,あんまり気にしていなかったけれど,意外とペンと紙の相性ってあるんだね,と気付いたので,個人的な記録として.

(たぶんに,個人の趣味の問題に帰するので,あくまで個人的なメモとして)

・2 年くらいレギュラーのノートとして使っているカキモリで自作したノートの紙はバンクペーパーだけれど,これはどの万年筆とも相性がいいし,インクの吸いや発色もまぁまぁ.裏抜けもしない.

・この間,同じくカキモリで作ったノートはフールスにしたんだけれど,(あくまで個人的な好みの問題として)少しペン先が滑りすぎて書きづらい.インクに対する相性は悪くない.

・普段使いの手持ちメモ帳で Rollbahn を持ち歩いているんだけれど,これがびっくりするほど万年筆と相性がいい.いままで,あまり万年筆で書くことなかったんだけれど,万年筆とセットで使いたいくらい.フィールドで乱暴に扱うから,まぁ,そんな機会は訪れないけれど.

・トモエリバーはペラすぎてめくりづらいから,昔から好きではない.書きやすいのは認めるけれど,紙は厚い方が好きなの.

・新たに,最近(?),話題の MD ノートを買って試してみたんだけれど,これが,まぁ,最悪な書き味.普段,雑多な作業(実験)記録に使っているコクヨのスタンダードな中性紙以下.何より,インク乗りがめちゃくちゃ悪い.どの万年筆でも,ペン先がぶっ壊れたのかというくらいの頻度でインク抜けする.突っ掛かりも多い.調子がいいときのサリサリする書き音は気持ちいいんだけれど,すぐにインク抜けを起こすから,書いていてすごいイライラする.

・Rhodia は可もなく不可もなく.ただ,少し滲む気がする.まぁ,Rhodia は,一時期,野帳をこれに統一しようと思ったけれど,あまりしっくりこなくて,いまでは,そのときに買った数冊がほとんどデッドストック化しているだけで,ほとんど使っていないので,どうでもいい.

結論として,昔から定評のある紙が書きやすいということで,最近話題のものって,所詮,その程度のものよね,と.

とりあえず,MD ノートに好意的レビューをしている人間はメーカーの回し者なので,絶対に信用しない方がいいということがわかった.ここまでクソな紙質なのは正直びっくりした.

2019年1月20日日曜日

センター試験の日,らしい

というわけで,自分がセンター試験を受けた頃のことを,例のごとく,辿ってみようと思ったんだけれど,もう 17 年も前の話になるのね.

17 年前というと,いま,35 歳の私からすると,だいたい,人生の半分,折り返し地点になるわけだ.そういう意味では,それ以前の自分と,それ以降の自分は結構変わった生き方をしてきたような気がする.少なくとも,18 歳,高校 3 年の頃の自分は,自分が地質学者になるなんてこれっぽっちも考えていなかった.というか,地質学なんて学問は認識していなかった気がする.もっというと,化学とか物理とか,清廉な化学こそが美しいと思っていて,地質学みたいな雑で不細工なものに美学を見出していなかったというか(まぁ,この辺は長くなるので割愛).

そもそも,35 歳まで生きているつもりなんかなかったよね.そういう意味で,いま現在は,晩年,余生を生きているようなもんだし,実際,そう思っているから,その辺の,自分の生き方の芯の部分は変わっていないとも言えるのではないだろうか.

2019年1月12日土曜日

耳をすませば

……は,恋愛の話ではなくて,思春期に普遍的にある自己実現へのもがきの話であり,ものをつくるということの悲鳴のようなものだと思っている.だから名作.

ぶっちゃけ,恋愛部分って,イケメンが美少女と出会った,という以上のものではないわけで.

2018年11月28日水曜日

長さ

最近,時々,手塚漫画を読み直すことがある.そのたびに思うのが,とにかく「短い!」ということ.

いい悪いの話ではなくて,とにかく,手塚漫画って短い.後期,「ひだまりの樹」あたりは,わりとだらーんと間延びしている感はあるけれど,それでも,あれ KC サイズの 10 巻くらいでしょ?

「火の鳥」なんて,改めて読み返すと,各編が短すぎてビックリする.本当に短い.頭の中に残っているかつての記憶の 1/5〜1/10 くらいのイメージ.昔,浦沢直樹がアトムの中編を,脳内で勝手に付け足していたストーリーを交える形でリメイクしたりしていたけれど,そんな感覚に近いかもしれない.

それに比べて,今の漫画のなんと長いことか.長いことがすなわち悪いという話ではないんだけれど,「本当にその長さは必要なのかい?」とは思う.あげつらうわけではないけれど,20 年近く連載している少年漫画,というかぼかさず書くけど,ONE PIECE なんて,その長さに意味あるのと言いたくなる(誰が継続して読むのよ,と).

長編を書くより中編,中編を書くより短編を書くのが難しい,とはよく聞く言説だけれど,結局のところ,エッセンスを編集するという能力が現代人から欠落してきているんじゃないのか,と思う.だだらに続くアニメやドラマと,2 時間の映画の対比とか,近似できる気がする.

たぶん,その背景に,記録媒体の変化とか,視聴環境の変化とか,諸々絡んでいるだろうし,これに絡んで(書きながら),いわゆる「日常系」とか「美少女動物園」的なアニメとかに関する論も思いついてしまったのだけれど(長くだらだら書いてもいいという感覚と,永続的に続いて欲しいという感覚の相関とか諸々),どんどん長くなるので,この辺は,いずれどこかに書くかも.

思考のクリップとして,とりあえず,ここに書き散らしておく.

2018年11月26日月曜日

ボヘミアン・ラプソディ

……を見てきた.映画として,普通に面白くてよかった.フレディ役の入れ込み具合いとか,Live AID の再現とか,事前に話題になっていた部分は,もちろん,すごかったんだけれど,個人的には,フレディ以外の役者の本人への寄せ具合いもなかなかだったと思う.

個人的に心を持って行かれたのが,Queen のメンバーの関係性というか,アルバムを作っているときの雰囲気の再現部分.フレディの完璧主義とか,実は,脳のネジが数本外れているブライアン・メイとか,ロジャーが常にカリカリしている感じとか,ジョン・ディーコンがマイペースなあたりとか,なんとなく,ファンの想像する Queen 感があって,よかった.

一方で,もちろん,映画として作らなければならないという前提で,それは,事実を基にしたフィクションとして切り分けなきゃいけないんだけれど,フレディを取り上げる以上,避けては語れない,セクシャリティと性愛の部分に関して,あまりに物語として矮小化しすぎているきらいがあったのが,少々,残念でもあり,仕方がないとは思いつつ,それはまずいんじゃないかとも思った.長いし,どうでもいい個人的な感想なので,これ以上は書かないけれど.

そういう意味で,フレディを基にした映画=フィクションとして,非常に良くできた作品だったとは思う.少なくとも,Queen が好きな人は見て,絶対,損はしないと思う.

2018年11月3日土曜日

やがて君になる

百合好きとして,作品自体は以前から知ってはいたけれど,漫画に関しては猛烈な絵柄フェチなので絵柄的に敬遠していたが,アニメは眺めている.

基本的に,クセがない恋愛ものなので,まぁ,楽しいんだけれど,主人公が中二病を発症したイキリ中学生男子,七海先輩が童貞をこじらせた発情中学男子にしか見えなくて,百合漫画を見ているというより BL 漫画を見ている気分に襲われるというのが難点.

作者や担当している編集などの作品の根幹にいる人の性別は知らないけれど,おっさんが透けて見えるというか…….漫画の方はそうでもないのかな?

2018年9月9日日曜日

7 年ぶり 2 回目の話

9/6 未明に発生した平成 30 年胆振東部地震に札幌市内で巻き込まれたブログ主がこちらです.震災と呼ばれる規模の地震に被害の中心地近くで巻き込まれるのは 7 年ぶり 2 回目です.自宅は,札幌市内でもわりと早く電気が復活したので(9/7 未明頃?3 時に起きた時に通電を確認),現時点では,全くもって被害がなく,すでに日常感が溢れていますが,とりあえず「生きていますよ」という報告です.

記録というか備忘のために私の経験した出来事を時系列を残しておきましょう.半分以上,地質学会批判です(笑).これでも,だいぶ批判はマイルドにしたよ.

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9/6 未明(3:00 頃):強烈な揺れで目覚める.とりあえず,寝所の両脇にあるものを抑えながら揺れが収まるのを待つ.揺れながら,「長いな.震度は 5 強〜6 弱かな.このくらいなら大したことないな」と思っていたが,この辺は,前震災の余震地獄で培った感覚.すぐに気象庁サイトで規模を確認したら,震度予想はドンピシャだった.

気象庁やら USGS やらのサイトで震源を確認し,「石狩東縁にしては深いな,1年くらい前にもこの辺のこの深さで揺れたな」ということを考える.そんなこんなの簡易的な情報収集をしているころ,揺れの 10〜20 分くらいあとに,(なんの前触れもなく)急に停電になって,「あれ?」と思う.地震による停電は,前回,経験済みなので,それと比べて違和感があった.とはいえ,夜中の 3 時に起きていても仕方がないので就寝(余震があろうが眠れるのも前回の震災で培った能力.嫁はろくに眠れなかったらしい).

9/6 6:30 頃.普段通り目覚める.停電から回復していないことを確認.うちは運良く,電気のみ不通の状態で,水は水圧分配なので無事,火についてはカセットコンロやらキャンプ用のガスストーブやらがゴロゴロしているのでいくらでも使えるという状況でした.

ラジコで NHK AM を確認すると,震源付近の斜面災害と全道停電という,想像以上に大きい被害状況を知る.と同時に,「今回の地質学会は飛んだな(確信)」と思う(9/5〜9/7 の日程で,地質学会の 125 周年記念大会が北大にて開催中でした).

とはいえ,本当に学会が飛んだか確認しないといけないので(ホスト側の実行委員の一人だったし,その日の午前に講演予定だったし),8:00 前に会場に「中止を確認に」行く.

会場について,今回の仕切りをやっている先生に「今日は当然中止ですよね?」と聞いたら,「午前 8:00 に停電が復帰しなければ午前中止.11:00 時点で復帰していなければ午後も中止.ポスターは貼っていてもいいことにする.電気が復帰すれば学会はできるでしょ?」などと,間の抜けた回答が帰ってきたので,思わず「(この状況で危機感がないとか)馬鹿ですか?」と返答してしまう.付き合いきれんと思いつつ,8:00 で停電継続,午前中止を確認してから,職場に移動する(講演予定があったので,一応,中止が確定するまではクソ茶番に付き合ったよ!).学会の連中は,地質災害の真っ只中で,地質学者が集まってワイワイしていたら,世の中にどう思われるのか理解できないのか,と.

職場に着くと,とりあえず,所員の安否確認とか,緊急調査の会議とか,現状被害の情報収集とか始まっていて,「当然だけれど,まぁ,地質関係機関として,これが正常な反応だよな……」と学会の対応が情けなくなる.

……その一方で,電気が来ていないので車庫から業務車が出せない(シャッターが手動で動かない),予備電源用のガソリン発電機のうち 2 台が整備不良で動かないという,情けない状況も発生(発電機が 1 台は動いたので,とりあえず,最低限の電源は確保できていたけれど).

諸々ありつつ,とりあえず,市内の被害状況(液状化など)を調査するチームが出ることになり,その第 2 班に選ばれたので,昼前くらいからマイカーで清田周辺の被災状況調査に出る(その辺の打ち合わせなどをしているうちに,学会は午後も中止,ポスターは貼っていいという状況になっていたらしい.どーでもえーわ).

そんなわけで,17:00 くらいまで,市内を緊急調査.液状化(噴砂,マンホールの浮上など),地割れ,建物の破断などの状況を調査.ニュースで取り上げられているいちばんひどい場所には,我々の班は行かなかった.

調査中,学会で来ていた師匠,元指導教官殿から安否を含め連絡があるが,「こういう状況なので対応できない」旨を伝えると,「そりゃそうだな.頑張れ」という反応だったので,この人たちはマトモな感覚だった,よかった,と思う.

帰庁時点で,学会がまだ完全中止になっていなくて「本当に阿呆だな」と思いつつ.いまだに職場の電源が復帰していないので,調査データをまとめるすべもないので,帰還命令がでる(電子管理ってこういう状況だと全然ダメね).

この時点で,停電の長期化が懸念されていたので,出遅れたものの,過度にはならない程度に備蓄食料などを確保する(もう,だいぶ出遅れていたけれど,会社が休みだった嫁が買った分と合わせて数日耐えられるだけのものは確保).

この時間くらいから電波塔の非常電源が切れ始めたのか,自宅周辺は携帯の電波が失われていたので,携帯の電源維持のため機内モードに移行(携帯の充電は,職場でできることになっていたけれど,一応,保守の意味も込めて).

帰宅中に八軒,琴似エリアの電気が一部回復していたことを確認していたので,このエリアに非常時連絡やら,物品の買い足しやらで外出(19:00〜20:30 頃).ついでに,師匠と元指導教官殿の状況等を電話で確認.

帰宅中,電気がない世界を歩くと,星がよく見えて,しばし見上げる.ふと周りを見渡すと,道行く人の多くが,なにかを諦めたような顔で,ものすごく綺麗な星空を見上げている,という状況.わかるよ.空を見上げるくらいしか,心が平穏を保てる瞬間はないのだよね.そういえば,震災下の仙台でも,こういう光景はみたな,と思い出す.

帰宅後,夕飯を食って,就寝(21:30 頃).

9/7 未明(3:00 過ぎ).ふと目覚める.外を見ると,自宅マンションの真下の信号がついているのに気付く.もしかしてと思い,自室のブレーカーを on にすると,通電(後でわかったけれど,札幌市内でも相当早い復帰だった模様.マンションの裏手に病院があるから?).

6:00 起床.学会が此の期に及んで,まだ中止を決めあぐねているのをみて,本当にどうしようもないな,と思いつつ,出勤準備.

8:00 一応,学会が中止になっていることを確認しに会場に寄る.当然,全行事の完全中止.元指導教官殿と少し会話し,昼頃に元指導教官殿と数名を空港に送ることを頼まれる.

出勤.前日と状況はあまり変わらず.前日は,緊急調査だったので(防災関連部署ではない)自分も調査に出たが,今日についてはお役御免だったので,所内の被害状況の調査など.

10:30〜 元指導教官殿ほか 3 名の送迎.ガソリンスタンドに並ぶ列などで猛烈な渋滞が発生している状況や,市内の交通状況を把握.前日の調査時よりは信号の復帰率が高かったけれど,幹線道路を通っているにも関わらず,3〜4 割程度しか信号は点いていない印象.ちなみに北大〜新千歳空港の往復で 3 時間以上かかった(高速は混んでいなかったが,市内と新千歳空港の乗降口の渋滞がひどかった).

車内で,「こんな状況で,ポスターセッションだけはやるとか馬鹿な提案をしたのは誰だ?」とか「意思決定が遅すぎた」という話をしていたのが,「え?この人がそれを把握していないのはどういうことなの?」という立場の人だったので,学会運営上の意思決定がメチャクチャだったのだということを実感.もちろん,口の悪い元指導教官殿にその旨突っ込まれていた.

14:00 頃に職場に復帰すると,庁内が通電していたので,前日の調査結果のまとめなど.その後,特にやることもなかったので,今回の地震のメカニズムの話とか,厚真の地すべりの話とかを上の人と一頻り議論.

18:00 前頃に帰宅.

なんか疲れていたので,その日から営業していた近所の馴染みの定食屋(断じてジャンヌではない)で,夕飯.定食屋のおばちゃん(近所在住)と雑談.

その時点で,自宅のインフラは完全な状態だったので,余震には気を付けつつも,自分の中で,日常宣言をだして,今回の震災は自分の中で終焉.もちろん,仕事上は,これから色々忙しくなるんだけれど,土日はゆっくりしようと思いつつ就寝(23:00 頃).

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雑感として,今回の災害は,典型的な政治的人災だなと思っています.それは,不用意にベースロード電源の完全停止をしていたこととか,行政がエネルギー源の一極集中を放置していたこととか(石狩新港発電所の件は立場的に一般人の数億倍よく知っているので,指摘(と書いてクソリプと読む)等はいりません!),札幌市,ひいては北海道の地質災害に対する認識の甘さとか,市民の認識不足とか(この辺は道民の地質リテラシー向上の一角を担う我々の敗北でもある),(地震災害が多い地域の都市と比べて)札幌市の都市機構の脆弱さとか,そういうものを引っ括めた点からの総合的な結論です.少なくとも,震源近く以外で発生した状況は,この規模の地震程度で起こっていい事態ではなかったと確信しています.

私も,道の公的機関で,(諸々の紆余曲折がありつつ)「地域エネルギー」を冠する役職にいる人間ですので,今回の事態は手痛い反省材料になったと自覚しつつ,仕事に反映していきたいと(ちゃんと本心で)思っております.

2018年8月28日火曜日

バカに「バカ」といえることの重要性

ここ近年,ずっと思っていること.

知識が不足している人や筋道の立った思考ができない人が,場を引っかき回すのが問題であることは言うまでもないけれど,そういう人に「バカは黙ってろ」と言わない人はもっと罪だよね,ということ.