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2023年2月26日日曜日

集める

結構前から,万年筆をコレクションしている人になりつつあるが,最近は,明確にコレクションの方向性が出てきてしまった.すなわち,小型の万年筆を中心に集めてしまっている.

今のところ,現状は,下記の通り.

  • Pelikan Souverän M300 M-nib(緑軸)
  • Montblanc Meisterstück #114 Mozart M-nib
  • Montegrappa Micra F-nib(水色軸)
  • TWSBI Diamond Classic Mini M-nib(黒)
  • TWSBI Diamond AL Mini F-nib(水色)
  • Filcao Classic Pink-Black
  • KAWECO Frosted Sports M-nib(ココナッツ) 
あと,番外的なところで万年筆風のペンであるところの Pilot Petit 1 を何本か.

この他,現在,購入を狙っているのが何本かあるけれど,さすがにまとまったお金が入らないと厳しいかな…….

2022年6月1日水曜日

相似な事象

 10数年前から観測されているけれど,ここ数年に顕著になった事例のひとつに「ファスト映画(※)」がある.映像の n 倍速再生とかも,この仲間かな.

※大前提である著作権侵害とかの部分は,今回の話と関係ないので,とりあえず置いておく.

私は,バックボーンとして元映画オタで,映像作品が大好きなので,そもそも,単にあらすじだけを追いかけるようなコンテンツ消費とか,n 倍速して「作られた時間」を無視するような視聴姿勢などを理解できないし,いかなる理由でも賛同するつもりは一切ないです.別に,そういう人と喧嘩する気はないけれど,根本的な思想や宗教が違う人なんだと思います.

ただ,よく考えると,近年になって動画編集技術が簡易化したり,機器に n 倍速再生機能が標準化したことで,いわば「要約」「時短」界の最後の牙城だった映像コンテンツが要約できるようになってきたので,こういう議論が沸き上がっているだけだよな,と最近になって気付きました.

昔から,相似な事象はいっぱいあって,はるか昔から長編小説のダイジェスト版みたいなものはあったし,様々なジャンルで「n 分で完全理解」みたいなものはベストセラーになってきたわけです.もう少し広げると,例えば,音楽を聴いているときに主旋律やボーカルの歌だけを聴く人とか,絵を眺めているときに背景知識などに一切興味を持たずに絵面だけを眺めて通過してしまう人なども,対象とする媒体は違っても,全体を構成するもののなかで目立つものを消費して終わるという意味で,同じ種類の人で,それらは古くからいるし,誰もがなにがしかのジャンルにはそういう態度を取っている面があるのだなと気付きました.だって,例えば,ほとんどの人は,その辺に落ちている適当な石ころを眺めて楽しむこととかできないでしょ?(私は地質の知識があるので,かなり楽しめる)

まぁ,そういった触り方しかする気がないジャンルに,わざわざ手を出す理由も分からないし,あらゆるものに対して触ることくらいしかしない人は,最早,理解の外だけど.

2022年1月30日日曜日

万年筆・備忘

  • Pelikan Souverän M400 青軸(M)

  • Pilot ELABO 樹脂軸黒(SF)

  • Salor Sapporo(Professional Gear Slim)白軸,金装飾,黒首(M)※海外モデル

  • Salor Professional Gear カクテルシリーズ テキーラサンライズ(M)

  • Pelikan Souverän M805 Demonstrator (B)

  • Pelikan Souverän M300 緑軸(M)

  • Pelikan Classic M205 Olivine (M)

  • Pilot Custom742 仏壇(FA)

  • Aurora Trilobiti Ciocolata (M)

100K over に手を出し始めてしまったから,もうダメかもしれない.10K以下とか,いわゆる低価格帯ものは,入れていない.safari とか pelikano jr. とか.さらに安いと,kakuno, preppy......
ちなみに,透明軸は,変わり種としてほしいと思うことはあるけれど,そこまで好きじゃないので,Twisbi は持っていません.いや,不透明もあるけれど,なんかクリア軸のイメージ強くないですか?
  • Namiki (Pilot) Metropolitan Retro-Pop Orange (M) ※海外モデル

  • Namiki (Pilot) Metropolitan Retro-Pop Turquoise Barrel (M) ※海外モデル

あと,輸入にかかる費用をさっ引いても安いモデルだけれど,この2本は特記.ようはCocoon だけど.Cocoon は MR と比較してダサいので(いまは)持っていない.このシリーズが国内で販売されないのはどう考えてもおかしい.CON-40 とともに,パイロットの大きな謎のひとつである.

2020年8月1日土曜日

小屋が欲しい

家が欲しいとかは思ったことはないけれど,小屋が欲しいとは思う.

立原道造の「ヒヤシンス・ハウス」とか,ル・コルビュジエのカップ・マルタンの「休暇小屋」とかみたいやつ.

狭い空間に,デスクと書棚,作業机くらいを置いて,ベッドとトイレがあって引きこもれるような.あと,顕微鏡も欲しいかな.で,ネットとかラジオとかもない.ただ,本を読んだり,ものを書いたり,顕微鏡を覗いたりで過ごせる場所.

マジで,二束三文の田舎の土地買って,小屋だけ建てたい.

2019年1月27日日曜日

個人的なメモ(カテゴリ新設)

個人的なメモ.

いままで,レギュラーでは万年筆は一本しか使っていなかったから,あんまり気にしていなかったけれど,意外とペンと紙の相性ってあるんだね,と気付いたので,個人的な記録として.

(たぶんに,個人の趣味の問題に帰するので,あくまで個人的なメモとして)

・2 年くらいレギュラーのノートとして使っているカキモリで自作したノートの紙はバンクペーパーだけれど,これはどの万年筆とも相性がいいし,インクの吸いや発色もまぁまぁ.裏抜けもしない.

・この間,同じくカキモリで作ったノートはフールスにしたんだけれど,(あくまで個人的な好みの問題として)少しペン先が滑りすぎて書きづらい.インクに対する相性は悪くない.

・普段使いの手持ちメモ帳で Rollbahn を持ち歩いているんだけれど,これがびっくりするほど万年筆と相性がいい.いままで,あまり万年筆で書くことなかったんだけれど,万年筆とセットで使いたいくらい.フィールドで乱暴に扱うから,まぁ,そんな機会は訪れないけれど.

・トモエリバーはペラすぎてめくりづらいから,昔から好きではない.書きやすいのは認めるけれど,紙は厚い方が好きなの.

・新たに,最近(?),話題の MD ノートを買って試してみたんだけれど,これが,まぁ,最悪な書き味.普段,雑多な作業(実験)記録に使っているコクヨのスタンダードな中性紙以下.何より,インク乗りがめちゃくちゃ悪い.どの万年筆でも,ペン先がぶっ壊れたのかというくらいの頻度でインク抜けする.突っ掛かりも多い.調子がいいときのサリサリする書き音は気持ちいいんだけれど,すぐにインク抜けを起こすから,書いていてすごいイライラする.

・Rhodia は可もなく不可もなく.ただ,少し滲む気がする.まぁ,Rhodia は,一時期,野帳をこれに統一しようと思ったけれど,あまりしっくりこなくて,いまでは,そのときに買った数冊がほとんどデッドストック化しているだけで,ほとんど使っていないので,どうでもいい.

結論として,昔から定評のある紙が書きやすいということで,最近話題のものって,所詮,その程度のものよね,と.

とりあえず,MD ノートに好意的レビューをしている人間はメーカーの回し者なので,絶対に信用しない方がいいということがわかった.ここまでクソな紙質なのは正直びっくりした.

年齢に自分を合わせていくスタイル

最近,思うことの一つに,自分もそろそろ,最年少中年としての自覚を持つべきではないかということがある.

明確に,身体や脳は,老化をはじめて衰えてきているのに,いつまでも自分が若いつもりで行動し続けるのは,様々なバランスを崩すに違いない.特に,身体や脳を過信して,ワークライフバランスを崩すのが,この時期に老化に寄り添えないことが原因なのではないかと思っている.

逆に,自分の老化に寄り添えない生き方は,自分が若かった頃,心の底からウザくて嫌いだった「自分は若者の心をわかっている」おじさんでしかない.あれは,考えが古くて頭が硬い頑固親父よりも気持ちが悪い,うざい,老害そのものだった.ああはなりたくない.

そんなわけで,最近は,自分が若い頃,思い描いていた 35 歳なりのスタイルが似合う人間になりたいと思っている.残念ながら,一番のイメージである「毎日,背広を着て満員電車に乗る」人にはなれなかったけれど,格好だけでも目指したいと.(たぶん,急に万年筆を増やしたのは,この辺の意識も裏にある

そんな私が,いま気にしているのが,センスのいい扇子とセカンドバッグ(クラッチバッグ)と普段使いのジャケット.特に,来夏までに「いい扇子」を入手したいと思っている.

2019年1月14日月曜日

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.

最近気づいたこと

メモは便利.

自慢ではないけれど昔から記憶力はいいので,人から言われたこととかあんまり忘れることがなかったので,メモとか真面目にとっていなかったし,仮にとっていたとしても,見返すことはほぼなかった(機械の操作ノウハウとか,実験の手法とか,重要な案件は別ね).

ところが,30 も過ぎてくると,自慢の(?)記憶力も寄る年波に勝てず……というか,思い出す体力がなくなってきたというか,見返す前提のちゃんとしたメモをするようになったし,見返すことも増えた.そういうわけで,便利さを痛感している.

2018年9月9日日曜日

転職のお知らせ(?)

……などと,偉そうにブログを書いている私の学会直前の Tweet をここで振り返ってみましょう.

16:57 - 2018年9月2日
来週,某学会が開催されるはずなんだけれど,まったく当日に関する指示が回ってこないんだけれど,本当に大丈夫なのかしら?

17:02 - 2018年9月2日
(実行委員の偉い人が,昨年大会が台風によって中日中止になった件をみて,昨年大会よりは問題は起こらないだろうとか言っていたけれど,まさにその台風が大会中にやってきそうなんですが)

17:03 - 2018年9月2日
中日中止になったら(なんの準備もできていない)私の発表が吹っ飛ぶので,中止になってくれても構わないんですが

……正直,事前準備の段階からあまりにグダグダだったので,昨年大会(台風で 1 日中止)よりひどい状況になって,運営責任者の責任問題に発展すればいいのに,と思っていましたが,この願いが天に届いた結果が,今回の災害につながったのだとしたら,誠に申し訳なく思うとともに,地質学者を廃業して拝み屋稼業をはじめたいと思っております.

2018年8月9日木曜日

環境を取り巻くあれこれの話

お久し振りの更新.なんとなく,今後書きたいことととかの準備的な話.

アカデミアの中心部から離れて久しい人間ですが,学会なんかに参加すると.未だに「大学に戻る気はないの?」と声を掛けてくださる先生もいらっしゃいます(場合によっては「〇〇のプロジェクトで歩ける PD が必要」などの具体的な話を合わせて).自分のようなアウトプットも少なく,大した業績もない人間を覚えていて下さり,(冗談交じりでも)そういう形の声を掛けていただくのは大変光栄で,ありがたいのですが,今のところ,自分の意思で大学に戻る気はありません.

それは,現状の安穏としたパーマネント研究職にしがみつきたいからとか,最近の大学周りの行政的なあれこれとか,教育をしたくないとか,自分の能力的な問題とかではなく,大学以外の研究機関という今の職場に入ったときに見えた学問世界の景色を大切にしたいというのが大きな理由です.

というような話を色々と考えています.

2016年5月25日水曜日

わけがわからない

自分(研究者)が書いた研究に関する書類を,自分(企画担当)がセッティングした所内検討会にかけ,その課題に対して自分(検討人員)がコメントして,自分(研究者)が修正して,自分(書類事務担当)に提出して,自分(書類事務担当)が書類不備のチェックをして,自分(外部機関窓口)が書類の送り先に書類を送付する.そんな最近のわたくし.

2016年4月24日日曜日

いまの学生

自分の母校(大学)の敷地内にえぐりこむような形で配置されている職場に通っていると,どうしても,自分の後輩にあたる子供達の様々な姿が目に入ってしまう.それは,楽しいことでもあり,懐かしさと郷愁で物悲しい気分になることでもある.僕は,年を取ってしまった……(といいつつ,基本的に 10 年以上,大学に所属していて,すぐに現職場 [not 大学] に入ったので高校卒業以来,大学から物理的に離れたことはないのだけれど).

先日,ふとしたことで,新入生向けの某大学(と伏せる意味があるとは思えないけれど)紹介パンフレットみたいなものを眺める機会があって,なんか,隔世を感じてしまった.

もちろん,校風とか伝統とか変わっていない部分はあるんだけれど,根本的なところで,僕らの頃と「大学生像」が大きく変わっているのを感じた.

僕らの大学生初年度の頃は,まだ,意識が高くて(系じゃないよ),それなりにリアルを充実させているような大学生というのが理想像として存在した気がする(今風に言えば,みんな意識が高いリア充に恥ずかしげもなくなりたがっていたということ.そして,彼女が欲しかったし,セックスがしたかった.それが恥ずかしいことではなかった).

級友と図書館で試験勉強するのとか(その時に頑張って女の子のグループを誘ったりして.特定の教科に強いやつとかがいるといい口実になったw),大学生になったからというきっかけで哲学書を持ち歩いたりとか,わからなくてもそういう本を乱読したりとか(そんな乱読が未だに教養として生きていたりする),ある日唐突に特定の学問にのめり込んで勉強しまくったり,いかにその学問が面白いか語りあったり,夜通し酒(もちろん,某大生なので SS)を飲んで(その頃はまだ飲んでた.その頃のやらかしのせいで今は一切飲まない.もちろん,元々,強くはなかったけれど)男友達と下らないエロ話から学問のこと,社会のことまで議論したりして朝を迎えてしまうとか,下らないことで殴り合いの喧嘩をしたのはいいけれど,数日経つとなんであんなにいがみあったのか忘れて,また仲直りの酒を飲んだりとか,バイトで金を稼いで友達とすすきのに繰り出したりだとか(色んな意味で),適度にサークルで遊んだりだとか,合コンに繰り出したりだとか,そういう姿が「大学生像」として確固なものだった.その一方で,サークルにのめり込んで落第したりとか,すごいマニアックなことに偏執的にハマってみたりだとか,ふらっと授業を抜け出して(そこまでは恥ずかしくて言えなかったけれど,結局のところ「自分探しの」)旅に出てみたりだとか,そういう大学生像もあったり.ともかく,そのころの僕らに共通していたのは,リアルにそこにいる・あること以外には大きな価値を感じないというのが大学生の基本的な価値観だったということだと思う(もちろん,今風のオタクとかアキバ文化というのは,僕くらいの世代が奔りではあって,そういう人たちもいたけれど,もっと謙虚だったというか,それはそれ,リアルはリアルと使い分けるのが最低限の礼儀だった気がする).

因みに,インターネットは,ちょうど,テキストサイト全盛期で(少し後にフラッシュ黄金時代),時々,話題になることはあったけれど,決して日常的話題のメインストリームじゃなかった.ただ,さるさる日記とか,日記系のサービスがあって,みんなそんなところで日記を書いたりとか,HTML 手打ちで個人サイトを持って,リンクし合うなんていう,今でいう SNS の手工業版みたいなことをやっていた.僕も HTML 手打ちの個人サイトとか持ってた.今も,その当時のものがネットの海のどこかに漂っているけれど.

そんなのも,もう,15 年くらい前の話だ…….

いいとか悪いとかではなく,最近の大学生像は,とにかく 2ch 的なものに代表されるインターネットの世界や SNS が練り上げてきた価値観が,すべての前提とされていて(僕の頃は 2ch なんてできたばっかりだった.SNS やブログに至っては存在すらしていなかった),オタク(と称するただのアニメ視聴者)とかぼっちとか,そういうものを肯定的に……というか,一定の地位を持ったキャラクターとして認識していたりして(この辺の感覚が,僕らの世代が感じるぼっち感とすごくかけ離れている.一定の地位があったら,ぼっちじゃないじゃん,とか),逆に,僕らの頃の理想像としてあった「リアルを充実させる」ことに憧れたり,そのために努力したりするのは格好悪いみたいな風潮があるみたいだ(意識高い系の揶揄とか.「系」だったら叩いていい,みたいな風潮も僕はそんなに好きではない).

もちろん,僕らの世代も,もっと上の世代から,学生の姿が変わった,という言われ方をしてきたし,変わることが悪いなんてことは絶対にないけれど,十数歳の年の差で,もう,価値観が相入れなくなってしまっているという事実が,自分の老いを認めるようで悲しいのだ.

なんか,書きながら,猛烈に大学の教養時代のことを思い出してしまって,異常に長くなってしまった.

2016年2月12日金曜日

耐え難い重さなのか軽さなのか(または,キモい自分語り)

(だいぶ前に書きかけたのを再編.ひとつ前の記事を受けて)

むかしから,あんまりとんがった生き方はしてこなかったつもりではあるが,やりたくないことはしてこなかったし,やりたいことだけをして生きてきた.その結果,普通に高校・大学を出て就職したような人が見られない世界やものを見てきたり,体験しないようなことも体験してきたが,当事者意識として,自分は普通の人間であるつもりだった.

実際,やりたいことばかりをやって,やりたくないことをできるだけ避けるという生き方は,まさに凡庸そのものだったわけだけれど,単純にこの年まで,それをやってこられたのは,ひとえに運がよかったのだと思っている.まぁ,親が,一般的にみて(子供二人を大学に入れて,かつ,半ニートの院生一人を養える程度に)裕福であり,子供を放任主義で育ててくれ,必要な援助をしてくれたという面には感謝している(が,それもまた,運のひとつ).逆に,自力でやってきた感はあんまり持っていない.

そんなわけで,僕は,結構,多くの "ふつーのひと" が果たしてくるべき義務を放逐して生きてきた気もしている(とはいえ,最低限はこなしたとも同時に思っている).挙げたらきりがないけれど,自分の生き方が,顔本なんかでみる高校の同級生たちの生活とはあんまり類似点がないことを気に病んだこともあるのだ(一応,関東圏有数の進学校出身なので,現在,はいそさえてぃーな人たちばかりの同級生を "ふつー" と言えるのかわからないけれど).

まぁ,そんな放蕩息子も,年とともに,そんな "ふつー" に近付いてきたつもりだ.就職もしたし(しかも,さーゔぁんとさーびすもどきに!),人は,本質的に孤独だし自己中心的であるべきという思いも,学生時代においてきてしまって,人並みの恋愛もしたし,その結果に,結婚までしてしまった.

さて,そうなったあとに,いま目の前にあるのは絶望しかない.たぶん,この絶望的な普通さは,今後,生きていくときに,僕にとって非常に容易だ(仕事が単純だとか,そういう意味ではなく,暗中模索することがないという意味で).たぶん,自慢ではなく,僕のいまある能力で計算できない事態に陥ることは,今後,ほとんど起こらないだろうと思う(研究に行き詰らないとか,そういうことではなく,人生において,ということ).次に悩むのは,退職するときと死ぬときくらいかなと思うと,まさに絶望だ(もしかすると子供を作ったら別かもしれないけれど.と書いて,みんなが真面目に子供を作る気持ちがわかった気がする).

いままではやりたいことしかやらないで生きてきたけれど,最近は,この未来永劫に続くように思える絶望という日常は(実際は,自分の寿命程度の 40〜50 年くらい?),果たして,自分がやりたいことなんだろうかという疑問を常に考えている状態で生きている.いっそのこと,全てをフイにするような大逸れたことでもやって,これまで積み重ねてきた全てをキャンセルしてしまおうかと真面目に考えるくらいには絶望的だ.

こんな阿呆みたいな感覚なんて誰にもわかってもらえる必要はないし,例えば,犯罪者になったりとか,そういうことをしたいわけではないけれど,もう,なにも人生にとって意外なことが起きないという漠然とした事実は,死とも釣り合うくらいには自分の中で重いものでもある.

とまぁ,こんなふうに遺書のようなものを web 空間に漂わせておくことで,少なくとも,いつか事故とか病気で若くして死んでも,そんなに「悔いを残して」みたいに思われないかな,とそんな気分で書いてみたのでした.

あ,自殺するほど,たくましい人間ではないんで.僕は.


ふつう

先日,大学兼職場の後輩とタバコ吸いながらくっちゃべっていたことの延長なんだけれど,同世代の人間が,みんな普通に大人や社会人になっていてビビる.

別にいわゆる「普通」という言葉云々の話ではなくて,昔のバカなことやってる時代を知っている人が,目に見える範囲ではバカなことしていないっていうのが,怖い.みんな普通に結婚してるし,みんな普通に仕事してるし,みんな普通に子煩悩になっている(具体例はいくらでもあげられるんだけどこのくらいで).これが,猛烈に怖い.

いや,自分も,普通に結婚しているし,普通(?)に働いているんだけれどさ.

なにしろ,その普通の姿が,まるで自分たちの親世代を見ているかのようだから,本当に恐怖を感じる.だって,みんなの価値観が昔,僕らが見ていた大人そのものなんだもの.それが,とても怖い.みんな「僕ら若者のことなんて『大人はわかってくれない』」って思っていたんじゃなかったの?

「自分はそんな『普通の大人』じゃない」みたいに嘯いている人なんて,もしかすると,みんな自覚もなく「俺(私)は若者の感覚を持っているし,わかってるよ?」っていう,自分たちが若かった頃,一番嫌悪していたクソみたいな大人になっているんだよね.

もちろん,僕自身が,普通に大人になっている(そもそも,僕もすでに 30 をとうに超えている)ことも自覚しているからこそ,漠然とした不安と恐怖に慄いているんだけれど,みんな,この恐怖を感じていないんだろうか?それとも,その恐怖を押し殺して生活しているの?

自由なんてまやかしで,自分を叱ってくれる大人たちからは独立してしまって,もちろん,法律なんて犯すことはできないし,そもそも,生きていかなきゃいけないという現状に身動きが取れないとき,結局,型にはまるのが,結局,一番楽で,その型の中で,ちょっとした模様替えや着替えをすることが自分を個性的に彩る全てになるなんて,もう,絶望しかない.

それを否定するわけでもないし,自ら荒野を歩む気なんてないんだけれど,全部,無かったことにして,例えば,全裸で街の中を駆け抜けるような爽快感を懐かしむくらいは,自分に自由でありたいとは思う(比喩であって性的指向の話ではないよ!).

2015年12月7日月曜日

年をとったな,と思う

僕の仕事は,基本的にコンピュータと仲良くしないといけない仕事だし,必要に迫られれば CUI も弄るし,プログラムも(2, 3 の言語では)組める.一応,職業・理系技術者なので,普通の勤め人がおおよそ触れることのない機械の中身をこじ開けてメンテナンスしたりすることもあるし,必要に応じて分析装置をこじ開けて組み直す程度の機械的な知識はある.

……だが,最近の家電についている高度機能は全然覚えられないし,いつまでたっても使いこなせないし,覚えられない.正確に言えば,覚える気がない.

これは,僕が家事をしないからではなく(家庭内の家事負担は 7 割が僕),家電の基本機能やワンタッチ機能以外の高度機能を覚える気力がなくなっているということだ.高度機能を使えば,できることが増えたり,便利になったりすることはわかっているんだけれど,基本機能とワンタッチボタンでできること以上の機能を理解しようとする気力が湧かないという,年齢に伴う脳の機能低下が原因なのだ.

母親に任せっきりで,あんまり家事をしなかった高校生の頃なんかは,説明書を読みこんで,「洗濯機にこんな機能があるんだー」なんて言いながら,使う必要のない機能を駆使して(ごく稀に)自分の服やらを洗濯したりしていた気がするんだけれど,最近では,「こういうものに特化した洗濯機能はあるんだろうな」とわかっていながら,説明書を読む気も起こらない.

明らかに年をとった.

結局,僕の場合,まだ家電程度で済んでいる話なんだけれど,これが進展して万事に気力を失っていく状況が,あの,僕が「愚かでどうしようもない」と当時思っていた,ダメな「大人」の正体なのか,と思うと,なんだか,妙な諦観のようなものが内に溢れてくるのだ.

2015年9月23日水曜日

年齢と変化

人は年とともに変わっていくとも言うけれど,同世代がゴルフとか始めてるとリアルすぎて,なんか引く.あと,業界特有の趣味とか行楽とかを(そーいうものがある業界があって,まぁ,そーいう業界に知り合いが多い),その業界に入った人間が SNS に披露していたりすると,かなり引く.いや,やりたくてやっているんならいいんだけれど,同調圧力みたいなもんがあるのかな,と.

やりたいことは,まぁ,頑張ってやる.やりたくないことはしない.という風に生きてきた私には全く理解できない世界だ.あと,はいそさえてぃーな文化に対する心理的な抵抗みたいなもんもあるのかもしれない.

あ,でも,職場に入って草野球は始めたな.いや,やってみると楽しいし,体動かすのは嫌いじゃないからいいんだけれど.

2015年9月10日木曜日

流れ行く日々

基本的に余裕がない.その結果の 2 カ月弱の日記放置です.いや,まぁ,特筆すべきこともなかったんだけどね.そして,また,しばらく余裕がない.もしかすると,一生,余裕がない.

そして,気が付けば 32 の秋.

2015年7月1日水曜日

サマータイム的な

職場でサマータイム的なものが制度化されて明日から試行期間に入る.要は,個人が一日単位で一時間早く出勤して,16:30 に退勤する仕組み(前日までに申請).

まぁ,日本で仮にサマータイムを導入するのなら,北海道以外は(中緯度域だから)ほとんど意味がないというのが一般論なので,北海道で似たようなニュアンスの制度が導入されるのは構わないんじゃないかと思うけれど,個人単位,一日単位でやることにあんまり意味を見出せない.早出した日は残業禁止だし,そもそも,早く帰りたければ,(消化のあてのない)有給使えばいいわけだし.

本来の定時後に予定(飲み会とか)がある日は,早出して定時を繰り上げてのんびりしてもいいような気がするけれど,そうでもなければ,16:30 とか中途半端な時間に放り出されてもなぁ…….そんな中途半端な 1 時間のために,朝の貴重な 1 時間を使いたくないw

まぁ,そんなわけで,たぶん,僕は,この制度を使うことはないと思う.一回くらいお試ししてもいいかもしれないけれど.

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そういえば,どこかで,かつて日本でサマータイムを導入したとき,体内リズムの変化を強制した結果,健康を害した例があったとか,そういう記録を読んだことがある気がするけれど,どこで読んだんだったかな?(ネットとかそういうあやふやなものではなくて,ちゃんとした文献で読んだ記憶がある)

個人単位で,出勤時間をずらして,朝の頭の回転が早い時間に人に邪魔されずにデスクワークができるというのは,サマータイムよりは,まぁ,現実的なスタイルかつ合理的だと思うけれど,他の人との仕事の都合上,そんなに頻繁に早上がりをできるわけがないので,どこまで意味があるのかは疑問.

こんなんより,フレックスタイム制を導入してくれた方がありがたい.

2015年5月27日水曜日

アカハラ裁判

東北大学のアカハラ裁判の件.

僕が,東北大学の地学専攻に在籍していたのは,かの事件が起こってから数年経ったあとだったので,リアルタイムでどんな様子だったのかは知らないけれど,当時を知っている人からどういう状況だったのかを聞く機会は何度もあったし,あの事件については,少なくともニュースの数行の記事で目にするだけの人よりも,遥かに詳細に知っていると言っていい立場だと思う.

だから,敢えていうけれど,あの事件で起こった学生と教員の間の軋轢に関して「大学院生が指導を求めたのに不当に拒否したなど、嫌がらせ目的の行為をしたと認めることはできない。元准教授の不法行為は成立しない」(河北新報の記事中で裁判官の発言とされるものを引用)という見解に基づく判決はとても信じられない.あの事例で,法的にアカデミックハラスメントによる精神的な被害と認められないなんてことになったら,今後,アカハラの基準がとんでもないことになるぞ,と.

とりあえず,判決文も見ていないし,新聞記事レベルの情報から判断するべきことではないけれど,堪り兼ねたので.

※アカハラ案件の概要は,当然,僕ごときが公然と書けるものではないので,隔靴掻痒感があったらごめんなさい.容易にアクセスできるものとして,東北大の報告書とか当時のニュースとかをご参照願います.

※本当はもっと言いたいこともあるけれど,一審判決の段階でいうべきことでもないので,このくらいで.

※アカデミックハラスメントとか,学生と指導教官の関係とか,そういうことについては,また,別な記事を用意すべきかな,と思っている.