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2022年6月1日水曜日

相似な事象

 10数年前から観測されているけれど,ここ数年に顕著になった事例のひとつに「ファスト映画(※)」がある.映像の n 倍速再生とかも,この仲間かな.

※大前提である著作権侵害とかの部分は,今回の話と関係ないので,とりあえず置いておく.

私は,バックボーンとして元映画オタで,映像作品が大好きなので,そもそも,単にあらすじだけを追いかけるようなコンテンツ消費とか,n 倍速して「作られた時間」を無視するような視聴姿勢などを理解できないし,いかなる理由でも賛同するつもりは一切ないです.別に,そういう人と喧嘩する気はないけれど,根本的な思想や宗教が違う人なんだと思います.

ただ,よく考えると,近年になって動画編集技術が簡易化したり,機器に n 倍速再生機能が標準化したことで,いわば「要約」「時短」界の最後の牙城だった映像コンテンツが要約できるようになってきたので,こういう議論が沸き上がっているだけだよな,と最近になって気付きました.

昔から,相似な事象はいっぱいあって,はるか昔から長編小説のダイジェスト版みたいなものはあったし,様々なジャンルで「n 分で完全理解」みたいなものはベストセラーになってきたわけです.もう少し広げると,例えば,音楽を聴いているときに主旋律やボーカルの歌だけを聴く人とか,絵を眺めているときに背景知識などに一切興味を持たずに絵面だけを眺めて通過してしまう人なども,対象とする媒体は違っても,全体を構成するもののなかで目立つものを消費して終わるという意味で,同じ種類の人で,それらは古くからいるし,誰もがなにがしかのジャンルにはそういう態度を取っている面があるのだなと気付きました.だって,例えば,ほとんどの人は,その辺に落ちている適当な石ころを眺めて楽しむこととかできないでしょ?(私は地質の知識があるので,かなり楽しめる)

まぁ,そういった触り方しかする気がないジャンルに,わざわざ手を出す理由も分からないし,あらゆるものに対して触ることくらいしかしない人は,最早,理解の外だけど.

2021年6月8日火曜日

きめつ考

 もうそろそろ,話題に上がることがなくなってきたし,逆に,アニメの 2 期が始まって話題が再燃する前の時期だし,いいタイミングかなと思って「鬼滅の刃」を読みました.読む前から,想定していたのは,「たぶん,これだけ人気になるんだから,普通に面白いんだろうけれど,(読書体験として)面白いだけなんだろうな」という感想になるであろうことで,そもそも,「少年漫画的なもの」が肌に合わない自分には向かないマンガであることは自覚がありました.

で,読んでみた.(※アニメはみていない)

読語の感想としては,事前に想定していた通りで,「面白いマンガではあった(=読むのに要したコスト分,面白かった)」という以上のものはなかったのですが,マンガ自体の面白さと別なところで,「物語」の無さに驚きました(※批判ではないです).

まず,「鬼滅の刃」自体が,23 巻もあるわけだけれど,その全体でプロットが 5 つくらいしかないうえに,それが一本の線のうえに並んでいるだけなことが,最も衝撃的でした.元々,少年漫画的なものに馴染まないうえに,年齢的にも,最早,最近のマンガの潮流においていかれている自覚はあるのですが,ここまで「物語」がアッサリしたストーリーマンガというものを経験したことがなかったので驚きました.たとえるなら,(今となっては)初期の,面白かった頃の「One Piece」を何倍も薄めたようなアッサリさ(※どちらのマンガについても批判ではないです).

※例えば,「○○の呼吸 ○の型」とか,読む前は,「修行をしてどうこう」とか「キャラに見合った形質が現れる(ex. ハンタの念)」みたいなものかと思っていたけれど,自分がなにか読み飛ばしたのかと思うくらい唐突に,なんの事前情報もなく,いきなり技を出してきて驚きました.

※もう一例.読む前は,恋柱のおっぱいの子とか花のポニテの子とか,すごい主要キャラなのかと思っていたら,ただのちょい役のサブキャラ程度しか露出がなく,アッサリとしか書かれていないのも驚きました.猪と雷との絡みも,ほとんど描かれていないのに,いつの間にか盟友みたいになっている,とかもそういう例.

このマンガの持つ,こういったアッサリとした「質感」は,個人的には,斬新で,面白い(interesting のほう)と思いました.

もうひとつは,そこまで斬新な手法というわけではないですが,キャラクターの造形について,大して深掘りはしないけれど,わかりやすい程度に類型化した「物語」を付与するやり方は,このマンガの大きい特徴かなと感じました.また,先述した物語のアッサリとした「質感」と「キャラ造形」に共通するものとして,「少年マンガのお約束」の多用によって故意に物語を省略する手法も目立ちました.「お約束」の共有によって,書かない部分は書かない(例:一回,共闘のシーンを書いたから,もうこいつらは盟友!みたいな).

何が言いたいかというと,二次創作や妄想のための部品の展示市のような作品だなということです.

そういう目で見ると,東浩紀が「動物化」のころに「エヴァ」を評して,「物語を薄くすることで読者の妄想の材料(情報)を大量に集めた作品で,これらの材料をもとに読者が妄想を膨らませたから成功した(かなり意訳)」と書いていたような知見に近いかもしれないです.作品を読んで,読み手側が妄想し,作品に反復することで,書かれているテキストと絵以上の楽しみ方ができるという点は共通していそうです.ただ,「鬼滅」については,明らかにエヴァのような衒学的な情報過多状態ではなく,非常にアッサリとした「質感」の物語に,妄想するための余地や空間をたっぷりとっている作りを感じます.そういう点で,「鬼滅」は,「日常系」と言われる一群に近い,その進化形なのかもしれません(注).

注:「エヴァ」が物語の喪失という表象とすると,その更なる発展が「日常系」に見いだせて,薄いとはいえあった「物語」という土台すら取り去られている世界観が現れる.そういった「物語の喪失」の極地を越えて,もう一度,「物語」を薄く再導入したようなイメージ.(「日常系」考は,昔どっかで書いた気がするので,ここでは書かない)

10年くらい前から,マンガやアニメの作り手が,マンガやアニメだけを見て育ってしまった論というのが流行りだけれど,「鬼滅」の作者が,そういう出自だとすると,このマンガの持つ「質感」が,そういった世代の作り出した,ひとつの結論なのかもしれません.

あとは蛇足な余談ですが,多分だけれど,アニメは,こういう「余地の部分」を埋めるような描写がある「二次創作」的なものになっているのではないかと思いますが,それは,このマンガの「質感」を下げる作業だと思います(見ていないので,ただの想像).そういう意味では,アニメのほうは,ほぼ無価値かなと思います.世間の評価的には逆なんだろうけれど.

2021年5月25日火曜日

失われた物語の所在

 仕事中に,コーヒーを啜りながら,ニュースをチェックしていたら,三浦健太郎先生の訃報を見つけて思わず声がでた.

「ベルセルク」は,今の時点でだって,日本の漫画史だけではなく,世界の物語史の中で大きな存在だとは思うけれど,完結していたら,比にならないくらい大きな存在だっただろうと思う.残念でならない.

ご冥福をお祈りいたします.

2020年3月20日金曜日

ワニ2

もう1個.

「死」を表現するうえで,主人公(または主人公の大切な人)が病気などで衰弱していくというのは,王道のフォーマットで,まぁ,よくあるストーリー.

でも,実際には「突然の死」が,世の中には多くて,それを表現する試みもあるが,大抵の場合は,主人公の大切な人が突然死をすることで,主人公がなにかを改心していくというストーリーが多い気がする(例「タッチ」).

そんな物語の作り方のロジックでいうと,漫画内の主人公が「突然死」することで,読者を従来の「タッチ」型ストーリーの疎外されたメタの主人公に仕立てる,というのが,ひとつの発明だと思った.ワニは漫画の主人公であるとともに,読者の親しむキャラで,それの死を見ることが,読者に感情を催させる,という作り方.

ワニ

割と早い段階(2, 3 日目くらい)にリツイートされてきたのをみて,毎日ではないけれど,ポツポツみていた.1日に1日進んでいくスタイルだから楽しめるものでもあると思うので,割と運のいい時期に知ったと思うし,だからこそ,まぁ,楽しめた.

作品自体は「100日後に死ぬ」と「あと◯日」という言葉で括ることで微妙なニュアンスを伝えたり.読者の感情をぶよんとした不安に陥れたりできる,という発明がすごいもので,それがリアルタイムでカウントダウンされるということがすべてなので,途中の日常や最後にある死は(言ってしまえば)タイトル通り以外の何物でもなく,ドラマティックである必要もない.まぁ,普通の突発的な事故死というのが普通であり,だからこそ残酷だったのだろう.

で,まぁ,本題はここではない.

50 日辺りから,急にツイッター外に有名になり,80〜90 日くらいで一般のメディアにも取り上げられるようになり,今日は,あらゆるメディアが「死」の瞬間を待っていたかのようだった.

まぁ,はっきり言ってバカが増えていた.

作者の正確な意図など誰もわからないが,少なくとも,冒頭に書いたように「死は誰にも知られず突然」なのに読者は死ぬことを知っているので不穏な空気を感じ,リアルな時間と同期させることで何とも言えない感情が滲み出る,というのが重要な要素であって,その他は末節だろうと思う(ある日常がある日終わる以外のことはどうでもいい).

最後の10〜20 日くらいは,明らかにこの楽しみ方ができる限界の人数の想定のキャパを超えていたように思う.「死に方」の考察なんかをしている層,斜に構えて「この程度のもの」みたいな見方をすると格好いいと思っているバカ,穿った意見を言っているつもりで見当はずれのバカ,ワニ可哀想勢などなど……,作品をテクストとして楽しめない外野にまで作品が広がったことが,なんか,「これでいいの?」と思った.いや,まぁ,作者は金が儲かるからいいのか.

あと,作者は単行本を出すみたいだからリアルタイム性は捨ててもいいと思っているのかもしれない……が,最初の数日を除いてリアルタイムで読んでいた身としては,リアルタイムだから感じたぶよんとした気持ち悪さは,作品の捨てがたい要素だったと思うよ.(というか,それを意図してなきゃ,そもそも,こういう配信形態にしないはずだから,作者も,それはそれで意図していると思う)

2019年9月22日日曜日

たぶん疲れている

唐突に自分の愛している美しいものに触れながら死んでしまいたくなる時がある.純粋に美しいとしか思わないようなもの.

映画なら,「天国の日々」とか.
音楽なら,ゲンズブールとバーキンの作り出した世界とか.
詩なら,立原道造とか.
小説なら,「斜陽」……いや,「風立ちぬ」,「冬」,「死のかげの谷」……,それとも「美しい村」か「菜穂子」か.

こんな風に,美しいものを並べてみたとき,これらの美しい世界が自分より若い人間によって生み出されていたのだと思うと,どんよりと頭が重くなるのを感じる.

……こういうときは,たぶん,疲れている.

2019年8月25日日曜日

乙女ども

「荒ぶる〜(原作)」が佳境.思春期と性の女視点もので,狭い人間関係の中でドロドロとさせたところをどうやって解決するのかと思ったら,学校バリ封とか,ファンタジーに走って,大事の中の小事にしてしまったのが残念でならない.

2019年3月24日日曜日

他意はない

ちょっと不細工な女の子が,めちゃくちゃベタなコード進行で,なんの捻りもないどストレートな自分見つけちゃいました系歌詞をがなるのが定期的に流行るのは一体どういう現象なんだろう?そろそろ,だれか,分析して現象に名前をつけない?

個人的には,こういう系より,西野カナの方が作詞家として評価できると思っている.

2019年2月7日木曜日

古典とか

古典を必修から外す(かもしれない)というニュース.

古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.

教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.

与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)

で,冒頭の問題.

古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?

2019年2月6日水曜日

夜のプールと金魚と女子高生

だいぶ前に,夜の学校のプールに女子高生が忍び込んで金魚をプールに放して泳ごうとしているところを,不法侵入で逮捕だか補導だかされた,というニュースがあった.

なんか,その「夜」「学校のプール」「金魚と泳ぐ女子高生」っていう単語の並びから想像される情景が,あまりにもバカバカしくて,美しくて,エロくて,青春で,いつかこの情景をモチーフにした小説とか書きたいと思ったものだった.

で,最近知ったんだけれど,すでに「学校のプールで金魚と泳ぐ女子高生」って映像を撮っている人がいた.完全にツボが一緒の人っているものなのね(笑).ちなみに,その映像(たぶん映画)が,いつ頃の作品なのかとか知らないのと,くだんのニュースがいつのものだったのか記憶が曖昧なので,もしかしたら,事象の前後関係が逆なのかもしれない(映画に影響された女子高生がやらかした).

ちなみに,僕の中で,このニュースが強烈な印象を残しているのは,オチとして「金魚を放して一緒に泳いだらすごく綺麗だと思っていたけれど,実際には,暗すぎて何も見えなかった」みたいな捕まった女子高生のコメントが載せられていたせい.

もう,バカすぎて,何もかも超越した美しさ,尊さだと思わない?

2019年1月14日月曜日

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.

2018年11月28日水曜日

長さ

最近,時々,手塚漫画を読み直すことがある.そのたびに思うのが,とにかく「短い!」ということ.

いい悪いの話ではなくて,とにかく,手塚漫画って短い.後期,「ひだまりの樹」あたりは,わりとだらーんと間延びしている感はあるけれど,それでも,あれ KC サイズの 10 巻くらいでしょ?

「火の鳥」なんて,改めて読み返すと,各編が短すぎてビックリする.本当に短い.頭の中に残っているかつての記憶の 1/5〜1/10 くらいのイメージ.昔,浦沢直樹がアトムの中編を,脳内で勝手に付け足していたストーリーを交える形でリメイクしたりしていたけれど,そんな感覚に近いかもしれない.

それに比べて,今の漫画のなんと長いことか.長いことがすなわち悪いという話ではないんだけれど,「本当にその長さは必要なのかい?」とは思う.あげつらうわけではないけれど,20 年近く連載している少年漫画,というかぼかさず書くけど,ONE PIECE なんて,その長さに意味あるのと言いたくなる(誰が継続して読むのよ,と).

長編を書くより中編,中編を書くより短編を書くのが難しい,とはよく聞く言説だけれど,結局のところ,エッセンスを編集するという能力が現代人から欠落してきているんじゃないのか,と思う.だだらに続くアニメやドラマと,2 時間の映画の対比とか,近似できる気がする.

たぶん,その背景に,記録媒体の変化とか,視聴環境の変化とか,諸々絡んでいるだろうし,これに絡んで(書きながら),いわゆる「日常系」とか「美少女動物園」的なアニメとかに関する論も思いついてしまったのだけれど(長くだらだら書いてもいいという感覚と,永続的に続いて欲しいという感覚の相関とか諸々),どんどん長くなるので,この辺は,いずれどこかに書くかも.

思考のクリップとして,とりあえず,ここに書き散らしておく.

2016年3月26日土曜日

心の底からつまらない

AI の書いた小説が星新一賞の一次選考を通過した話とか,Microsoft の AI が独裁者の礼賛をはじめたり暴言を吐き始めたりしたから運用を停止したという話を聞いて,心の底からつまらないと思った.

人工知能を作る上での研究者側の心意気の問題なんだろうけれど,人間が考えるような人間の価値観で判断できる人間らしいものを作って,何が楽しいのか?

せっかく,人工知能を作るのに,人間の出す結論と似たり寄ったりになるようにチューニングをしたんじゃ,ただの計算の早い人間以外の何物でもなくて,なんの面白みもない.

AI 小説の例で言えば,人間の審査員が「理解出来る」ような文章を吐き出すだけじゃ,そもそも,人工知能に小説を書かせる意味がない.むしろ,何が何だかわからない,わけのわからないけれど,その人工知能のなかでだけはロジックが完結しているような,めちゃくちゃなものを吐き出せるということが重要なんじゃないの?

(※AI 小説の件について,各プロジェクトによって作業内容は違えど大部分が人間による仕事であるという知識は持っていますので,ツッコミはいりません)

2016年2月12日金曜日

耐え難い重さなのか軽さなのか(または,キモい自分語り)

(だいぶ前に書きかけたのを再編.ひとつ前の記事を受けて)

むかしから,あんまりとんがった生き方はしてこなかったつもりではあるが,やりたくないことはしてこなかったし,やりたいことだけをして生きてきた.その結果,普通に高校・大学を出て就職したような人が見られない世界やものを見てきたり,体験しないようなことも体験してきたが,当事者意識として,自分は普通の人間であるつもりだった.

実際,やりたいことばかりをやって,やりたくないことをできるだけ避けるという生き方は,まさに凡庸そのものだったわけだけれど,単純にこの年まで,それをやってこられたのは,ひとえに運がよかったのだと思っている.まぁ,親が,一般的にみて(子供二人を大学に入れて,かつ,半ニートの院生一人を養える程度に)裕福であり,子供を放任主義で育ててくれ,必要な援助をしてくれたという面には感謝している(が,それもまた,運のひとつ).逆に,自力でやってきた感はあんまり持っていない.

そんなわけで,僕は,結構,多くの "ふつーのひと" が果たしてくるべき義務を放逐して生きてきた気もしている(とはいえ,最低限はこなしたとも同時に思っている).挙げたらきりがないけれど,自分の生き方が,顔本なんかでみる高校の同級生たちの生活とはあんまり類似点がないことを気に病んだこともあるのだ(一応,関東圏有数の進学校出身なので,現在,はいそさえてぃーな人たちばかりの同級生を "ふつー" と言えるのかわからないけれど).

まぁ,そんな放蕩息子も,年とともに,そんな "ふつー" に近付いてきたつもりだ.就職もしたし(しかも,さーゔぁんとさーびすもどきに!),人は,本質的に孤独だし自己中心的であるべきという思いも,学生時代においてきてしまって,人並みの恋愛もしたし,その結果に,結婚までしてしまった.

さて,そうなったあとに,いま目の前にあるのは絶望しかない.たぶん,この絶望的な普通さは,今後,生きていくときに,僕にとって非常に容易だ(仕事が単純だとか,そういう意味ではなく,暗中模索することがないという意味で).たぶん,自慢ではなく,僕のいまある能力で計算できない事態に陥ることは,今後,ほとんど起こらないだろうと思う(研究に行き詰らないとか,そういうことではなく,人生において,ということ).次に悩むのは,退職するときと死ぬときくらいかなと思うと,まさに絶望だ(もしかすると子供を作ったら別かもしれないけれど.と書いて,みんなが真面目に子供を作る気持ちがわかった気がする).

いままではやりたいことしかやらないで生きてきたけれど,最近は,この未来永劫に続くように思える絶望という日常は(実際は,自分の寿命程度の 40〜50 年くらい?),果たして,自分がやりたいことなんだろうかという疑問を常に考えている状態で生きている.いっそのこと,全てをフイにするような大逸れたことでもやって,これまで積み重ねてきた全てをキャンセルしてしまおうかと真面目に考えるくらいには絶望的だ.

こんな阿呆みたいな感覚なんて誰にもわかってもらえる必要はないし,例えば,犯罪者になったりとか,そういうことをしたいわけではないけれど,もう,なにも人生にとって意外なことが起きないという漠然とした事実は,死とも釣り合うくらいには自分の中で重いものでもある.

とまぁ,こんなふうに遺書のようなものを web 空間に漂わせておくことで,少なくとも,いつか事故とか病気で若くして死んでも,そんなに「悔いを残して」みたいに思われないかな,とそんな気分で書いてみたのでした.

あ,自殺するほど,たくましい人間ではないんで.僕は.


2016年1月19日火曜日

設定

アニメでも映画でも小説でもなんでもいいんだけれど,見ていて,設定がガバガバなものでも許せるというか「細けぇことはどうだっていいんだよ!」って感じで見られるものと,なぜか小さな設定の違和が異常に気になってしょうがないものがある.なんなんだろうね?

2015年7月16日木曜日

芥川賞のこと

某お笑い芸人が芥川賞を受賞したという.

実は,この人の本,話題になった頃にパラ読みしたんだけれど,今回の受賞は,(少しネガティブな意味で)想像できたものだった.

簡単にいうと,この人の本や文章は,いい悪いという以前に,昭和中期くらいまでの古い純文学が好きなんだという気持ちが強く伝わってくる文章だったということだ.たぶん,この辺が受賞の最大の理由じゃないかと思う.このくらいのレベルが,今の審査員による純文学評価の限界なんじゃないかと思っている.

かつて,多くの尖った才能が純文学を革新しつつ,芥川賞の審査員団とぶつかってきた歴史が,結局,(今回に限っては話題集めという点も含めて)頭の古い審査員によって「古典的」な価値観が揺り返してしまったことに,この賞の将来は閉ざされた感が強い.

ちなみに,誤解を与えないように言っておくと,パラ読みしただけだけれど,僕自身は,又吉さんの文章は好きでしたよ.むしろ,いまの権威化した芥川賞なんて受賞辞退して蹴り飛ばしてしまえばより格好いいと思うくらいには.

あと,羽田圭介さんの本は読んだことないので,コメントできません.

2015年5月31日日曜日

宮沢賢治は好きだけれど,宮沢賢治を取り巻くアレな感じは嫌いなのだ

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4881863.html

単に,「ある牛飼いがものがたる」の対になる締めの言葉以上の意味はないんじゃねーの,と.すぐ思い出せるところで,「やまなし」でも似たようなテクニック使ってるし,他にも起文と結語でくくる形式の話はあったような気がする.宮沢賢治に限らなければ,それこそ,無数に.

とにかく,テクストとして書かれた文字以上のものを考える風潮はとっとと死に絶えてほしい(この書かれていること以上の意味を考えるのって,陰謀論の生じるロジックと一緒なんだよね.陰謀論がはびこるのを防ぐのには科学教育よりも国語教育の方が重要ということなんだけれど,これはまた,別の話).「やまなし」の "クラムボン" とか,(少なくとも高等教育を終了しているレベルの)いい大人が意味がどうこうとかネット上で書いているのを見ると,本当に頭痛が痛くなる.

宮沢賢治の感性や語感は独特だし,彼の文章から立ち上る臭気は日本文学の系譜の中で,かなり特異的な存在だと思うし,なにより,あの物語の中に示される彼の科学的かつ宗教的な世界観は魅力的だけれど,それに纏わりつくような,学術的な研究を超えたところに妙な執着を持って,いち作家以上に神聖視するタイプの "宮沢賢治研究者" とか,そういう存在が大嫌い(名前は出さないけどさ).

あーいうタイプの自称研究者の信者が消え失せないと,そもそも,宮沢賢治そのものがちゃんと評価されない気がするのです.

2015年5月12日火曜日

美しい文章

http://mindhack2ch.com/archives/30041049.html

川端の文章は嫌いじゃないけれど,割と言葉足らず感が付きまとう気がする.俳句,短歌に通ずる最小限の文字で無限を表すぜ(オラオラ)的な.嫌いじゃないけど.あと,内容はスッカラカンの,「可愛い子がいた.萌える」とか,「こんな情景に美女がいたら良くね?」とか,心底どうでもいい自己陶酔系の小説が多くて,読んでいて萎える.

個人的な趣味を全開で語るなら,同じ海外文学系統組の堀辰雄の文章の方が美しい.「風立ちぬ」冒頭の「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった」の物語の起文としての美しさは至高.

あと,やっぱり,谷崎の文章は綺麗だと思う.こっちも内容はアレだけど.

2015年4月6日月曜日

意識の変節・補足

どうしてこうなった(笑).

もともと,特に書くネタがなくて,最近度々思うことがある「ちょっと三島を読んでみたくなった」ということをここ書こうと思っていただけだったのに,なんか,暴走してしまった.書いているうちにトランス状態みたいになったのは久し振り.あの記事中に出てくる「春の雪」が好きだった先輩のこととか,何年か振りに思い出したぜ(笑).

再来週には独身が終わることになって,なんかセンチメンタルになっているんだろうか?(笑)

2015年3月5日木曜日

うーむ

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4835382.html

スレでも挙ってるけれど,「夏の葬列」がクリーンナップに入っていないのは納得できない.あれ読んで,一時期,山川方夫にハマったなー.国語の教科書で初めて知ってハマった唯一の小説家だった.しかし,当時も今も,なんであの作品が教科書に選ばれたのかはいまいちわからないw