古典を必修から外す(かもしれない)というニュース.
古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.
教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.
与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)
で,冒頭の問題.
古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?
2019年2月7日木曜日
2019年1月20日日曜日
センター試験といえば,みたいなのも書いておく?
……とはいえ,結構,過去にもこういう振り返りはしている気がするし,その時より,当時の記憶は不鮮明になっているから,今更な気はする.
……と思って,ブログとかを振り返ってみたけれど,意外とセンター試験だけの思い出って書いてなかった(むしろ,二次試験の時期に思い出話書いている率が高い).
センター試験は,千葉大の理学部棟で受けたんじゃなかったかと思うんだけれど,自分の前後,しばらく,自分と同じ名字の人がずらっと並んでいて,「ああ,あんまり自覚なかったけれど,自分の名字ってやっぱり多かったんだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えている(同級生の同性の人との間(名前の頭文字「け」と「た」の間)に何人も人がいたので,それなりに多かったのだろう).一応,全国順位で 10 位前後(調査によってブレがある)なので.
まぁ,よく聞く「高橋部屋」とか「佐藤部屋」ほどではないけれど.ちょっと,衝撃的だった.
ちなみに,私は,下の名前も珍しくないので,漢字まで含めた同姓同名が結構います.一時期,同じ研究室に名字かぶりの人と名前かぶりの人がそれぞれいたくらいだしね.
……というか,これ,センター試験の思い出話から随分とずれてるね.というか,本当に記憶がない.
……と思って,ブログとかを振り返ってみたけれど,意外とセンター試験だけの思い出って書いてなかった(むしろ,二次試験の時期に思い出話書いている率が高い).
センター試験は,千葉大の理学部棟で受けたんじゃなかったかと思うんだけれど,自分の前後,しばらく,自分と同じ名字の人がずらっと並んでいて,「ああ,あんまり自覚なかったけれど,自分の名字ってやっぱり多かったんだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えている(同級生の同性の人との間(名前の頭文字「け」と「た」の間)に何人も人がいたので,それなりに多かったのだろう).一応,全国順位で 10 位前後(調査によってブレがある)なので.
まぁ,よく聞く「高橋部屋」とか「佐藤部屋」ほどではないけれど.ちょっと,衝撃的だった.
ちなみに,私は,下の名前も珍しくないので,漢字まで含めた同姓同名が結構います.一時期,同じ研究室に名字かぶりの人と名前かぶりの人がそれぞれいたくらいだしね.
……というか,これ,センター試験の思い出話から随分とずれてるね.というか,本当に記憶がない.
センター試験の日,らしい
というわけで,自分がセンター試験を受けた頃のことを,例のごとく,辿ってみようと思ったんだけれど,もう 17 年も前の話になるのね.
17 年前というと,いま,35 歳の私からすると,だいたい,人生の半分,折り返し地点になるわけだ.そういう意味では,それ以前の自分と,それ以降の自分は結構変わった生き方をしてきたような気がする.少なくとも,18 歳,高校 3 年の頃の自分は,自分が地質学者になるなんてこれっぽっちも考えていなかった.というか,地質学なんて学問は認識していなかった気がする.もっというと,化学とか物理とか,清廉な化学こそが美しいと思っていて,地質学みたいな雑で不細工なものに美学を見出していなかったというか(まぁ,この辺は長くなるので割愛).
そもそも,35 歳まで生きているつもりなんかなかったよね.そういう意味で,いま現在は,晩年,余生を生きているようなもんだし,実際,そう思っているから,その辺の,自分の生き方の芯の部分は変わっていないとも言えるのではないだろうか.
17 年前というと,いま,35 歳の私からすると,だいたい,人生の半分,折り返し地点になるわけだ.そういう意味では,それ以前の自分と,それ以降の自分は結構変わった生き方をしてきたような気がする.少なくとも,18 歳,高校 3 年の頃の自分は,自分が地質学者になるなんてこれっぽっちも考えていなかった.というか,地質学なんて学問は認識していなかった気がする.もっというと,化学とか物理とか,清廉な化学こそが美しいと思っていて,地質学みたいな雑で不細工なものに美学を見出していなかったというか(まぁ,この辺は長くなるので割愛).
そもそも,35 歳まで生きているつもりなんかなかったよね.そういう意味で,いま現在は,晩年,余生を生きているようなもんだし,実際,そう思っているから,その辺の,自分の生き方の芯の部分は変わっていないとも言えるのではないだろうか.
2018年9月9日日曜日
7 年ぶり 2 回目の話
9/6 未明に発生した平成 30 年胆振東部地震に札幌市内で巻き込まれたブログ主がこちらです.震災と呼ばれる規模の地震に被害の中心地近くで巻き込まれるのは 7 年ぶり 2 回目です.自宅は,札幌市内でもわりと早く電気が復活したので(9/7 未明頃?3 時に起きた時に通電を確認),現時点では,全くもって被害がなく,すでに日常感が溢れていますが,とりあえず「生きていますよ」という報告です.
記録というか備忘のために私の経験した出来事を時系列を残しておきましょう.半分以上,地質学会批判です(笑).これでも,だいぶ批判はマイルドにしたよ.
--
9/6 未明(3:00 頃):強烈な揺れで目覚める.とりあえず,寝所の両脇にあるものを抑えながら揺れが収まるのを待つ.揺れながら,「長いな.震度は 5 強〜6 弱かな.このくらいなら大したことないな」と思っていたが,この辺は,前震災の余震地獄で培った感覚.すぐに気象庁サイトで規模を確認したら,震度予想はドンピシャだった.
気象庁やら USGS やらのサイトで震源を確認し,「石狩東縁にしては深いな,1年くらい前にもこの辺のこの深さで揺れたな」ということを考える.そんなこんなの簡易的な情報収集をしているころ,揺れの 10〜20 分くらいあとに,(なんの前触れもなく)急に停電になって,「あれ?」と思う.地震による停電は,前回,経験済みなので,それと比べて違和感があった.とはいえ,夜中の 3 時に起きていても仕方がないので就寝(余震があろうが眠れるのも前回の震災で培った能力.嫁はろくに眠れなかったらしい).
9/6 6:30 頃.普段通り目覚める.停電から回復していないことを確認.うちは運良く,電気のみ不通の状態で,水は水圧分配なので無事,火についてはカセットコンロやらキャンプ用のガスストーブやらがゴロゴロしているのでいくらでも使えるという状況でした.
ラジコで NHK AM を確認すると,震源付近の斜面災害と全道停電という,想像以上に大きい被害状況を知る.と同時に,「今回の地質学会は飛んだな(確信)」と思う(9/5〜9/7 の日程で,地質学会の 125 周年記念大会が北大にて開催中でした).
とはいえ,本当に学会が飛んだか確認しないといけないので(ホスト側の実行委員の一人だったし,その日の午前に講演予定だったし),8:00 前に会場に「中止を確認に」行く.
会場について,今回の仕切りをやっている先生に「今日は当然中止ですよね?」と聞いたら,「午前 8:00 に停電が復帰しなければ午前中止.11:00 時点で復帰していなければ午後も中止.ポスターは貼っていてもいいことにする.電気が復帰すれば学会はできるでしょ?」などと,間の抜けた回答が帰ってきたので,思わず「(この状況で危機感がないとか)馬鹿ですか?」と返答してしまう.付き合いきれんと思いつつ,8:00 で停電継続,午前中止を確認してから,職場に移動する(講演予定があったので,一応,中止が確定するまではクソ茶番に付き合ったよ!).学会の連中は,地質災害の真っ只中で,地質学者が集まってワイワイしていたら,世の中にどう思われるのか理解できないのか,と.
職場に着くと,とりあえず,所員の安否確認とか,緊急調査の会議とか,現状被害の情報収集とか始まっていて,「当然だけれど,まぁ,地質関係機関として,これが正常な反応だよな……」と学会の対応が情けなくなる.
……その一方で,電気が来ていないので車庫から業務車が出せない(シャッターが手動で動かない),予備電源用のガソリン発電機のうち 2 台が整備不良で動かないという,情けない状況も発生(発電機が 1 台は動いたので,とりあえず,最低限の電源は確保できていたけれど).
諸々ありつつ,とりあえず,市内の被害状況(液状化など)を調査するチームが出ることになり,その第 2 班に選ばれたので,昼前くらいからマイカーで清田周辺の被災状況調査に出る(その辺の打ち合わせなどをしているうちに,学会は午後も中止,ポスターは貼っていいという状況になっていたらしい.どーでもえーわ).
そんなわけで,17:00 くらいまで,市内を緊急調査.液状化(噴砂,マンホールの浮上など),地割れ,建物の破断などの状況を調査.ニュースで取り上げられているいちばんひどい場所には,我々の班は行かなかった.
調査中,学会で来ていた師匠,元指導教官殿から安否を含め連絡があるが,「こういう状況なので対応できない」旨を伝えると,「そりゃそうだな.頑張れ」という反応だったので,この人たちはマトモな感覚だった,よかった,と思う.
帰庁時点で,学会がまだ完全中止になっていなくて「本当に阿呆だな」と思いつつ.いまだに職場の電源が復帰していないので,調査データをまとめるすべもないので,帰還命令がでる(電子管理ってこういう状況だと全然ダメね).
この時点で,停電の長期化が懸念されていたので,出遅れたものの,過度にはならない程度に備蓄食料などを確保する(もう,だいぶ出遅れていたけれど,会社が休みだった嫁が買った分と合わせて数日耐えられるだけのものは確保).
この時間くらいから電波塔の非常電源が切れ始めたのか,自宅周辺は携帯の電波が失われていたので,携帯の電源維持のため機内モードに移行(携帯の充電は,職場でできることになっていたけれど,一応,保守の意味も込めて).
帰宅中に八軒,琴似エリアの電気が一部回復していたことを確認していたので,このエリアに非常時連絡やら,物品の買い足しやらで外出(19:00〜20:30 頃).ついでに,師匠と元指導教官殿の状況等を電話で確認.
帰宅中,電気がない世界を歩くと,星がよく見えて,しばし見上げる.ふと周りを見渡すと,道行く人の多くが,なにかを諦めたような顔で,ものすごく綺麗な星空を見上げている,という状況.わかるよ.空を見上げるくらいしか,心が平穏を保てる瞬間はないのだよね.そういえば,震災下の仙台でも,こういう光景はみたな,と思い出す.
帰宅後,夕飯を食って,就寝(21:30 頃).
9/7 未明(3:00 過ぎ).ふと目覚める.外を見ると,自宅マンションの真下の信号がついているのに気付く.もしかしてと思い,自室のブレーカーを on にすると,通電(後でわかったけれど,札幌市内でも相当早い復帰だった模様.マンションの裏手に病院があるから?).
6:00 起床.学会が此の期に及んで,まだ中止を決めあぐねているのをみて,本当にどうしようもないな,と思いつつ,出勤準備.
8:00 一応,学会が中止になっていることを確認しに会場に寄る.当然,全行事の完全中止.元指導教官殿と少し会話し,昼頃に元指導教官殿と数名を空港に送ることを頼まれる.
出勤.前日と状況はあまり変わらず.前日は,緊急調査だったので(防災関連部署ではない)自分も調査に出たが,今日についてはお役御免だったので,所内の被害状況の調査など.
10:30〜 元指導教官殿ほか 3 名の送迎.ガソリンスタンドに並ぶ列などで猛烈な渋滞が発生している状況や,市内の交通状況を把握.前日の調査時よりは信号の復帰率が高かったけれど,幹線道路を通っているにも関わらず,3〜4 割程度しか信号は点いていない印象.ちなみに北大〜新千歳空港の往復で 3 時間以上かかった(高速は混んでいなかったが,市内と新千歳空港の乗降口の渋滞がひどかった).
車内で,「こんな状況で,ポスターセッションだけはやるとか馬鹿な提案をしたのは誰だ?」とか「意思決定が遅すぎた」という話をしていたのが,「え?この人がそれを把握していないのはどういうことなの?」という立場の人だったので,学会運営上の意思決定がメチャクチャだったのだということを実感.もちろん,口の悪い元指導教官殿にその旨突っ込まれていた.
14:00 頃に職場に復帰すると,庁内が通電していたので,前日の調査結果のまとめなど.その後,特にやることもなかったので,今回の地震のメカニズムの話とか,厚真の地すべりの話とかを上の人と一頻り議論.
18:00 前頃に帰宅.
なんか疲れていたので,その日から営業していた近所の馴染みの定食屋(断じてジャンヌではない)で,夕飯.定食屋のおばちゃん(近所在住)と雑談.
その時点で,自宅のインフラは完全な状態だったので,余震には気を付けつつも,自分の中で,日常宣言をだして,今回の震災は自分の中で終焉.もちろん,仕事上は,これから色々忙しくなるんだけれど,土日はゆっくりしようと思いつつ就寝(23:00 頃).
--
雑感として,今回の災害は,典型的な政治的人災だなと思っています.それは,不用意にベースロード電源の完全停止をしていたこととか,行政がエネルギー源の一極集中を放置していたこととか(石狩新港発電所の件は立場的に一般人の数億倍よく知っているので,指摘(と書いてクソリプと読む)等はいりません!),札幌市,ひいては北海道の地質災害に対する認識の甘さとか,市民の認識不足とか(この辺は道民の地質リテラシー向上の一角を担う我々の敗北でもある),(地震災害が多い地域の都市と比べて)札幌市の都市機構の脆弱さとか,そういうものを引っ括めた点からの総合的な結論です.少なくとも,震源近く以外で発生した状況は,この規模の地震程度で起こっていい事態ではなかったと確信しています.
私も,道の公的機関で,(諸々の紆余曲折がありつつ)「地域エネルギー」を冠する役職にいる人間ですので,今回の事態は手痛い反省材料になったと自覚しつつ,仕事に反映していきたいと(ちゃんと本心で)思っております.
記録というか備忘のために私の経験した出来事を時系列を残しておきましょう.半分以上,地質学会批判です(笑).これでも,だいぶ批判はマイルドにしたよ.
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9/6 未明(3:00 頃):強烈な揺れで目覚める.とりあえず,寝所の両脇にあるものを抑えながら揺れが収まるのを待つ.揺れながら,「長いな.震度は 5 強〜6 弱かな.このくらいなら大したことないな」と思っていたが,この辺は,前震災の余震地獄で培った感覚.すぐに気象庁サイトで規模を確認したら,震度予想はドンピシャだった.
気象庁やら USGS やらのサイトで震源を確認し,「石狩東縁にしては深いな,1年くらい前にもこの辺のこの深さで揺れたな」ということを考える.そんなこんなの簡易的な情報収集をしているころ,揺れの 10〜20 分くらいあとに,(なんの前触れもなく)急に停電になって,「あれ?」と思う.地震による停電は,前回,経験済みなので,それと比べて違和感があった.とはいえ,夜中の 3 時に起きていても仕方がないので就寝(余震があろうが眠れるのも前回の震災で培った能力.嫁はろくに眠れなかったらしい).
9/6 6:30 頃.普段通り目覚める.停電から回復していないことを確認.うちは運良く,電気のみ不通の状態で,水は水圧分配なので無事,火についてはカセットコンロやらキャンプ用のガスストーブやらがゴロゴロしているのでいくらでも使えるという状況でした.
ラジコで NHK AM を確認すると,震源付近の斜面災害と全道停電という,想像以上に大きい被害状況を知る.と同時に,「今回の地質学会は飛んだな(確信)」と思う(9/5〜9/7 の日程で,地質学会の 125 周年記念大会が北大にて開催中でした).
とはいえ,本当に学会が飛んだか確認しないといけないので(ホスト側の実行委員の一人だったし,その日の午前に講演予定だったし),8:00 前に会場に「中止を確認に」行く.
会場について,今回の仕切りをやっている先生に「今日は当然中止ですよね?」と聞いたら,「午前 8:00 に停電が復帰しなければ午前中止.11:00 時点で復帰していなければ午後も中止.ポスターは貼っていてもいいことにする.電気が復帰すれば学会はできるでしょ?」などと,間の抜けた回答が帰ってきたので,思わず「(この状況で危機感がないとか)馬鹿ですか?」と返答してしまう.付き合いきれんと思いつつ,8:00 で停電継続,午前中止を確認してから,職場に移動する(講演予定があったので,一応,中止が確定するまではクソ茶番に付き合ったよ!).学会の連中は,地質災害の真っ只中で,地質学者が集まってワイワイしていたら,世の中にどう思われるのか理解できないのか,と.
職場に着くと,とりあえず,所員の安否確認とか,緊急調査の会議とか,現状被害の情報収集とか始まっていて,「当然だけれど,まぁ,地質関係機関として,これが正常な反応だよな……」と学会の対応が情けなくなる.
……その一方で,電気が来ていないので車庫から業務車が出せない(シャッターが手動で動かない),予備電源用のガソリン発電機のうち 2 台が整備不良で動かないという,情けない状況も発生(発電機が 1 台は動いたので,とりあえず,最低限の電源は確保できていたけれど).
諸々ありつつ,とりあえず,市内の被害状況(液状化など)を調査するチームが出ることになり,その第 2 班に選ばれたので,昼前くらいからマイカーで清田周辺の被災状況調査に出る(その辺の打ち合わせなどをしているうちに,学会は午後も中止,ポスターは貼っていいという状況になっていたらしい.どーでもえーわ).
そんなわけで,17:00 くらいまで,市内を緊急調査.液状化(噴砂,マンホールの浮上など),地割れ,建物の破断などの状況を調査.ニュースで取り上げられているいちばんひどい場所には,我々の班は行かなかった.
調査中,学会で来ていた師匠,元指導教官殿から安否を含め連絡があるが,「こういう状況なので対応できない」旨を伝えると,「そりゃそうだな.頑張れ」という反応だったので,この人たちはマトモな感覚だった,よかった,と思う.
帰庁時点で,学会がまだ完全中止になっていなくて「本当に阿呆だな」と思いつつ.いまだに職場の電源が復帰していないので,調査データをまとめるすべもないので,帰還命令がでる(電子管理ってこういう状況だと全然ダメね).
この時点で,停電の長期化が懸念されていたので,出遅れたものの,過度にはならない程度に備蓄食料などを確保する(もう,だいぶ出遅れていたけれど,会社が休みだった嫁が買った分と合わせて数日耐えられるだけのものは確保).
この時間くらいから電波塔の非常電源が切れ始めたのか,自宅周辺は携帯の電波が失われていたので,携帯の電源維持のため機内モードに移行(携帯の充電は,職場でできることになっていたけれど,一応,保守の意味も込めて).
帰宅中に八軒,琴似エリアの電気が一部回復していたことを確認していたので,このエリアに非常時連絡やら,物品の買い足しやらで外出(19:00〜20:30 頃).ついでに,師匠と元指導教官殿の状況等を電話で確認.
帰宅中,電気がない世界を歩くと,星がよく見えて,しばし見上げる.ふと周りを見渡すと,道行く人の多くが,なにかを諦めたような顔で,ものすごく綺麗な星空を見上げている,という状況.わかるよ.空を見上げるくらいしか,心が平穏を保てる瞬間はないのだよね.そういえば,震災下の仙台でも,こういう光景はみたな,と思い出す.
帰宅後,夕飯を食って,就寝(21:30 頃).
9/7 未明(3:00 過ぎ).ふと目覚める.外を見ると,自宅マンションの真下の信号がついているのに気付く.もしかしてと思い,自室のブレーカーを on にすると,通電(後でわかったけれど,札幌市内でも相当早い復帰だった模様.マンションの裏手に病院があるから?).
6:00 起床.学会が此の期に及んで,まだ中止を決めあぐねているのをみて,本当にどうしようもないな,と思いつつ,出勤準備.
8:00 一応,学会が中止になっていることを確認しに会場に寄る.当然,全行事の完全中止.元指導教官殿と少し会話し,昼頃に元指導教官殿と数名を空港に送ることを頼まれる.
出勤.前日と状況はあまり変わらず.前日は,緊急調査だったので(防災関連部署ではない)自分も調査に出たが,今日についてはお役御免だったので,所内の被害状況の調査など.
10:30〜 元指導教官殿ほか 3 名の送迎.ガソリンスタンドに並ぶ列などで猛烈な渋滞が発生している状況や,市内の交通状況を把握.前日の調査時よりは信号の復帰率が高かったけれど,幹線道路を通っているにも関わらず,3〜4 割程度しか信号は点いていない印象.ちなみに北大〜新千歳空港の往復で 3 時間以上かかった(高速は混んでいなかったが,市内と新千歳空港の乗降口の渋滞がひどかった).
車内で,「こんな状況で,ポスターセッションだけはやるとか馬鹿な提案をしたのは誰だ?」とか「意思決定が遅すぎた」という話をしていたのが,「え?この人がそれを把握していないのはどういうことなの?」という立場の人だったので,学会運営上の意思決定がメチャクチャだったのだということを実感.もちろん,口の悪い元指導教官殿にその旨突っ込まれていた.
14:00 頃に職場に復帰すると,庁内が通電していたので,前日の調査結果のまとめなど.その後,特にやることもなかったので,今回の地震のメカニズムの話とか,厚真の地すべりの話とかを上の人と一頻り議論.
18:00 前頃に帰宅.
なんか疲れていたので,その日から営業していた近所の馴染みの定食屋(断じてジャンヌではない)で,夕飯.定食屋のおばちゃん(近所在住)と雑談.
その時点で,自宅のインフラは完全な状態だったので,余震には気を付けつつも,自分の中で,日常宣言をだして,今回の震災は自分の中で終焉.もちろん,仕事上は,これから色々忙しくなるんだけれど,土日はゆっくりしようと思いつつ就寝(23:00 頃).
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雑感として,今回の災害は,典型的な政治的人災だなと思っています.それは,不用意にベースロード電源の完全停止をしていたこととか,行政がエネルギー源の一極集中を放置していたこととか(石狩新港発電所の件は立場的に一般人の数億倍よく知っているので,指摘(と書いてクソリプと読む)等はいりません!),札幌市,ひいては北海道の地質災害に対する認識の甘さとか,市民の認識不足とか(この辺は道民の地質リテラシー向上の一角を担う我々の敗北でもある),(地震災害が多い地域の都市と比べて)札幌市の都市機構の脆弱さとか,そういうものを引っ括めた点からの総合的な結論です.少なくとも,震源近く以外で発生した状況は,この規模の地震程度で起こっていい事態ではなかったと確信しています.
私も,道の公的機関で,(諸々の紆余曲折がありつつ)「地域エネルギー」を冠する役職にいる人間ですので,今回の事態は手痛い反省材料になったと自覚しつつ,仕事に反映していきたいと(ちゃんと本心で)思っております.
2018年8月19日日曜日
せまい有限
最近,立て続けに貴重な文献や記録が廃棄されてしまったというニュースを耳にする.それについて,批判をするのはたやすいし,(特に大学や研究機関に対して)「それでも学問の府か」と批判したくなる気持ちもわからないわけではない.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
2018年8月9日木曜日
環境を取り巻くあれこれの話
お久し振りの更新.なんとなく,今後書きたいことととかの準備的な話.
アカデミアの中心部から離れて久しい人間ですが,学会なんかに参加すると.未だに「大学に戻る気はないの?」と声を掛けてくださる先生もいらっしゃいます(場合によっては「〇〇のプロジェクトで歩ける PD が必要」などの具体的な話を合わせて).自分のようなアウトプットも少なく,大した業績もない人間を覚えていて下さり,(冗談交じりでも)そういう形の声を掛けていただくのは大変光栄で,ありがたいのですが,今のところ,自分の意思で大学に戻る気はありません.
それは,現状の安穏としたパーマネント研究職にしがみつきたいからとか,最近の大学周りの行政的なあれこれとか,教育をしたくないとか,自分の能力的な問題とかではなく,大学以外の研究機関という今の職場に入ったときに見えた学問世界の景色を大切にしたいというのが大きな理由です.
というような話を色々と考えています.
アカデミアの中心部から離れて久しい人間ですが,学会なんかに参加すると.未だに「大学に戻る気はないの?」と声を掛けてくださる先生もいらっしゃいます(場合によっては「〇〇のプロジェクトで歩ける PD が必要」などの具体的な話を合わせて).自分のようなアウトプットも少なく,大した業績もない人間を覚えていて下さり,(冗談交じりでも)そういう形の声を掛けていただくのは大変光栄で,ありがたいのですが,今のところ,自分の意思で大学に戻る気はありません.
それは,現状の安穏としたパーマネント研究職にしがみつきたいからとか,最近の大学周りの行政的なあれこれとか,教育をしたくないとか,自分の能力的な問題とかではなく,大学以外の研究機関という今の職場に入ったときに見えた学問世界の景色を大切にしたいというのが大きな理由です.
というような話を色々と考えています.
2017年2月13日月曜日
無為
航空券の特典ポイントと宿泊斡旋サイトのポイントが大量にたまっていたうえに,年度末に期限切れを迎えるポイントがあるというので,なんの意味も目的もなく,とりあえず,時間を潰すことはできるという理由だけで,東京に遊びに来た.旅費はゼロ.
とりあえず,六区周辺をぶらついて,科博に行って,寄席によって,スカイツリーに登ってきた.
そうそう,昔は,適当に学校サボって一人でこういう風にぶらついてたよな,とか思いつつ(高校時代と学部生時代と仙台時代),たぶん,たまに,こういう時間を取らないと,いろいろダメになる気がしつつ.割と,仕事のことは忘れて楽しみました.
とりあえず,六区周辺をぶらついて,科博に行って,寄席によって,スカイツリーに登ってきた.
そうそう,昔は,適当に学校サボって一人でこういう風にぶらついてたよな,とか思いつつ(高校時代と学部生時代と仙台時代),たぶん,たまに,こういう時間を取らないと,いろいろダメになる気がしつつ.割と,仕事のことは忘れて楽しみました.
2016年6月30日木曜日
選挙の時期になると
思い出すのは,はじめて幸福の科学が選挙に出馬し始めたときに,幸福実現党から出馬されて惨敗した,自分が出た大学(その 2)の大先輩であるところの元微古生物屋の T さんとか M さんとか,いま,何してんのかな,とか思い出す.
あと,その大学にいた頃に,非常勤講師をしていたのに,何に目覚めたのか(というか,目覚めていたのは知ってた),昨年の宮城県議会議員選で自民の推薦を受けて出馬した O さん(有機地球科学者)とか,いま,どうしてるんだろう?大学戻ったのかな?
あと,その大学にいた頃に,非常勤講師をしていたのに,何に目覚めたのか(というか,目覚めていたのは知ってた),昨年の宮城県議会議員選で自民の推薦を受けて出馬した O さん(有機地球科学者)とか,いま,どうしてるんだろう?大学戻ったのかな?
2016年4月24日日曜日
いまの学生
自分の母校(大学)の敷地内にえぐりこむような形で配置されている職場に通っていると,どうしても,自分の後輩にあたる子供達の様々な姿が目に入ってしまう.それは,楽しいことでもあり,懐かしさと郷愁で物悲しい気分になることでもある.僕は,年を取ってしまった……(といいつつ,基本的に 10 年以上,大学に所属していて,すぐに現職場 [not 大学] に入ったので高校卒業以来,大学から物理的に離れたことはないのだけれど).
先日,ふとしたことで,新入生向けの某大学(と伏せる意味があるとは思えないけれど)紹介パンフレットみたいなものを眺める機会があって,なんか,隔世を感じてしまった.
もちろん,校風とか伝統とか変わっていない部分はあるんだけれど,根本的なところで,僕らの頃と「大学生像」が大きく変わっているのを感じた.
僕らの大学生初年度の頃は,まだ,意識が高くて(系じゃないよ),それなりにリアルを充実させているような大学生というのが理想像として存在した気がする(今風に言えば,みんな意識が高いリア充に恥ずかしげもなくなりたがっていたということ.そして,彼女が欲しかったし,セックスがしたかった.それが恥ずかしいことではなかった).
級友と図書館で試験勉強するのとか(その時に頑張って女の子のグループを誘ったりして.特定の教科に強いやつとかがいるといい口実になったw),大学生になったからというきっかけで哲学書を持ち歩いたりとか,わからなくてもそういう本を乱読したりとか(そんな乱読が未だに教養として生きていたりする),ある日唐突に特定の学問にのめり込んで勉強しまくったり,いかにその学問が面白いか語りあったり,夜通し酒(もちろん,某大生なので SS)を飲んで(その頃はまだ飲んでた.その頃のやらかしのせいで今は一切飲まない.もちろん,元々,強くはなかったけれど)男友達と下らないエロ話から学問のこと,社会のことまで議論したりして朝を迎えてしまうとか,下らないことで殴り合いの喧嘩をしたのはいいけれど,数日経つとなんであんなにいがみあったのか忘れて,また仲直りの酒を飲んだりとか,バイトで金を稼いで友達とすすきのに繰り出したりだとか(色んな意味で),適度にサークルで遊んだりだとか,合コンに繰り出したりだとか,そういう姿が「大学生像」として確固なものだった.その一方で,サークルにのめり込んで落第したりとか,すごいマニアックなことに偏執的にハマってみたりだとか,ふらっと授業を抜け出して(そこまでは恥ずかしくて言えなかったけれど,結局のところ「自分探しの」)旅に出てみたりだとか,そういう大学生像もあったり.ともかく,そのころの僕らに共通していたのは,リアルにそこにいる・あること以外には大きな価値を感じないというのが大学生の基本的な価値観だったということだと思う(もちろん,今風のオタクとかアキバ文化というのは,僕くらいの世代が奔りではあって,そういう人たちもいたけれど,もっと謙虚だったというか,それはそれ,リアルはリアルと使い分けるのが最低限の礼儀だった気がする).
因みに,インターネットは,ちょうど,テキストサイト全盛期で(少し後にフラッシュ黄金時代),時々,話題になることはあったけれど,決して日常的話題のメインストリームじゃなかった.ただ,さるさる日記とか,日記系のサービスがあって,みんなそんなところで日記を書いたりとか,HTML 手打ちで個人サイトを持って,リンクし合うなんていう,今でいう SNS の手工業版みたいなことをやっていた.僕も HTML 手打ちの個人サイトとか持ってた.今も,その当時のものがネットの海のどこかに漂っているけれど.
そんなのも,もう,15 年くらい前の話だ…….
いいとか悪いとかではなく,最近の大学生像は,とにかく 2ch 的なものに代表されるインターネットの世界や SNS が練り上げてきた価値観が,すべての前提とされていて(僕の頃は 2ch なんてできたばっかりだった.SNS やブログに至っては存在すらしていなかった),オタク(と称するただのアニメ視聴者)とかぼっちとか,そういうものを肯定的に……というか,一定の地位を持ったキャラクターとして認識していたりして(この辺の感覚が,僕らの世代が感じるぼっち感とすごくかけ離れている.一定の地位があったら,ぼっちじゃないじゃん,とか),逆に,僕らの頃の理想像としてあった「リアルを充実させる」ことに憧れたり,そのために努力したりするのは格好悪いみたいな風潮があるみたいだ(意識高い系の揶揄とか.「系」だったら叩いていい,みたいな風潮も僕はそんなに好きではない).
もちろん,僕らの世代も,もっと上の世代から,学生の姿が変わった,という言われ方をしてきたし,変わることが悪いなんてことは絶対にないけれど,十数歳の年の差で,もう,価値観が相入れなくなってしまっているという事実が,自分の老いを認めるようで悲しいのだ.
なんか,書きながら,猛烈に大学の教養時代のことを思い出してしまって,異常に長くなってしまった.
先日,ふとしたことで,新入生向けの某大学(と伏せる意味があるとは思えないけれど)紹介パンフレットみたいなものを眺める機会があって,なんか,隔世を感じてしまった.
もちろん,校風とか伝統とか変わっていない部分はあるんだけれど,根本的なところで,僕らの頃と「大学生像」が大きく変わっているのを感じた.
僕らの大学生初年度の頃は,まだ,意識が高くて(系じゃないよ),それなりにリアルを充実させているような大学生というのが理想像として存在した気がする(今風に言えば,みんな意識が高いリア充に恥ずかしげもなくなりたがっていたということ.そして,彼女が欲しかったし,セックスがしたかった.それが恥ずかしいことではなかった).
級友と図書館で試験勉強するのとか(その時に頑張って女の子のグループを誘ったりして.特定の教科に強いやつとかがいるといい口実になったw),大学生になったからというきっかけで哲学書を持ち歩いたりとか,わからなくてもそういう本を乱読したりとか(そんな乱読が未だに教養として生きていたりする),ある日唐突に特定の学問にのめり込んで勉強しまくったり,いかにその学問が面白いか語りあったり,夜通し酒(もちろん,某大生なので SS)を飲んで(その頃はまだ飲んでた.その頃のやらかしのせいで今は一切飲まない.もちろん,元々,強くはなかったけれど)男友達と下らないエロ話から学問のこと,社会のことまで議論したりして朝を迎えてしまうとか,下らないことで殴り合いの喧嘩をしたのはいいけれど,数日経つとなんであんなにいがみあったのか忘れて,また仲直りの酒を飲んだりとか,バイトで金を稼いで友達とすすきのに繰り出したりだとか(色んな意味で),適度にサークルで遊んだりだとか,合コンに繰り出したりだとか,そういう姿が「大学生像」として確固なものだった.その一方で,サークルにのめり込んで落第したりとか,すごいマニアックなことに偏執的にハマってみたりだとか,ふらっと授業を抜け出して(そこまでは恥ずかしくて言えなかったけれど,結局のところ「自分探しの」)旅に出てみたりだとか,そういう大学生像もあったり.ともかく,そのころの僕らに共通していたのは,リアルにそこにいる・あること以外には大きな価値を感じないというのが大学生の基本的な価値観だったということだと思う(もちろん,今風のオタクとかアキバ文化というのは,僕くらいの世代が奔りではあって,そういう人たちもいたけれど,もっと謙虚だったというか,それはそれ,リアルはリアルと使い分けるのが最低限の礼儀だった気がする).
因みに,インターネットは,ちょうど,テキストサイト全盛期で(少し後にフラッシュ黄金時代),時々,話題になることはあったけれど,決して日常的話題のメインストリームじゃなかった.ただ,さるさる日記とか,日記系のサービスがあって,みんなそんなところで日記を書いたりとか,HTML 手打ちで個人サイトを持って,リンクし合うなんていう,今でいう SNS の手工業版みたいなことをやっていた.僕も HTML 手打ちの個人サイトとか持ってた.今も,その当時のものがネットの海のどこかに漂っているけれど.
そんなのも,もう,15 年くらい前の話だ…….
いいとか悪いとかではなく,最近の大学生像は,とにかく 2ch 的なものに代表されるインターネットの世界や SNS が練り上げてきた価値観が,すべての前提とされていて(僕の頃は 2ch なんてできたばっかりだった.SNS やブログに至っては存在すらしていなかった),オタク(と称するただのアニメ視聴者)とかぼっちとか,そういうものを肯定的に……というか,一定の地位を持ったキャラクターとして認識していたりして(この辺の感覚が,僕らの世代が感じるぼっち感とすごくかけ離れている.一定の地位があったら,ぼっちじゃないじゃん,とか),逆に,僕らの頃の理想像としてあった「リアルを充実させる」ことに憧れたり,そのために努力したりするのは格好悪いみたいな風潮があるみたいだ(意識高い系の揶揄とか.「系」だったら叩いていい,みたいな風潮も僕はそんなに好きではない).
もちろん,僕らの世代も,もっと上の世代から,学生の姿が変わった,という言われ方をしてきたし,変わることが悪いなんてことは絶対にないけれど,十数歳の年の差で,もう,価値観が相入れなくなってしまっているという事実が,自分の老いを認めるようで悲しいのだ.
なんか,書きながら,猛烈に大学の教養時代のことを思い出してしまって,異常に長くなってしまった.
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