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2022年6月1日水曜日

相似な事象

 10数年前から観測されているけれど,ここ数年に顕著になった事例のひとつに「ファスト映画(※)」がある.映像の n 倍速再生とかも,この仲間かな.

※大前提である著作権侵害とかの部分は,今回の話と関係ないので,とりあえず置いておく.

私は,バックボーンとして元映画オタで,映像作品が大好きなので,そもそも,単にあらすじだけを追いかけるようなコンテンツ消費とか,n 倍速して「作られた時間」を無視するような視聴姿勢などを理解できないし,いかなる理由でも賛同するつもりは一切ないです.別に,そういう人と喧嘩する気はないけれど,根本的な思想や宗教が違う人なんだと思います.

ただ,よく考えると,近年になって動画編集技術が簡易化したり,機器に n 倍速再生機能が標準化したことで,いわば「要約」「時短」界の最後の牙城だった映像コンテンツが要約できるようになってきたので,こういう議論が沸き上がっているだけだよな,と最近になって気付きました.

昔から,相似な事象はいっぱいあって,はるか昔から長編小説のダイジェスト版みたいなものはあったし,様々なジャンルで「n 分で完全理解」みたいなものはベストセラーになってきたわけです.もう少し広げると,例えば,音楽を聴いているときに主旋律やボーカルの歌だけを聴く人とか,絵を眺めているときに背景知識などに一切興味を持たずに絵面だけを眺めて通過してしまう人なども,対象とする媒体は違っても,全体を構成するもののなかで目立つものを消費して終わるという意味で,同じ種類の人で,それらは古くからいるし,誰もがなにがしかのジャンルにはそういう態度を取っている面があるのだなと気付きました.だって,例えば,ほとんどの人は,その辺に落ちている適当な石ころを眺めて楽しむこととかできないでしょ?(私は地質の知識があるので,かなり楽しめる)

まぁ,そういった触り方しかする気がないジャンルに,わざわざ手を出す理由も分からないし,あらゆるものに対して触ることくらいしかしない人は,最早,理解の外だけど.

2022年5月25日水曜日

シン・ウルトラマン

世代的にはまったく「ウルトラマン」直撃世代ではないんですけれど,子供の頃,再放送でみていたウルトラマンが大好きだった人です.ほかの特撮に,さほど思い入れはなかったし,一部を除いて(※),覚えてもいないんだけれど,ウルトラマンだけは好きだったんです.不思議.

(※仮面ライダーでいえばBlack~RX 世代,リアルタイムにウルトラシリーズはない時代なので,特撮的には谷間世代)

で,まぁ,「シン・ウルトラマン」をみてきたわけです.

……なんだろう.知ってはいたんですが,この映画,なんかダメでした.どこがどうダメかとか,具体的にいいつのることはできるんだけれど,そういうことをする気も起きないくらいダメ.たぶんだけれど,制作陣と私の間のウルトラマンとか科特隊とか怪獣とかに感じていた「カッコよさ」が根本的にズレているんだろうな,という感じ.

私は子供時代に「ウルトラマン」を子供として楽しんでいたきりだったのに対して(※※),一定程度に成熟した後にも「ウルトラマン」を繰り返してみていた特撮オタクとの差なのかな,と.

(※※子供時代とはいえ,何度も録画をみていたし,記憶力がいい子だったので,いまでもストーリーの詳細を思い出せる程度には覚えている)

ちなみに,同行者が,「ウルトラマン」を全く通ったことがない人だったけれど,私みたいに「ダメ」「肌に合わない」ってほどの拒否感はなさそうだったけれど,「普通」「特段,面白いと思わない」くらいの感じでした.なお,帰り道で映画のネタ元というか,原作の話をしたら,「旧作をみたくなった」とのことなので,旧作のプロモーションムービーとしては意味があったのかもしれませんね.

2020年3月21日土曜日

ばるぼら

手塚漫画の中で最も好きなものを1つ挙げろと言われたら,一瞬の迷いもなく「ばるぼら」と即答できるくらい,「ばるぼら」が好きです.というか,手塚漫画に限らず,あらゆる創作物のなかでもトップクラスに好きです.

で,それが映画化されたということを,ついさっき知ったわけです.

意外に思われるかもしれませんが,美倉センセを稲垣吾郎氏が演じるというのは悪くない配役だなと思ったのですが,予告編を見る限りだと,バルボラ役が…….そもそも,日本人なの?という.

手塚眞氏は,まぁ,親の七光以外のなにものでもない三流〜二流の映像作家なので,演出面は何の期待もしていないのですが(「白痴」は結構頑張っていたと思うけれど),'90 年代香港映画(日本映画を抜き去った頃)を特徴付ける,あの雑然とした雰囲気を色(淡い青味,赤味を行き来する感じ)をコントロールして鮮烈な印象を持った映像に切り取るという技術で一世を風靡したドイルの撮影という点は期待が持たれる.

※有名どころは「恋する惑星」「ブエノスアイレス」あたり.とんと映画から離れているので,最近のはあまり見ていない.

2019年9月22日日曜日

たぶん疲れている

唐突に自分の愛している美しいものに触れながら死んでしまいたくなる時がある.純粋に美しいとしか思わないようなもの.

映画なら,「天国の日々」とか.
音楽なら,ゲンズブールとバーキンの作り出した世界とか.
詩なら,立原道造とか.
小説なら,「斜陽」……いや,「風立ちぬ」,「冬」,「死のかげの谷」……,それとも「美しい村」か「菜穂子」か.

こんな風に,美しいものを並べてみたとき,これらの美しい世界が自分より若い人間によって生み出されていたのだと思うと,どんよりと頭が重くなるのを感じる.

……こういうときは,たぶん,疲れている.

2019年8月25日日曜日

乙女ども

「荒ぶる〜(原作)」が佳境.思春期と性の女視点もので,狭い人間関係の中でドロドロとさせたところをどうやって解決するのかと思ったら,学校バリ封とか,ファンタジーに走って,大事の中の小事にしてしまったのが残念でならない.

2019年2月7日木曜日

前の記事

いつのニュースだったかなと思って,調べたら 2012 年のニュースだったらしい.

そして,そのニュースそのものをネタにした映像作品を撮っている人がいた(前の記事で触れた映画とは完全に別物).でも,なんか,「若者の不満が〜」みたいな感じで,「バカだからどこまでも美しい」という,僕の美的感覚とは相容れない感じだった.そもそも,モチーフをアレンジもせずにそのまま作品にするとか,センスないよね.

でも,やっぱり,あの事件は,ものを作る人間の心を揺さぶるのだなぁ,と.

2019年2月6日水曜日

夜のプールと金魚と女子高生

だいぶ前に,夜の学校のプールに女子高生が忍び込んで金魚をプールに放して泳ごうとしているところを,不法侵入で逮捕だか補導だかされた,というニュースがあった.

なんか,その「夜」「学校のプール」「金魚と泳ぐ女子高生」っていう単語の並びから想像される情景が,あまりにもバカバカしくて,美しくて,エロくて,青春で,いつかこの情景をモチーフにした小説とか書きたいと思ったものだった.

で,最近知ったんだけれど,すでに「学校のプールで金魚と泳ぐ女子高生」って映像を撮っている人がいた.完全にツボが一緒の人っているものなのね(笑).ちなみに,その映像(たぶん映画)が,いつ頃の作品なのかとか知らないのと,くだんのニュースがいつのものだったのか記憶が曖昧なので,もしかしたら,事象の前後関係が逆なのかもしれない(映画に影響された女子高生がやらかした).

ちなみに,僕の中で,このニュースが強烈な印象を残しているのは,オチとして「金魚を放して一緒に泳いだらすごく綺麗だと思っていたけれど,実際には,暗すぎて何も見えなかった」みたいな捕まった女子高生のコメントが載せられていたせい.

もう,バカすぎて,何もかも超越した美しさ,尊さだと思わない?

2019年1月20日日曜日

センター試験の日,らしい

というわけで,自分がセンター試験を受けた頃のことを,例のごとく,辿ってみようと思ったんだけれど,もう 17 年も前の話になるのね.

17 年前というと,いま,35 歳の私からすると,だいたい,人生の半分,折り返し地点になるわけだ.そういう意味では,それ以前の自分と,それ以降の自分は結構変わった生き方をしてきたような気がする.少なくとも,18 歳,高校 3 年の頃の自分は,自分が地質学者になるなんてこれっぽっちも考えていなかった.というか,地質学なんて学問は認識していなかった気がする.もっというと,化学とか物理とか,清廉な化学こそが美しいと思っていて,地質学みたいな雑で不細工なものに美学を見出していなかったというか(まぁ,この辺は長くなるので割愛).

そもそも,35 歳まで生きているつもりなんかなかったよね.そういう意味で,いま現在は,晩年,余生を生きているようなもんだし,実際,そう思っているから,その辺の,自分の生き方の芯の部分は変わっていないとも言えるのではないだろうか.

2019年1月14日月曜日

元号

ついでで言っておくと,個人的には,元号を意地でも(実用面でも)続けるという態度は嫌いじゃない.ただし,過去にたった 4 回しかやっていない「一世一元」という伝統(笑)にこだわるとか言っている人は滅んで欲しい.というか,とっとと決めて発表しろ.

公的書類とか,いろんな場で,西暦と元号が両方とも使われるのは,確かに不便で面倒なんだ.ただ,不便だし,面倒臭いんだけれど,その面倒くささを感じられるという感覚を利便性の名の下に失いたくはないんだよね.

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.