古典を必修から外す(かもしれない)というニュース.
古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.
教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.
与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)
で,冒頭の問題.
古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?
2019年2月7日木曜日
2019年2月6日水曜日
夜のプールと金魚と女子高生
だいぶ前に,夜の学校のプールに女子高生が忍び込んで金魚をプールに放して泳ごうとしているところを,不法侵入で逮捕だか補導だかされた,というニュースがあった.
なんか,その「夜」「学校のプール」「金魚と泳ぐ女子高生」っていう単語の並びから想像される情景が,あまりにもバカバカしくて,美しくて,エロくて,青春で,いつかこの情景をモチーフにした小説とか書きたいと思ったものだった.
で,最近知ったんだけれど,すでに「学校のプールで金魚と泳ぐ女子高生」って映像を撮っている人がいた.完全にツボが一緒の人っているものなのね(笑).ちなみに,その映像(たぶん映画)が,いつ頃の作品なのかとか知らないのと,くだんのニュースがいつのものだったのか記憶が曖昧なので,もしかしたら,事象の前後関係が逆なのかもしれない(映画に影響された女子高生がやらかした).
ちなみに,僕の中で,このニュースが強烈な印象を残しているのは,オチとして「金魚を放して一緒に泳いだらすごく綺麗だと思っていたけれど,実際には,暗すぎて何も見えなかった」みたいな捕まった女子高生のコメントが載せられていたせい.
もう,バカすぎて,何もかも超越した美しさ,尊さだと思わない?
なんか,その「夜」「学校のプール」「金魚と泳ぐ女子高生」っていう単語の並びから想像される情景が,あまりにもバカバカしくて,美しくて,エロくて,青春で,いつかこの情景をモチーフにした小説とか書きたいと思ったものだった.
で,最近知ったんだけれど,すでに「学校のプールで金魚と泳ぐ女子高生」って映像を撮っている人がいた.完全にツボが一緒の人っているものなのね(笑).ちなみに,その映像(たぶん映画)が,いつ頃の作品なのかとか知らないのと,くだんのニュースがいつのものだったのか記憶が曖昧なので,もしかしたら,事象の前後関係が逆なのかもしれない(映画に影響された女子高生がやらかした).
ちなみに,僕の中で,このニュースが強烈な印象を残しているのは,オチとして「金魚を放して一緒に泳いだらすごく綺麗だと思っていたけれど,実際には,暗すぎて何も見えなかった」みたいな捕まった女子高生のコメントが載せられていたせい.
もう,バカすぎて,何もかも超越した美しさ,尊さだと思わない?
2018年11月28日水曜日
ばんぱくばんざい
大戦で一度荒廃した日本が東京オリンピックと大阪万博で輝かしく花開いて,東京オリンピックと大阪万博で花と散るのではないかと思うと,すごい話だな,と思います.
あ,誤解されないように言っておくと,万博そのものは日本でやるなら眺めに行っても面白いかも,くらいには楽しみです.五輪はべつに…….
あと,(同意見多数だと思うけれど)浦沢直樹が「今時,万博って……(意訳)」という発言をしたってニュースが地味にツボ.
あ,誤解されないように言っておくと,万博そのものは日本でやるなら眺めに行っても面白いかも,くらいには楽しみです.五輪はべつに…….
あと,(同意見多数だと思うけれど)浦沢直樹が「今時,万博って……(意訳)」という発言をしたってニュースが地味にツボ.
2018年8月28日火曜日
初音ミクとの結婚とかの話
二次元キャラとの結婚についていつも思うんだけれど,結婚という,本来,当事者2人が合意のうえで手続きする制度に対して,片方の欲求に従って結婚という自己満足を得る行為って,あまりに一方的かつ暴力的な感情過ぎて,少し引く(ただし,ラブプラスを除く).
非実在少女の人権とかそういうことをいうつもりはないんだけれど,キャラと結婚したいと感じる程度にキャラを「人扱い」する(させる)のに対して,キャラが「自分と結婚したい」と思っているという思い込みの暴力的な傲慢さというか,キャラを「人扱い」するのに対して,キャラの「感情」は自分勝手に規定しているというダブルスタンダード状態とか,なんか,そういう部分が受け入れられない.
2ch のコピペだったか,同人作品だったかで,「物語に入り込める能力」を手にしたおっさんが,物語に入って好きなキャラに出会ったけれど,その好きなキャラは「物語上の思い人」を求めていた……みたいなネタがあったけれど,そういう感じ.
非実在少女の人権とかそういうことをいうつもりはないんだけれど,キャラと結婚したいと感じる程度にキャラを「人扱い」する(させる)のに対して,キャラが「自分と結婚したい」と思っているという思い込みの暴力的な傲慢さというか,キャラを「人扱い」するのに対して,キャラの「感情」は自分勝手に規定しているというダブルスタンダード状態とか,なんか,そういう部分が受け入れられない.
2ch のコピペだったか,同人作品だったかで,「物語に入り込める能力」を手にしたおっさんが,物語に入って好きなキャラに出会ったけれど,その好きなキャラは「物語上の思い人」を求めていた……みたいなネタがあったけれど,そういう感じ.
2018年8月19日日曜日
せまい有限
最近,立て続けに貴重な文献や記録が廃棄されてしまったというニュースを耳にする.それについて,批判をするのはたやすいし,(特に大学や研究機関に対して)「それでも学問の府か」と批判したくなる気持ちもわからないわけではない.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
2018年8月9日木曜日
2017年3月20日月曜日
Chuck Berry
Chuck Berry が死んだ.大往生なので,悲しいとか,そういう感情ではないんだけれど,ロックの歴史そのもののような人であって,かなり最近まで元気に演奏している姿を見せていてくれた人でもあって,なんか,不思議な喪失感がある.
でも,この世間的な訃報の扱われなさはなんなんだろう.
ロックが好きなので,わざわざ言うまでもなく,Chuck Berry は大好きだった.言うまでもなく,ロックンロールの草創期の巨人の一人であり,その中でも,頭一つ抜けたロックンロールそのものという人だったと思う.ロックの殿堂の選出理由を挙げるまでもなく,ロックの始祖に限りなく近い存在なのは間違いない.
ロックなんて概念のない時代,持ち前のポップなセンスとリフスタイルのギタープレイで,明確に「若者」と「ダンス」に焦点を絞って R & B を別次元へ押し上げたことが最大の功績.何が言いたいかというと,同時期のロック創始者と呼ばれる人々の演奏の中でも抜きん出て,いまでも通用する "ロックらしさ" を感じさせるということ自体が,Chuck Berry という存在の大きさそのものだと思う(いまでも通用するというのは,曲がではなくて,いわば,いまでも "Rock or not" の試金石になっているということ.流石に Chuck Berry 大好きな私でも,古臭い曲であることはわかっている).
例えば,リフロックの教科書の様な Johnny B. Goode や Rock and Roll Music をカバーするミュージシャンは,現在でも少なくないだろうけれど,Buddy Holly や "KING" Elvis の曲をカバーするアーティストはほとんどいない(もちろん,不幸な飛行機事故がなければ Buddy Holly だってそういう存在になっていただろうけれど).例えば,ダッグウォークに代表される特徴的な歩き方での観客の煽り方,ソロの時に縦にしたギターを高く掲げる姿,ギターを上下に揺するような演出などなど,いまでも見かけるロックギタリストのアクションの基礎も作った(もちろん,ロックの胎動がはじまる頃のミュージシャンの総体的な産物ではあるけれど,間違いなくいまに伝えた功績は Chuck Berry のものだ).
それなのに,この訃報の軽い扱いはなんなんだろう.少なくとも,日本では,ほぼ話題になっていないといっていいレベルに感じる.なんだか,それがロックそのものの衰退の象徴のようで,なんだか,妙に悲しい.
個人的に,一番大好きな,Sweet Little Sixteen を聞きながら.
でも,この世間的な訃報の扱われなさはなんなんだろう.
ロックが好きなので,わざわざ言うまでもなく,Chuck Berry は大好きだった.言うまでもなく,ロックンロールの草創期の巨人の一人であり,その中でも,頭一つ抜けたロックンロールそのものという人だったと思う.ロックの殿堂の選出理由を挙げるまでもなく,ロックの始祖に限りなく近い存在なのは間違いない.
ロックなんて概念のない時代,持ち前のポップなセンスとリフスタイルのギタープレイで,明確に「若者」と「ダンス」に焦点を絞って R & B を別次元へ押し上げたことが最大の功績.何が言いたいかというと,同時期のロック創始者と呼ばれる人々の演奏の中でも抜きん出て,いまでも通用する "ロックらしさ" を感じさせるということ自体が,Chuck Berry という存在の大きさそのものだと思う(いまでも通用するというのは,曲がではなくて,いわば,いまでも "Rock or not" の試金石になっているということ.流石に Chuck Berry 大好きな私でも,古臭い曲であることはわかっている).
例えば,リフロックの教科書の様な Johnny B. Goode や Rock and Roll Music をカバーするミュージシャンは,現在でも少なくないだろうけれど,Buddy Holly や "KING" Elvis の曲をカバーするアーティストはほとんどいない(もちろん,不幸な飛行機事故がなければ Buddy Holly だってそういう存在になっていただろうけれど).例えば,ダッグウォークに代表される特徴的な歩き方での観客の煽り方,ソロの時に縦にしたギターを高く掲げる姿,ギターを上下に揺するような演出などなど,いまでも見かけるロックギタリストのアクションの基礎も作った(もちろん,ロックの胎動がはじまる頃のミュージシャンの総体的な産物ではあるけれど,間違いなくいまに伝えた功績は Chuck Berry のものだ).
それなのに,この訃報の軽い扱いはなんなんだろう.少なくとも,日本では,ほぼ話題になっていないといっていいレベルに感じる.なんだか,それがロックそのものの衰退の象徴のようで,なんだか,妙に悲しい.
個人的に,一番大好きな,Sweet Little Sixteen を聞きながら.
2016年10月12日水曜日
ちがう,そうじゃない
ノーベルウィークも終わって,大隅先生の受賞に沸いた世間の反応もひと段落した感がある.(受賞者の多くは毎回同様の内容を語っているんだけれど)今回,それなりに多くのメディアで「役に立つかどうか?」という評価軸は将来の科学の発展を殺しかねないとか,(ほとんど役に立つことのない)基礎科学を重視してほしいなどの発言がクローズアップされているのは,個人的にいい方向に進んでいるものだと思っている.
ただ,それらの発言を受けて,政府コメントで「ノーベル賞を生み出した研究がどういう環境下で行われたのかを調査して,将来のノーベル賞を生み出したい(要約)」的な発表をしているのを見かけて,ズッコケた.いや,そんな漫画的な表現で茶化せるレベルじゃなく,あまりの頭の悪さに絶望的な気分になった.
「ノーベル賞が取れるかどうか」なんていう希望的な観測は,現状の「役に立つかどうか?」という,ある意味で十分に意味がある評価軸と比べるのも失礼なレベルでどうでもよくて(誰もノーベル賞のために研究なんてしていない),もう,「なにを言ってるんじゃ?お前は」レベル.頭の頭痛が痛い.
なんだかもう,悲しくなってきたので,この辺でやめます.
(「役に立つ」という評価軸のこととか,基礎研究のこととかについては,いずれ,気が向いたらどこかに書くかも)
ただ,それらの発言を受けて,政府コメントで「ノーベル賞を生み出した研究がどういう環境下で行われたのかを調査して,将来のノーベル賞を生み出したい(要約)」的な発表をしているのを見かけて,ズッコケた.いや,そんな漫画的な表現で茶化せるレベルじゃなく,あまりの頭の悪さに絶望的な気分になった.
「ノーベル賞が取れるかどうか」なんていう希望的な観測は,現状の「役に立つかどうか?」という,ある意味で十分に意味がある評価軸と比べるのも失礼なレベルでどうでもよくて(誰もノーベル賞のために研究なんてしていない),もう,「なにを言ってるんじゃ?お前は」レベル.頭の頭痛が痛い.
なんだかもう,悲しくなってきたので,この辺でやめます.
(「役に立つ」という評価軸のこととか,基礎研究のこととかについては,いずれ,気が向いたらどこかに書くかも)
2016年6月2日木曜日
林道の話
下衆の勘ぐりはその道のプロのネット民に任せて,性善説に立って話をすると,例の行方不明の男児,あまりにもなんの手掛かりがないあたり,置き去り地点を親が間違えている可能性がものすごく高いよね,と思っている.
一応,僕は,北海道の林道のプロに近いような人間だし,ニュース映像に一瞬映った Google Earth の衛星画像から,(割と何度か仕事で歩いている地点に近いからというのもあって)具体的な場所が特定できたくらいの能力を持っているけれど,そんな僕でも,林道を走っているときは,割りと真面目に頭を働かせながら走っていないと,林道の正確な地点や,曲がった三叉路,十字路の位置とかがわからないくなることがある.
それは,林道に入ってからもそうだし,それ以前の,国道から道道に入った地点,道道から町道や農業道路に入った地点,さらに林道に入った地点,どこでもそうだ.そして,また,そのそれぞれの入り口の様子がどこもほとんど変わらないうえ,地図に載っていない林道(作業道)が山ほどあるのだ.
置き去りにした地点を盛大に勘違いしているという可能性は,かなり高いし,むしろ,曖昧な記憶に依って決められた地点に固執するほうがどうかと思う.
さすがに,もう,無事ということはほとんどあり得ないのだろうけれど(特に,ここ 2 日の夜の気温は厳しい),せめて,本当に最後まで見つからないとか,ネット民の下衆な勘ぐりが真実になるとか,そういうのは,なんか悲しいので,ないことを祈る.あの辺,歩きづらくなるし.
--
追記(20160603):無事に保護されたニュースにびっくりしたけれど,とりあえず,良かったね,と.駒ヶ岳演習場に続く林道は,基本的に一般人の立ち入りを制限しているはずだから,あの初動で「山菜採り」と嘘をついたおっさんのこと,立ち入り禁止の林道に進入して,放置したことがバレるのを避けたパターンで,捜査の途中から「駒ヶ岳中腹」とか言い出したのは……というのは下衆の勘ぐりになるので,やめます.
一応,僕は,北海道の林道のプロに近いような人間だし,ニュース映像に一瞬映った Google Earth の衛星画像から,(割と何度か仕事で歩いている地点に近いからというのもあって)具体的な場所が特定できたくらいの能力を持っているけれど,そんな僕でも,林道を走っているときは,割りと真面目に頭を働かせながら走っていないと,林道の正確な地点や,曲がった三叉路,十字路の位置とかがわからないくなることがある.
それは,林道に入ってからもそうだし,それ以前の,国道から道道に入った地点,道道から町道や農業道路に入った地点,さらに林道に入った地点,どこでもそうだ.そして,また,そのそれぞれの入り口の様子がどこもほとんど変わらないうえ,地図に載っていない林道(作業道)が山ほどあるのだ.
置き去りにした地点を盛大に勘違いしているという可能性は,かなり高いし,むしろ,曖昧な記憶に依って決められた地点に固執するほうがどうかと思う.
さすがに,もう,無事ということはほとんどあり得ないのだろうけれど(特に,ここ 2 日の夜の気温は厳しい),せめて,本当に最後まで見つからないとか,ネット民の下衆な勘ぐりが真実になるとか,そういうのは,なんか悲しいので,ないことを祈る.あの辺,歩きづらくなるし.
--
追記(20160603):無事に保護されたニュースにびっくりしたけれど,とりあえず,良かったね,と.駒ヶ岳演習場に続く林道は,基本的に一般人の立ち入りを制限しているはずだから,あの初動で「山菜採り」と嘘をついたおっさんのこと,立ち入り禁止の林道に進入して,放置したことがバレるのを避けたパターンで,捜査の途中から「駒ヶ岳中腹」とか言い出したのは……というのは下衆の勘ぐりになるので,やめます.
が通る
「はいからさんが通る」の映画とか普通に楽しみすぎる.ただ,懸念しているのは,今風の絵柄になってしまうのではないかということ.流石に,時代遅れと言われても仕方がない,いかにも昔の少女漫画絵というわけにはいかないのだろうけれど,せめて,最近の大和和紀先生の絵柄に近づけるとか,そのくらいの努力はして欲しいと思っているんだけれど(それはそれで,酒乱ギャグシーンとかが違和感ありそうだけれど),ネットニュースに出てきたキービジュアルの雰囲気が,いかにもアニメ塗りで,いかにも悪いほうに今風になっている雰囲気が感じられて,なんとも言えない.
劇場版なんだから,せめて,アニメ塗りはやめないか,と.水彩風とかならあり.
あと,あらすじだけにすると,かなり美しい話ではあるけれど,基本的にドタバタコメディーという路線を忘れて,ストーリーのほうを重視するのもやめて欲しいなぁ.
声優については,忍とか青江(とか蘭丸)の声を当てそうな人は何人か思いつくけれど(割と一昔前のベタな配役のほうがいい気がする),紅緒の声は,ぴったりくる声優が思いつかない.悠木碧はありそうだし,いい役者だからそれなりに演じてくれる気がするけれど,イメージが合うかというと疑問.沢城とかいうカス役者だったら見ない.
劇場版なんだから,せめて,アニメ塗りはやめないか,と.水彩風とかならあり.
あと,あらすじだけにすると,かなり美しい話ではあるけれど,基本的にドタバタコメディーという路線を忘れて,ストーリーのほうを重視するのもやめて欲しいなぁ.
声優については,忍とか青江(とか蘭丸)の声を当てそうな人は何人か思いつくけれど(割と一昔前のベタな配役のほうがいい気がする),紅緒の声は,ぴったりくる声優が思いつかない.悠木碧はありそうだし,いい役者だからそれなりに演じてくれる気がするけれど,イメージが合うかというと疑問.沢城とかいうカス役者だったら見ない.
2016年5月30日月曜日
メガネを置く,という行為
美術館の床にメガネを置いておいたら,人だかりができて,観客の議論が始まったという話.
http://jin115.com/archives/52132943.html
もちろん,バカバカしいお笑い草な話題ではあるんだけれど,果たして,美術館という場に,いたずらでメガネを放置するという行為が芸術ではないのか,という点が気になる.
なんの意図もなく,わざわざ,美術館の床にメガネを置くなんて行為はできないし,それをなんの疑問もなく芸術作品だと思い込んで眺める観客を撮影するということは,少なくとも現代のアートの消費者に対する批判的な感情が,仕掛け人の内にあるのは間違いない.それ自体が,いたずらそのものを一連の意味のある行為にしてしまっている(そこまでを仕掛け人が考えているのかどうかはともかくとして).
なんというか,いたずらに引っかかった人は,まぁ,世界中から笑われるのかもしれないけれど,引っかかった人の写真を眺めて,「馬鹿だなぁ」と笑っている人も含めて,仕掛け人的には「してやったり」と思われている気がして,素直に笑えないのでした.
http://jin115.com/archives/52132943.html
もちろん,バカバカしいお笑い草な話題ではあるんだけれど,果たして,美術館という場に,いたずらでメガネを放置するという行為が芸術ではないのか,という点が気になる.
なんの意図もなく,わざわざ,美術館の床にメガネを置くなんて行為はできないし,それをなんの疑問もなく芸術作品だと思い込んで眺める観客を撮影するということは,少なくとも現代のアートの消費者に対する批判的な感情が,仕掛け人の内にあるのは間違いない.それ自体が,いたずらそのものを一連の意味のある行為にしてしまっている(そこまでを仕掛け人が考えているのかどうかはともかくとして).
なんというか,いたずらに引っかかった人は,まぁ,世界中から笑われるのかもしれないけれど,引っかかった人の写真を眺めて,「馬鹿だなぁ」と笑っている人も含めて,仕掛け人的には「してやったり」と思われている気がして,素直に笑えないのでした.
2016年5月25日水曜日
寺田寅彦はそんなこと言ってないって中谷宇吉郎先生の本に書いてた
よく,名言だと言われる言葉に「災害は忘れた頃にやってくる」というものがある.まぁ,名言かどうかは置いておいて,「常に災害に備えねばならない」というニュアンスの警句として,大事な言葉ではある.
この言葉,正確に表現するのなら,「他人の不幸(災害)が来るとこの言葉をみんなが思い出す」という感じ.なお,自分の不幸だったら時すでに遅し.
年がら年中,災害のことを考えていないといけない立場の人間としては,今回の熊本地震のような大きな災害を機に,ほんの少しだけでも,活断層とか直下型地震というものについて見識を深めようとする人がいることが救いである反面,寄せられる疑問の程度の低さに,誰にとっても等しく起こりうる災害に対する認知度がものすごく低いという事実に危機感を覚えるのでした.
最近,そういう仕事をしているから数える機会があったのだけれど(資料編纂室的な左遷?),自分の勤め先にくる取材の件数を遡ると,2011 年に(当然のことながら)巨大なピークがあった後,潮が引くように取材件数は減り,その後,小さな地質災害のあるたびに少しだけ取材がくる状態に推移し,東北の震災からだいぶ時が経ち,目立った災害がなかった去年はものすごく取材件数が減っていた.しかし,今年は,この一ヶ月で,去年の取材件数を超える勢いになっている.
普段は,気にも留めないし,当然,お金を出そうなんて微塵も思われないうえに各地で研究機関が廃止に追い込まれている研究分野なのに,いざ,災害が起こると「なんでこの災害が予知できなかった(無理です)」とか「なんでこの研究をしていないんだ(やろうとしても平時だとみんな忘れていて予算がつかないからです)」とか「なんでこんなに研究が進んでいないのだ(みんなが応援しないからです)」とか「税金の無駄遣い(民意とやらで予算がどんどんカットされているので,そんなにお金使っていません)」とか叩かれるという悲しい世界.
でも,災害が起こるとみんなが思い出してくれて,研究予算もつくという,他人の不幸で飯を食う的な悲しさも感じつつ,明日も仕事に向かうのです.
この言葉,正確に表現するのなら,「他人の不幸(災害)が来るとこの言葉をみんなが思い出す」という感じ.なお,自分の不幸だったら時すでに遅し.
年がら年中,災害のことを考えていないといけない立場の人間としては,今回の熊本地震のような大きな災害を機に,ほんの少しだけでも,活断層とか直下型地震というものについて見識を深めようとする人がいることが救いである反面,寄せられる疑問の程度の低さに,誰にとっても等しく起こりうる災害に対する認知度がものすごく低いという事実に危機感を覚えるのでした.
最近,そういう仕事をしているから数える機会があったのだけれど(資料編纂室的な左遷?),自分の勤め先にくる取材の件数を遡ると,2011 年に(当然のことながら)巨大なピークがあった後,潮が引くように取材件数は減り,その後,小さな地質災害のあるたびに少しだけ取材がくる状態に推移し,東北の震災からだいぶ時が経ち,目立った災害がなかった去年はものすごく取材件数が減っていた.しかし,今年は,この一ヶ月で,去年の取材件数を超える勢いになっている.
普段は,気にも留めないし,当然,お金を出そうなんて微塵も思われないうえに各地で研究機関が廃止に追い込まれている研究分野なのに,いざ,災害が起こると「なんでこの災害が予知できなかった(無理です)」とか「なんでこの研究をしていないんだ(やろうとしても平時だとみんな忘れていて予算がつかないからです)」とか「なんでこんなに研究が進んでいないのだ(みんなが応援しないからです)」とか「税金の無駄遣い(民意とやらで予算がどんどんカットされているので,そんなにお金使っていません)」とか叩かれるという悲しい世界.
でも,災害が起こるとみんなが思い出してくれて,研究予算もつくという,他人の不幸で飯を食う的な悲しさも感じつつ,明日も仕事に向かうのです.
2016年5月12日木曜日
憲法 9 条を誇るという恥
昔から疑問なのは,憲法 9 条を誇りだと思うという風潮.まぁ,どっかの活動的(笑)主婦が始めた,ノーベル平和賞云々の話に関してなんだけれど…….
(いうまでもなく,僕は,右よりだし,改憲論者(9 条だけのことじゃなく)なんだけれど,そういう観点からではなく,単純に疑問に思うということ)
この条文の成立過程はどうあれ,基本的に,あの条文って「世界に大きな戦禍を引き起こして,自分たちも大きな被害を受けた」ということに対する,自分たちへの枷とか戒めでしょ?
平和主義や戦争の放棄は,非常に崇高な理念だけれど(これはラジカルな僕でも認める),だからといって,重大な過去への戒めとして作った条文を自慢するというのは,かなり恥ずべきことではないかと思う.
別段,平和憲法がない国が戦争ばっかりしているわけでもなく,逆に日本が,いわゆる終戦以降,戦争をしてこなかった歴史は,憲法があったことが理由ではないだろう.そもそも,戦争の危機に対して "憲法が" 歯止めになった事例なんて存在するのだろうか?
そして,日本が戦争しないというだけの宣言は,究極的に自己中心な価値観で,世界の平和に積極的にはなにも貢献していない,少なくとも他国に誇れることではないという,いわゆる「日本スゲー」系のバカバカしいやつでしかないという,非常に可哀想なオチ.
(いうまでもなく,僕は,右よりだし,改憲論者(9 条だけのことじゃなく)なんだけれど,そういう観点からではなく,単純に疑問に思うということ)
この条文の成立過程はどうあれ,基本的に,あの条文って「世界に大きな戦禍を引き起こして,自分たちも大きな被害を受けた」ということに対する,自分たちへの枷とか戒めでしょ?
平和主義や戦争の放棄は,非常に崇高な理念だけれど(これはラジカルな僕でも認める),だからといって,重大な過去への戒めとして作った条文を自慢するというのは,かなり恥ずべきことではないかと思う.
別段,平和憲法がない国が戦争ばっかりしているわけでもなく,逆に日本が,いわゆる終戦以降,戦争をしてこなかった歴史は,憲法があったことが理由ではないだろう.そもそも,戦争の危機に対して "憲法が" 歯止めになった事例なんて存在するのだろうか?
そして,日本が戦争しないというだけの宣言は,究極的に自己中心な価値観で,世界の平和に積極的にはなにも貢献していない,少なくとも他国に誇れることではないという,いわゆる「日本スゲー」系のバカバカしいやつでしかないという,非常に可哀想なオチ.
絶対ないとは言わないけどさ
とある中学生くらいの少年が,奇抜な発想で,しかも,Google Earth を使ってマヤの遺跡を発見したというニュースが全世界を駆け回ったかと思ったら,一瞬で学識者からマジレスを食らって消え失せたという話.
今回のニュースの場合,一報を聞いた時点でリモートセンシングを使って遺跡を探すという学術分野があることを知っていたので(私はリモセンに近しい分野の人なので),瞬時にガセネタ(または少年の錯誤)と判断できましたが,まぁ,騙される人は多かったようで(ニュースの影響力って偉大ね),いつものお決まりの「学者はバカか?」とか「金返せ!」のシュプレッヒコールを方々で見かけました.まぁ,それはどうでもいいんだけれど.
この件で,僕がひとつだけ言いたいのは,数十年前ならいざ知らず,基本的に,どんな分野でも素人が急に最先端の学問領域に新しい風とともに切り込んでくるなんてことはないですよ,ということ.
普通に生きている人には想像もつかないくらい頭のいい人(たぶん,大多数の人は生まれてから死ぬまで一度も会うことがないレベルの人たち.仮に会っていたとしても,その頭の良さを認識できないようなレベルの人たち)が集まって,特定の狭い分野の研究に色々な手法をもって取り組んでいるのが研究の世界です.よく,「素人の柔軟な発想が〜」みたいな言われ方をするけれど,その瞬間までどの学問分野にも属さずに素人でいられる程度の脳みその人に学者より柔軟な発想ができるとは到底思えません.
子供が頑張ったんだから,否定するなみたいな言説も見かけたけれど,研究の世界は,批判や論争を乗り越えてこそ,新たな地平に向かえるものなので,かの少年が,(今回の失敗にめげずに)その熱意を燃やしてくれることを願うからこそ,マジレスが彼には必要だと,僕は思います.
そもそも,この少年の説が世界中に晒されるより前に,この少年の錯誤に気付いている大人はいたはずで,この少年を甘やかして学術的批判を加えなかったことが今回の事態を招いているのは明らかなので,否定されるべきは少年の説への学術的批判を非難する人たちの方だ(そもそも,二年くらい前からの話みたいなので).
今回のニュースの場合,一報を聞いた時点でリモートセンシングを使って遺跡を探すという学術分野があることを知っていたので(私はリモセンに近しい分野の人なので),瞬時にガセネタ(または少年の錯誤)と判断できましたが,まぁ,騙される人は多かったようで(ニュースの影響力って偉大ね),いつものお決まりの「学者はバカか?」とか「金返せ!」のシュプレッヒコールを方々で見かけました.まぁ,それはどうでもいいんだけれど.
この件で,僕がひとつだけ言いたいのは,数十年前ならいざ知らず,基本的に,どんな分野でも素人が急に最先端の学問領域に新しい風とともに切り込んでくるなんてことはないですよ,ということ.
普通に生きている人には想像もつかないくらい頭のいい人(たぶん,大多数の人は生まれてから死ぬまで一度も会うことがないレベルの人たち.仮に会っていたとしても,その頭の良さを認識できないようなレベルの人たち)が集まって,特定の狭い分野の研究に色々な手法をもって取り組んでいるのが研究の世界です.よく,「素人の柔軟な発想が〜」みたいな言われ方をするけれど,その瞬間までどの学問分野にも属さずに素人でいられる程度の脳みその人に学者より柔軟な発想ができるとは到底思えません.
子供が頑張ったんだから,否定するなみたいな言説も見かけたけれど,研究の世界は,批判や論争を乗り越えてこそ,新たな地平に向かえるものなので,かの少年が,(今回の失敗にめげずに)その熱意を燃やしてくれることを願うからこそ,マジレスが彼には必要だと,僕は思います.
そもそも,この少年の説が世界中に晒されるより前に,この少年の錯誤に気付いている大人はいたはずで,この少年を甘やかして学術的批判を加えなかったことが今回の事態を招いているのは明らかなので,否定されるべきは少年の説への学術的批判を非難する人たちの方だ(そもそも,二年くらい前からの話みたいなので).
2016年4月24日日曜日
これは怒っていいと思う
どこかで「科学者が今回の地震についてわからないと発言していて,説明を放棄していたけれど,なんのために存在しているんだ.金返せ(要約)」というような発言を見かけた.そして,それが,大層支持を集めていた.
こういうことを考える人は,科学者が「すでに説明可能なわかっていること」を研究しているとでも思っているんだろうか?すでにわかっていることを説明するのが仕事な人だと思っているのだろうか?謎だ.そもそも,わかっていることを説明する人に莫大な研究費を与えるほうが無駄じゃないかw
科学者は,わからないことを研究するのが仕事だし,何にもわからないことから,ほんの少しだけわかったことを世界に還元するのが仕事だ.そこに科学者が存在しているということは,そのことについてほとんど何もわかっていないことを示す.そして,科学者は,世界のありとあらゆる事象に取り組んでいる.そもそも,世界はわからないことで満ちている.
少なくとも,地震について言えば,学問として地震学が成立して,せいぜい,100 年.その間に,科学者が知見を集めることができた地震が,この地球で起きうる様々な仕組みによる地震の何%なのかすら,我々は知り得ない.というか,完全に想定したメカニズム通りに起こった地震なんて,過去にあるのだろうか?
こういうことを考える人は,科学者が「すでに説明可能なわかっていること」を研究しているとでも思っているんだろうか?すでにわかっていることを説明するのが仕事な人だと思っているのだろうか?謎だ.そもそも,わかっていることを説明する人に莫大な研究費を与えるほうが無駄じゃないかw
科学者は,わからないことを研究するのが仕事だし,何にもわからないことから,ほんの少しだけわかったことを世界に還元するのが仕事だ.そこに科学者が存在しているということは,そのことについてほとんど何もわかっていないことを示す.そして,科学者は,世界のありとあらゆる事象に取り組んでいる.そもそも,世界はわからないことで満ちている.
少なくとも,地震について言えば,学問として地震学が成立して,せいぜい,100 年.その間に,科学者が知見を集めることができた地震が,この地球で起きうる様々な仕組みによる地震の何%なのかすら,我々は知り得ない.というか,完全に想定したメカニズム通りに起こった地震なんて,過去にあるのだろうか?
2016年3月30日水曜日
責任の所在
某中学生の監禁事件のニュースを見ていて,容疑者の通っていた大学が謝罪をしたという記事を見かけたときに思い出した,某先生に聞いた昔話.
某大学でちょっとした学生の不祥事があって,それに関する調査やら謝罪やらが一段落ついたころに,その大学の,よりによって某先生がいた学部の学生が殺人事件を起こしたことがあったそう.そのとき,その先生は学務を担当していたそうで,直前の不祥事の対応のこともあって,ニュースをみてすぐ顔面蒼白で学部長に相談に行ったら,「人を殺すことについての教育に大学の責任はない」と一言言われて,以降,落ち着いて粛々と除籍の手続きを行ったとのこと.
まぁ,そりゃそうだよね,という話なんだけれど,そういう意味で,千葉大には,未成年を監禁するということについての教育の責任なんてないと思うので,謝罪なんてする必要ないよね,ということ.
ただし,卒業取り消しを批判している人が一定数いるようだけれど(学業を修めた事実と在学中の犯罪は関係ないという理屈にもならない妄言),この事件の発覚が一ヶ月前だったら,当然,除籍なわけで(これを批判する人はいないはず),在学中の犯罪が卒業の数日後に発覚した以上,卒業取り消しのうえ除籍という処置は当然だと思います.
某大学でちょっとした学生の不祥事があって,それに関する調査やら謝罪やらが一段落ついたころに,その大学の,よりによって某先生がいた学部の学生が殺人事件を起こしたことがあったそう.そのとき,その先生は学務を担当していたそうで,直前の不祥事の対応のこともあって,ニュースをみてすぐ顔面蒼白で学部長に相談に行ったら,「人を殺すことについての教育に大学の責任はない」と一言言われて,以降,落ち着いて粛々と除籍の手続きを行ったとのこと.
まぁ,そりゃそうだよね,という話なんだけれど,そういう意味で,千葉大には,未成年を監禁するということについての教育の責任なんてないと思うので,謝罪なんてする必要ないよね,ということ.
ただし,卒業取り消しを批判している人が一定数いるようだけれど(学業を修めた事実と在学中の犯罪は関係ないという理屈にもならない妄言),この事件の発覚が一ヶ月前だったら,当然,除籍なわけで(これを批判する人はいないはず),在学中の犯罪が卒業の数日後に発覚した以上,卒業取り消しのうえ除籍という処置は当然だと思います.
2015年10月14日水曜日
学習漫画 100 選
学習漫画 100 選というものが公表された.選んだのは日本財団という団体で,大学教員とか漫画家とか漫画評論家とかが選んだらしい.
まぁ,ラインナップを眺めてみると,僕らおっさん世代からは,意外と「いい」もので,実際,これを,今後,子供達に残していきたい「学習漫画 100 選です」と提出されても,それほど「うわー……」感のないラインナップになっている.まぁ,「アレが入っていない」「コレが入っていない」を始めたら切りがないことは明白なので,この 100 タイトルを選んだことには,素直に敬意を表したいと思う(僕の個人的な見解としては,岡崎二郎から選ぶんなら「アフター0」じゃなくて「国立博物館物語」にして欲しかった,というところ).
しかし,コレって,結局,おっさんおばはんの自己満足ライナップだよね,というところが,かなり鼻に付く(確かに面白い漫画ばかりだし,青少年だって,読んだら面白いと感じるとは思うけれど).
こういう風に「おっさんおばはんの自己満足」で押し付けられたものって,例え,それがいいものであっても 10 数年前の僕らって「嫌」じゃなかったか?
この 100 選を見て,漫画という娯楽が,父権的なニュアンスを持つことに嫌悪感を抱いてしまうのは,僕だけでしょうか?
2015年9月25日金曜日
いんたーねっつ国勢調査
国勢調査のインターネット回答の割合が 36.9 % と公表された.この数字を,どうとるか?
個人的には,自分の視界に入るネットワーク接続環境の普及率から見て「少ない」という印象をもつのだが,僕の視界に入らない世代の世帯数や人口のなかのインターネットに親しんでいないボリュームが多いであろうこと,インターネットを通したやり取りに不慣れだったり,インターネット上のやり取りに忌避感をもつ層(具体的には,僕の両親)なんかを考えると,まぁ,そんなもんかな,とも思えてくる.
インターネットに接続できる状態にいながら,それを利用しない層(僕の両親がこれ)というものの精神構造に興味はあるけれど,それはまた,別な話.
個人的には,自分の視界に入るネットワーク接続環境の普及率から見て「少ない」という印象をもつのだが,僕の視界に入らない世代の世帯数や人口のなかのインターネットに親しんでいないボリュームが多いであろうこと,インターネットを通したやり取りに不慣れだったり,インターネット上のやり取りに忌避感をもつ層(具体的には,僕の両親)なんかを考えると,まぁ,そんなもんかな,とも思えてくる.
インターネットに接続できる状態にいながら,それを利用しない層(僕の両親がこれ)というものの精神構造に興味はあるけれど,それはまた,別な話.
2015年9月23日水曜日
ワンポイント
詳細や難しいことは分かる必要ないんだけれど,河川の災害に関してワンポイント.
河原とかを眺めたときに,河原にどのくらいのサイズの石があるのかを確認するだけでも,その川の引き起こす災害のレベルは推測できる.
河原で見た中で最大の岩石は,稀かもしれないけれどその岩を上流からその河原まで運搬することができる大規模災害が過去に起こったということ(そして,稀とはいえ将来も起こりうるということ),その河原の大多数を占める石のサイズは,その川がかなり頻繁にそのサイズの石を運搬可能な土砂災害を引き起こしているということを意味する.難しいことを考える必要なんて,実はなくて,単純な想像力があれば色々と見えてくるものもあるという話.
少なくとも,出自すらわからないネット上に流布する地名に入っていたら危ない漢字リストなんて覚えるよりは,いくらかマシだと思う.
河原とかを眺めたときに,河原にどのくらいのサイズの石があるのかを確認するだけでも,その川の引き起こす災害のレベルは推測できる.
河原で見た中で最大の岩石は,稀かもしれないけれどその岩を上流からその河原まで運搬することができる大規模災害が過去に起こったということ(そして,稀とはいえ将来も起こりうるということ),その河原の大多数を占める石のサイズは,その川がかなり頻繁にそのサイズの石を運搬可能な土砂災害を引き起こしているということを意味する.難しいことを考える必要なんて,実はなくて,単純な想像力があれば色々と見えてくるものもあるという話.
少なくとも,出自すらわからないネット上に流布する地名に入っていたら危ない漢字リストなんて覚えるよりは,いくらかマシだと思う.
かわらないこと
なんとなく雰囲気に乗じて,最近の日本は変わってきているとかいう人が多いけれど,それは,単純に,居酒屋のサラリーマン談義や,大学生が徹夜で喧々諤々しているのや,高校生が気まぐれに見たニュースの話題で盛り上がるのや,中学生が中二病を発症しているのが,いんたーねっつの世界に記録されてしまっていて,かつ,それが不特定多数の目についてしまう状態で放置されているというだけのこと.結局,中身は何も変わっていない.
変わったとすると,話し相手が増えているところなんだけれど,そこら辺を理解できないおっさんばかりが若者論を打つので訳の分からない話になる.
変わったとすると,話し相手が増えているところなんだけれど,そこら辺を理解できないおっさんばかりが若者論を打つので訳の分からない話になる.
登録:
投稿 (Atom)