2014年7月31日木曜日

うなぎ

土用の丑なのに食いにいっていないのは,別に宗教上の理由(笑)でも,絶滅云々に感化されたピープルなわけでもなく,単純に,食いにいく余裕(金銭と時間)がないからです.うなぎは大好きです.

怒られることを承知で言うけれど,食い尽くして何が悪いの,とすら思ってしまう程度にしか,この問題は捉えていないので,うなぎを食うことに一切の躊躇をするつもりなんてないのです(問題を理解していないわけではなく,単純な感想として).

そもそも,「うなぎを食う」というのは,昔から多くの人にとっては,ひとつのイベントであって(「吉原に繰り出す前に一丁うなぎでも食って精をつけるか!」的な時代から,最近まで),日課のようなものではないのです.ちゃんとした専門店で高い金を払って,一丁精をつけてやるかってウマいうなぎを食うってのが,うなぎを食うってことなんです.そういう意味で,食いますよ.うなぎ,好きだし.食文化の保護とか関係なく,食いたいから,食います.

だから,安いうなぎを使ったウマくも何ともないコンビニおにぎりとか安い弁当とかあるけど,あんなたいしてウマくもないうなぎを日常的に食いたがる人の神経も分かりません.そして,うなぎを絶滅に追いやろうとしているのもこっちが主因なんでしょ?

なんて,書いていたらうなぎが食いたくなってきたので,ちょっと食いにいってこようかな.精をつけて薄野には繰り出しませんけどね.

切り分け

問題の切り分けも出来ないのに論評しようとする人が多すぎる.

平和を愛する人(たぶん,世の中の大多数)は,必ずしも盲目的に憲法 9 条の堅持を主張するわけではないし,軍備の補強を主張する人は,必ずしも戦争狂ではない.どっちの例も,多分,両方を満たす人は少数派で,後者に至っては,ほとんど存在しない.でも,こういうのって一緒くたに語られちゃうよね.なんか,やだね,という話.

本当は,エネルギー問題に関して,こういう話をしたいんだけれど,立場上,そういう話はしない.

ぷらすあるふぁ

このネタに関して,実はちょっと書きたかったこと.

書かなかった理由は,アレに加えて膨大な文章が必要になるからで,ここに書く理由は,あっちに書くほど,頭の中がまとまっていないから.

(過激な)性描写のあるものを未成年者(未成熟者)から離そうという運動について,以前から,賛成派にも反対派にも違和感があって,議論に参加する気が起こらなかった.

あっちに書いた通り,僕自身は,基本的に「表現は自由」だからこそ,発信者が表現内容に気を使わなくてはならない,というスタンスに立っている.それは,自由という言葉が,元来,自己責任と他者への侵害の禁止を包含した概念だから,ということもあるし,あっちに書いたような理由もある.

性交や自慰は,人が性徴に伴って辿り着くことであって,過剰にそれを隠すことにあんまり必然性はないと思う.通常の成長過程でいえば,男子中学生なんて,大抵,なんとかして入手したエロ本でオナニー三昧だし,高校生カップルなら(多いとはいわないけれど)セックスだってするだろうと思うし,統計上,そうなっている.

しかし,一方で,高校生カップルに子供が出来たら,そこには多大な問題が生じるだろうし,もっと発達段階が低い(法に則った)善悪の基準が曖昧な段階で普通の性行為を逸脱した行為によって何らかの被害がでたら,「できちゃった」じゃ済まない問題になるだろうことは想像に難くない.そして,現状,それらが少ないとはいえ,ゼロではない点には注意したいと思う.

こういう自体に関して,もう(年齢的な意味ではなく)とっくに色んな意味で成熟した大人が「やっていいことと悪いことの分別はつく」なんていくら主張したところで,「そりゃ,そうでしょ…….バカじゃないの?」という感想しかでない.問題は,年齢とは無関係にそういうレベルにない人でも簡単に過剰にエロにアクセスできてしまう環境についてなのだから,そもそも,分別のつく人間の意見なんて何の意味ももたないわけだし,そういうレベルにない人の割合が低年齢層に多いのは純然たる事実なわけだから,そのために住み分けは,必要だと思う,ということ.

それは,別にエロが悪いとか,エロを過剰にしてはいけないということではなく,純然たる区分の問題でしかない.

まぁ,そんなことをしてもエロを求める未成年は,なんとかして手に入れるわけだし,そういう困難を乗り越えてエロをゲットするという経験も,そいつにとって何かの大きな成長になるってことさ.

補足

このネタに関して,こっちで少しだけ補足.

このことでいいたいのは,サブカル関連の物事ではなく,公共の場に発信する全ての表現に関して,一定の「良識」はもっていないと危険ということです.良識にわざわざ括弧をつけたのは,その基準なんて誰にも定められないし,それが一定でもないからです.

2014年7月30日水曜日

問題

このたび,妹(リアル)が結婚することになって,兄としてはめでたい限りなのですが,個人的な問題がひとつ.

その結婚相手が,俺の嫁(二次元)と同姓同名って,なにそれ?(ただし,漢字は良くある誤字)

2014年7月28日月曜日

そうして未来はやってこない

子供向けの科学雑誌にでてきたような未来の絵図を例に出すまでもなく,昔,僕らの思い描いた未来がやってこないのは,思い描いていた僕らの発想が乏しいからであって,今は,昔,僕らが思い描いていたよりもずっと進んだ未来.

未来はやってきたのに

技術の進歩に対して,人間の思いつく技術の使い方が追いついていなかったり,既にある特定の技術が欲しい人が,その技術を知らなかったり.そうして世界は廻っている.

2014年7月27日日曜日

他者の愚かなさまに苛つくのは,自分の中にある同種の愚かさを見付けてしまうからだ.

2014年7月25日金曜日

妙なくじ運

この時期には,暑気払い的な大きな飲み会が職場(2 機関合同)であるんだけど,二年連続で一番偉い人の隣をゲットするというのは,どういうことなんですかね?

思い出したこと

「コモンセンス」とか「常識」とかの言葉を(盾に物事を形式化しようとする人を)嫌う人って,大抵,ものすごく常識的なので,対処に困ることはないんだけれど,過去に付き合いがあったアラサーの中二病患者は,こういう常識人とはひと味も二味も違っていた.

このバカも,言葉の上では「常識という言葉が嫌い」とか言っていたわけだけれど,こいつは,他者に多大な迷惑をかけてもなんとも思わないような人間だった.

常識とかルールとかコモンセンスというのは,(生物としての)ヒトが社会性生活を行う際に同種個体(または,同種個体が形成する群集)に対する不利益を引き起こさないために言語化されたものだと極論できると思うけれど,こういったものの総称である「常識」という言葉が盾としてつかわれることが嫌いなこと(多くの人はこれ)と,人に迷惑をかけながらのほほんと生きていることは全然別な話だろう.

かのバカの撒き散らした汚物を丁寧に片付けていた教員やら先輩やら後輩やら僕やらを,かのバカは永久に知ることなくのうのうと生きていると思うとやるせない感情に押しつぶされそうにもなるけれど,僕に限っては付き合いの後ろ 3 年くらいは(色々と上手く事が運んだことで)「アレはバカだから仕方がない」と僕以外の人たちに汚物の処理を丸投げしていたんだから,まあ,いいかと思う.

そのときに,汚物の処理を丸投げしてしまった教員陣やら後輩諸氏には,今でも申し訳なかったと思ってはいる.でも,その分,飯を奢ってやったからいいよなw

内に秘める暗黒なんちゃらの血が騒ぐとかなんとか

社会人になってから,一番困っているのが,反社会的な行動が出来なくなったこと.普段からボロボロの T シャツ+チノパンで,無精髭に蓬髪で出勤している人間が何を言うかと言われるかもしれないけれど,根が超常識人なので,学生時代になら思い切ってできていたことが今は出来なくなっているのを感じるのです.まぁ,年とか経験値とかに相応な発言・行動自体に伴う重さも,当然,付いて回っているんだけれども.

(他の多くの研究者と同様に常識的な社会人なので)別に,反社会的な行動をしたいということではなく,(流石に学位取得後には自粛しているので)学生時代にはコモンセンスという名のストッパーを乗り越えられるだけのバカに掛ける情熱があったのだなぁ,という話です.

2014年7月24日木曜日

これのつづき

これのつづき.

展開の仕方はともかくとして,某瑞浪 Mio ちゃんのアイディアが悪くないのは,古生物に興味を持っている少女(JC)をモチーフにしているところ.これは,僕がこの業界に進むことの(無数の)きっかけのひとつにもなった「国立博物館物語」なんかにも通ずるんだけど,古生物学に邁進する人間を可愛く(?格好よく?)描くというのは,手法として重要なんじゃないかと.

2014年7月21日月曜日

別にサブカルだけではない

なんか犯罪が起こったときに,犯罪者の趣味・嗜好・性状を特段に取り上げて報道が行われるのは,なにもサブカルに限ったことではないので,別段,オタクを「犯罪者予備軍」と看做したいわけではないと思う.単純に,趣味・嗜好・性状が,個々の犯罪とは無関係という主張なら,そもそも,オタク以外の報道に関しても反応すべきなので,そういう変な反応の仕方をするからオタクというクラスターに妙なフィルターがかかっているともいえるのではないかと思う.こういうのに反応する層のオタクの総体も,報道に基づいて色んなものに偏見を持っているわけで,自己矛盾を起こしているのも良く見かけるしね.

なお,僕個人は,趣味・嗜好・性状は,個々の犯罪とは無関係だと思っているということは付記しておく.

2014年7月10日木曜日

その逆

今期のアニメでは「極黒のブリュンヒルデ」ほど残念だったものはない.なによりも残念だったのが 10 話くらいまで,普通によくできた面白いアニメだったこと.「ソウルイーターノット!」で急転直下の気持ちよさをあれだけ語っておいてなんだけど,いくらなんでも最後が急転直下過ぎてあんまりにもあんまりだった.分割二期とか,残り○話は web 配信とか,いろいろやり方はあったのではないか?

素晴らしいアニメ

前クールの作品も一通り終わったけれど,その中では「ソウルイーターノット!」がとても良かった.他にもいいのはあったけれど,これは極端に良かった.

1〜8 話までの特殊な専門学校の中での日常系でありながら適度に不安の種を撒いていくバランス,9 話の「カボチャ、グローウィン」のショートギャグ連打からの急転直下のシリアスと,とても良かった.原作者が凄いのか,演出家が凄いのかは分からないけれど,本当に良かった.ラストも王道してて気持ちよかったしね.

あと,「ソウルイーター」を知らなくても見れたのも良かった.

2014年7月9日水曜日

残念なような

サッカーの話.

ナショナルチームではドイツびいきのわたくし(わたくしの性格をご存知の方は納得されることでしょう).ドイツがブラジルを破って決勝進出し,統一以来初の優勝へ一歩前進したことは嬉しいのですが,ブラジル−アルゼンチンという南米対決が決勝という盛り上がりそうな展開にならなかったのが残念ではあります.

というわけで,オランダ頑張れ.マジ頑張れw

まぁ,どうなったところで家にテレビがないから見れないんですけれどね!

2014年7月8日火曜日

ブランド力

某知人の研究者(食品関係)から聞いた話.

北海道というブランドについて.道内の人間は,自分の作ったもの(この話題では食品関係)に対して内地の人間の評価は低いと思っていて,内地の人間にとっては「北海道」の名を冠しているだけで「高い」と思われている(または,高く評価している),という内外不一致の大きな問題があるという話.

たぶん,これはコンテンツにしても同じ話なんじゃないかと思う.

ただ,サブカルチャー的,カルチャー的な問題では,北海道ほど扱い辛いコンテンツもないんじゃないかと,別なことも思う.

北海道アニメ

某知人から北海道ネタのアニメがやるという話を聞いて公式ウェブサイトを眺めた次第.

……なんというか,鴨川よりもひどいことになるんじゃないかという臭いしかしないわけですが,UHB でしか放送しないみたいだから,被害はほぼないんじゃないかなとも思う.

北海道のサブカル層へのアピールとしては,初音ミクという近年稀に見る大成功例が既にあるのに,こういうダメな企画に金を出す人間の頭の中を覗いてみたい.

2014年7月5日土曜日

そのアニメ

ひとつ前に触れた,好きだったアニメ.本当に大好きなんだけど,「好きなものを繰り返し見る(読む,聴く)」というクセのある僕にしては珍しく,放映時の一回切りしか見ていない.理由は色々あるんだけれど,瞬間に現れる美しさや醜さを綺麗に切り取ったような素晴らしい作品だったから,初見の印象を永遠に失いたくないという感覚に負けて見直していない.もう二年くらい経つから,そろそろ見直してもいいかなとも,最近は思うけれど,出来ないでいる.

久々に

ザックリと胸を抉られるようないいセリフに出会った.脚本としての出来は,まぁまぁ,ぼちぼちだし,狙い過ぎのセリフは全然ダメなんだけど,不意にこぼれるセリフのセンスの破壊力が凄まじい.思わず脚本家を調べてしまった.調べたら,メインでホンを書くのははじめてみたいだけど,僕の好きなアニメの脚本にクレジットされていて,いろいろ納得がいった.あのアニメもある世代に特有のポロッと放たれる言葉の切れ味が良かったけど,この人が担当していたのかな,と思う.今後注目しよう.

その選考に意味があるのかどうかは無意味

就職活動云々に関する論評を見ていて常日頃感じていた違和感の正体が分かった.

現在の就職活動で行われている茶番がどーだこーだという議論が生じるのは分かるし,選考する側が自社にとって出来る限りいい買い物をしたいという気持ちもわかるし,選考される側が何を評価されているのかわからなくて煩悶する気持ちも分かる.端から眺めていて,それぞれの部分にある問題点は色々思いつくし,現在進行形でそれを変えていこうという運動があることも知っているし,それぞれの言い分も理解できるんだけど,なんだかピンと来なかった.

結局は,ある一定の基準,それは学力であり,経歴であり,面接の簡単な会話程度でわかるような程度の人柄という曖昧な基準であっても,そういう基準を満たしている限り,少なくとも新卒からそれに近い若い人間を採用する段階であれば,その後の長い職業期間において,その職務の範囲を超えた差なんてでないことが経験上分かっている限り,どんな過程であっても選別が行われて,人材が各種分野に分散されていれば,本質的に選考の方法になんて意味がないのだと言える.ある程度若くて,ある程度の能力があれば(これは職種によって基準が違うだろうけれど),一定の訓練で職業人になれるわけだから,そこに選別の過程すら本当はいらなくて,就活者に番号を振ってランダムに各社に振り分けたって社会はそんなに変わらないと思う(就活者の不満に目をつぶればね).

だから,就活はトレンドをリードする会社が時代にあったものを提供して,それにバカみたいに就活者が追従して,なんだか難しいカタカナ言葉で「我が社独自の基準」をもって,なんとなく選別していれば機能していて,それでなんの問題もないのだ.あとは,就活に挑む人間の気の持ちようの問題.

……だけど,20 代そこそこの人間のもつ人生の展望なんて,職業人生が終わる 60 代の自分に比べて薄っぺらいものだと思うけどね.

似た漢字

似た漢字って,まぁ,あるし,それを間違えて書いてしまうことは,誰にでも良くあることだと思う.特に,読みまで同じだと,手書きでなくても間違えて書いてしまうことはままある.「確率」と「確立」とか,「内蔵」と「内臓」とか.

しかし,最近聞いた話.

ある人が上司に出したメールの文面の中で上司の名前の文字を間違えていた,という話なんだけど,「聡」を「恥」と書いていたとかなんとか.読みも違うし,どうやってこんなタイプミスが生じたのかは謎.

りけいぶんけい

「理系 / 文系」の対比ネタが嫌い.もちろん,この手のネタのなかでもネタやギャグとして秀逸なものは別だけど.例えば,「理系は○○,文系は作者の気持ちでも考えてろ」とか,「似非理系『3.14 という文字列を見ると理系は円周率を,文系はバレンタインを……』理系『円周率は π だろ』」とかは,よくできているネタだと思う(文理ともにバカという感じがでていて).

基本的に文系とか理系とかいう漠然としたクラスタに対するイメージで,理系を優秀みたいな雰囲気を醸しているのが鼻につくんだとは思う.

まぁ,多くの理系進学者の原体験にある,高校時代に「数学が出来ないから理系にいかない」と恥ずかし気もなく語る文系進学者をみた経験とか,大学での単純な授業コマ数の比較とそれに伴うプライベートの差に対する僻みとか,そういうものがああいうネタを生み出すんだろうなと思うと,何とも寂しい気分になる.

知っている人間(理系)にこういうネタが大好きで,ネタとかギャグとかじゃなくこういうネタを心の底から信じているうえに架空の「文系」をバカにして嗤ってるような人がいたけれど,全く仲良くなれなかった(というか大嫌いだった).なんというか,色々と乏しすぎて,見ているだけで痛々しいという感じ.更に悲しいことに,その人は,口が裂けても頭がいいとか,優秀とかいえるような人ではなくて,僕の知る限りの文系の友人たちより色んな意味で劣っていたから,「なんも言えねぇ(ネガティブ)」という感じだった.

結局,こういうネタって(僕にとっては),人の試金石みたいなものなんだと思う.

2014年7月3日木曜日

初夏のスキーリゾート

仕事の関係で(といっても仕事とは何の関係もなく宿として)完全にシーズンオフのスキーリゾートに泊まった.

そこは,スキーリゾートとして開発されただけの山奥なので,本当にシーズンオフには人などいなくて,巨大なホテルの中で,宿泊客に会うこともほぼなく(多分,自分たちを含めても3, 4 組くらいしか泊まっていなかったと思う),なんとも寂寥感溢れるところでしたとさ.

ちなみに,朝夕食をバイキングのコースで頼んだのに,宿泊客が少なすぎるのでバイキングが中止になり,普通にコース料理がでてきたw

2014年7月1日火曜日

背景の大きさ

One murder makes a villain. Millions a hero. Numbers sanctify. (by Henri Verdoux starring Charls Chaplin in "Monsieur Verdoux")


ちょっと違うけど,反社会的行為(犯罪と言い換えてもいい)の背景にある問題の大小で評価を変える風潮は,一刻も早く唾棄すべき.

周辺住民に対する不満から迷惑行為や犯罪行為を行う人間に対しては犯罪者として弾劾することに異を唱える人間なんてほとんど居ないのに,今回の街中での放火寸前の迷惑行為事件のような社会問題に近い大きな背景があると,それを神格化しようとするバカが湧く.どっちも反社会行為であり,犯罪なのに,なんとバカバカしいことよ.

ハラキリの野蛮さからの脱却

敢えて書く.

民主主義を頂く法治国家として野蛮さを許してはいけない.

新宿の焼身自殺未遂の件.件の軽犯罪者のもつ主義主張がなんなのかは伝聞でしか分からないし,それ自体がなんであるのかは本質的な問題ではない.問題は,(自殺するという行為そのものを正常でないと判断するのであれば)異常な精神状態下で,放火になりかねない無許可での往来での火の利用という軽犯罪を起こしたということを,なんらかの主義主張に基づく「抗議」や「強い意見表明」と誤解する人間がいることだ.

自殺未遂者と意見を同じくする側から見れば,あの行為(=死)は,運動からの逃避であり,議論の放棄であるし,その他の人間から見ても大事故を招きかねない危険行為でしかない.

「他者への侵害行為を伴う死」をもった主張なんて,ただの暴力でしかないし,そんなものを許容するような野蛮な社会を認めてはいけない.あれを許容するということは,より上位の暴力を用いた運動をも許容しかねない危険を孕む.少なくとも,僕は,そんな野蛮な社会には生きたくない.

どんな主義主張をもっていようともあんな行為を「抗議」だなんて絶対に認めてはならない.