2015年6月30日火曜日

同世代だから思うこと

触れるのもどうなんだろうと思ったり思わなかったりなんだけれど,某少年 A の本のこと.やっぱり,触れるべきじゃなかったかな?もう,出版騒ぎもひと段落ついたから,そろそろ,書いておいてもいいかな?

例の本.当然,読んでもいないし,今後,読む気もない.おそらく,この先も,心変わりして読む気になることもないと思う.その理由は非常に単純で,平凡すぎて愚かすぎてどうしようもない人間の書いた文章を読むという行為そのものが,あまりにも時間の無駄だからだ.

当時,彼が "少年" として殺人事件を起こしたこと,煽り文を警察やマスコミにばらまいていたことなんかを,マスコミとか大人とかが,さも特異な,理解不能な事象かのように騒いでいたのを冷めた目で見ていた記憶しかない.たぶん,これは僕だけではなく,同世代の人間の共通認識なんじゃないかと思う.事実,当時の同級生との会話でも,事件について,世の中の騒乱に比べてかなり冷静な分析をできていた(もちろん,事件自体の残忍さと,同世代が犯人として検挙されたことへの驚きはあったけれど).私立中にいたので,いい意味でも悪い意味でも周囲に早熟な人間は多かったと思うが,そうでなくても,同世代の共通認識として彼の "平凡さ" と "愚かさ" に関して,異議を挟む同世代には,その後いままで,一人も会ったことはない.

そもそも,「人を殺したい」と思うことが,平凡極まりない.そして,「それを実行した結果どうなるか?」に頭が回らないことが愚か極まりない.これが,当時も今も同世代として,この犯人に関してできる分析の全て.さらにいうと,今回の出版のように,すでに世間の記憶の彼方に霞みつつあるタイミングで自己アピールをしている行為自体が,もう,救い難いぐらい愚かだ.

僕らも 30 歳を越えた.世の中には,学術分野で非凡な才能を開花させた同年代や,スポーツで大成した同年代,世界的に著名な芸術家になった同年代,バリバリのビジネスパーソンとなった同世代がたくさんいる.そういう風に著名でなくても,ほとんどの同世代は,バリバリと働き,多くの実績を上げていることだろう.そんななかで,なんで,ただのいち犯罪者の自慰に付き合う必要があるのか,と書けば,僕らの世代の思うところが理解されるだろうか?

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参考(この世代の人間として下記のブログ記事はすごく納得がいくので参考まで)
http://d.hatena.ne.jp/sugio/20070821
http://d.hatena.ne.jp/sugio/20070916/p3

2015年6月29日月曜日

もやもやする

最近,各地で火山活動が活発になっていることで(注),火山活動や火山学に注目が集まっている.そんななか,ニュースなどでよく聞かれる言説に「火山観測に従事できる火山学者が少ない」というものがある.

確かに,複数のプレート収束域に位置し,火山大国である日本としては,明らかに,火山観測網は不十分だし,火山観測に従事できる火山学者は少ないと言える(かといって,他の火山国がもっと充実しているというわけでもない).しかし,偽らざる実感から語るなら,その他の人的被害を伴うような地質災害と比較した場合,火山学関連は,人的・質的には,ものすごく充実していると断言できる.

そもそも,地質に関連した人間が極端に少ないことが問題だ.そもそもの母数が少ないから,各個の事象に対応できる人員も少なくなる.地質学徒の少なさは,歴史的に日本が資源弱小国であったことに由来すると言われている(本当かどうかは知らない).しかし,日本が地質災害の宝庫であることを鑑みれば,もう少し,この分野が発展していても良さそうなものなのだが,「災害に対応する」というネガティブな印象は学問人口には直結しないようで,それが,歴史的に積み重ねられてしまった現在では,もう,どうしようもないのかもしれない.

(注)火山活動の活発さをこんな短期間で判別できるはずもないので,あくまで,一般論・巷間の戯言として.

2015年6月28日日曜日

気になった

某アニメの PV を眺めていたら,人間椅子の和嶋さんの影がチラつく曲調と歌い方(イントネーション)と昭和中期文学(戦中戦後)を意識した歌詞なんだけれど,声は和嶋さんじゃないし,曲調もメタルでもないし,エグさやグロさがだいぶ爽やかさやオシャレに転化した雰囲気の曲が流れてきて,「乱歩アニメだから,和嶋さんが曲提供して別人に歌わせた?それにしては,爽やかすぎないか?」と思って,調べたら,amazarashi というバンド(ユニット?)だった.

ネットに転がっている楽曲を視聴してみると,ジャンルは全然別物(オシャレでトレンディーなポップロック)なんだけれど人間椅子的な風味があったりなかったりで,やっぱり,これは共通点はありつつも別の個性だと.好きだけど.

とりあえず,アルバム 2 枚しか出てないみたいだし,買ってみようかなと.

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青森出身で訛りを標準語に矯正したときのイントネーションの狂いが歌い方の共通項になっているのかなとも思ったけれど,amazarashi の方は南部とか下北のほうの人らしいから違うか.津軽と南部をいっしょくたに語ると青森県人に殺されるって聞いたし.

2015年6月26日金曜日

面白い(白目)

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4896469.html

学問も,芸術も,クリエイティブな仕事も何もしていないし,詳しくもない人たちが,想像でそれらの仕事を語るの図.

2015年6月24日水曜日

違和感

日本で春画展が開催されるために奮闘した人の記事を読んだ.春画展が開催されること自体はいいことだと思うけれど,それに対する,態度に違和感が拭えない.

まぁ,学術的に意義があるとかそういう話題はわかるし,多くの博物館が見えないクレーマーを怖がっているという論調そのものは理解できる話なんだけれど,いま,春画が芸術や学問の俎上で重要なテーマになっているという事実を強調しすぎて,当時の春画が,猥褻で猥雑な,いかにも生臭く,人間臭い,エロ・グロ・ナンセンスの文化そのものであったという事実を無視するのは如何なものかと思う.性というものに直結した,猥褻で猥雑で下衆な流行りものだからこそ,それを町人文化論として研究する価値があるのに,みんなが猥褻で猥雑で下衆だったことを,みんながやっていることだったからそれは下衆ではなかったみたいな言い換えをしたような言い方が気持ちが悪い.

談志じゃねーけど,「人間の業の肯定」って考え方の欠落した理想主義みたいなものは,本当に大嫌い.

2015年6月23日火曜日

釣りになってねーよ……

「タイタニックのテーマ曲の人が死亡」みたいなタイトルの記事をみて,セリーヌ・ディオンが死んだのかと思ったら,ジェームズ・ホーナーの訃報だった.映画音楽の巨人が…….全然,釣りになってねーよ…….こっちのほうがよっぽど大きな訃報だよ…….

札幌最古の地層の続報の続報

これこれの続きというか,付記.

先日,回収してきた薄別層の岩石を,岩石カッターでぶった切ってみたら,砂岩の層内変形やら,未固結時の小規模な泥岩注入やら,無数の微小断層やら,パッと見の整然層っぽい見た目(参考: https://sites.google.com/site/ver301/Home/toy-box/short-notes/geo01 )とは印象がガラッと変わってしまった.

やっぱり,こいつも付加体だったのだな…….

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切断面の写真は気が向いたら,どこかに載せるかも?

2015年6月22日月曜日

はじめて

生まれて初めて「七海」という名前の女性と出会った.「七海」という名前の男が「ななみっていうと女だと思われるんですよー」という例には,過去に 10 人くらい会ったことがあるので,比率的には「七海」は男の名前と考える方が妥当なのではないかと.

「薫」という名前も同様.なお,「薫」という名前の女性には,まだ,会ったことがない.

さきえる

いまごろ第3新東京市では…….

ヤマト世代がヤマトに特別な思いを抱くように,ガンダム世代がガンダムに特別な思いを抱くように,ハルヒ世代がハルヒに特別な思いを抱くように,僕らの世代は,エヴァンゲリオンに特別な思いを抱く.これは,もう,仕方がないことなのだ.

仕方がないことなのだ(大事なことなので……ry)

なんつーか,当時,2015 年なんて(セカンドインパクトの発生した 2000 年だって)遠い未来のことにしか思えなくて,中二じゃないけれど中二病を発症していた僕は,「そもそもそんな時代にはもう死んでいるんじゃないか?」とか思っていたくらいだったり.

2015年6月18日木曜日

この味が……

この脚本 クソだなと思い エンディング 眺めていたら 花田十輝

2015年6月17日水曜日

焼死したり頭に当たったり

恐竜の絶滅の原因論に関して(というか,私の立場上,K-Pg boundary event に関して,というべきか?),一般の人の多くも「隕石衝突」がその大きな要因になったということは知っていると思う.でも,具体的に,隕石衝突の結果どうなって,どういう風に恐竜が絶滅したのかということについては,あんまり知られていないようで…….

よく見かけるのが,隕石が恐竜の頭に降ってきて死んでいるみたいな図なんだけれど,今回,それなりに信頼の置ける一般向け科学ネタ雑誌で,「隕石の衝突で発生した森林火災で焼死した恐竜」みたいな記述を見つけて脱力した.恐竜は,隕石にぶつかったり,焼死したりしていて忙しそうだし,大変だな,と思った.

なんか教養なすぎて泣ける……

文科省が,大学の改革をする云々に対して批判をしている人が「文科省は,ハゼの研究とかやっている皇族に,実学以外の役に立たない学問をやめろ,と言えるのか!?」みたいなことを言って批判しているんだけれど,見当外れすぎて噴いた.いわゆる「皇室科学」は,西洋で歴史的に行われてきた「貴族自然哲学」の流れを汲んだものであって,奴隷や臣民が働いて有閑な貴族たちが自然哲学をやってきたというのが転じて,象徴制の強い現代の王族や皇族には「自然哲学に代表されるような実践的に役に立たない学問をやらせとけ!」という,いわば,今の文科省の発想の延長線上にある考え方のものなんだよね.

まぁ,こういう教養の欠片もない発言をしているバカの存在そのものが,リベラルアーツとか実学以外の学問を軽んじている現代教育の弊害のようなものなので,上記の発言をした人は,結果的に,いまの文科省の考え方を批判しているということでよろしいのではないでしょうか?

2015年6月15日月曜日

信者

最近,だんだんと気付いてきたことだけれど,たぶん,僕は,Apple 信者だったわけではなく,ジョブズ信者だったらしいということ.ジョブズが実質的に経営から引退した頃からいままで,Apple の製品に関して以前ほどの魅力を感じなくなってきているし,なんか自分の好みとかポリシーと「ズレてる」感が強くて,ほとんど新規購入の食指が動かない(Apple Watch はものすごく興味あるところだけれど,実際出てみたら,なんか「ちがう」ので購入には至っていない).

まぁ,だからといって,Android 携帯を持ったり,windows を使うかと聞かれたら,No なんで,やっぱり,マック信者なのかな.まぁ,どうでもいいや.

2015年6月4日木曜日

無責任な意見をいう

チンパンジーが「調理」の概念を「認知」する「能力」があったというニュース.

このニュースは,日本語のものの中では,それなりに詳細を書いてある記事と論文のアブストを読んだだけなんだけれど,従来の類人猿の「学習」に関する研究との差異がいまいちピンとこない(そもそも「学習」に関する研究もよく知らないけれど).多くのチンパンジーが火を通したものを生のものより「美味い(好ましい)」と感じているようだということと,積極的に「美味い(好ましい)」ものを得ようとすることは面白いかもしれないけれど(これは,いわゆる棒と天井に吊るされたバナナを使った実験との大きな差異である).

さらにいうと,調理の起源云々の言説とか,「調理を認知する能力」を共有派生形質みたいに扱う言説は,かつて今西錦司がハマった闇の匂いがプンプンしてくるので,なんともモニョってしまうのであった.

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論文: http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/282/1809/20150229

(「能力」という単語の使い方の問題で,結局,脳の物質(物理)的な機能の問題なのかもしれないけれど,よくわからない.論文(のアブスト)中では psychological ability という用語を使っているのだけれど,こういう用語の扱いも門外漢のわたくしには判断が効かないのでなんともかんとも.そもそも,論文全部読んでないし!←だからこそ記事のタイトルの通り)

(そもそも,「調理の定義」を「火によって好適なものを得ること」に求めているんだけれど,その場合,「調理」に近似したある作業を行うことで「好適なものが得られる」ことを「認知」できることよりも(今回の実験はこれ),「火」を「道具」として安全に御する「方法」を「認知」することのほうが,よっぽど大きい問題じゃないかな,とか思う(このことはアブストを読む限り,著者も認識している).今回の実験で使われた "道具" は,火ほど危険なものじゃないわけで,これは「棒と天井バナナ実験」と「幸島のサルの芋洗い」の組み合わせのようなもので,それほど目新しさや斬新さを感じないんだけれど,実は,こういう発想自体今までなかったのかしら?)

2015年6月3日水曜日

机の下

「地震のときには机の下に隠れろという常識を疑おう」といった内容の記事を最近よく見かける.記事を読むと,家屋倒壊の際に生存率が高いと言われている「三角スポット(ベッドの脇など)」と呼ばれるゾーンの解説(これ自体は間違っていない)なんだけれど,それと同時に「机の下に潜る」という行動が間違っているかのような誘導がなされていることが多く,それがとても気になる.

「机の下に潜る」という行動の目的は,落下物から身を守ることにある.地震の際に,家屋が倒壊して屋根が落ちてくる確率と落下物が降ってくる確率のどちらが高いかと考えれば,どういう行動をとるべきかは明らかだろう.そもそも,ある程度以上に丈夫な机の下は,当然,「三角スポット」でもある.

地震のとき,「三角スポット」だからといって,頭上がガラ空きのソファーやベッドの脇に身を縮こめていたら,上から降ってきたものに当たって頭に怪我をしました,なんてことになったら,笑い話にもならない.

「三角スポット」に関する知識を持っておくことは,もしもの大地震のときの生存率を上げてくれるという意味で,非常に重要だけれど,とりあえず「机の下に潜る」という行動をとれることの方が,ずっと大事なのだ.

あと,東北地方太平洋沖地震を仙台で体験した人間としていわせてもらうけれど,地震の最中で「三角スポット」云々なんて考えて行動できるような精神的・身体的(揺れ的な意味で)余裕なんて,絶対ないと断言できる.そもそも,まともに立っていることもできないから,危険の少なそうなところまで這っていってうずくまるのが関の山です.あとはもう運だね.

2015年6月2日火曜日

どっちの影響?

常々,疑問に感じていたことだけれど,いわゆる「ゆとり」と総称される世代のもつ価値観って,ゆとり教育を受けたことによって,世代特有の価値観を得たんじゃなくて,いわゆるデジタルネイティブとか言われるような環境を無条件で与えられている結果として形成された価値観を共有している世代なんじゃないかということ.いわゆる「ゆとり」にまつわる話の大部分,それこそ巷間のバカ話から,ある程度の母数の統計データから考察されているものまで,ポジティブなものネガティブなものに関わらず,いわゆるデジタルネイティブ論と重なっていることが多くて(そりゃ,ほぼ同世代をターゲットにして語っているんだから当然なんだけれど),影響としては,学校(笑)なんかよりも,日常的に接していたいんたーねっつのほうが,価値観の形成には大きな影響があるんじゃないかと.

世代に関わらず,ネット(の暗部)にどっぷりな人(ネトウヨでも 2ch 脳でもなんでもいいんだけれど)って,わりと,「ゆとり」的よね,とか.