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2022年1月30日日曜日

万年筆・備忘

  • Pelikan Souverän M400 青軸(M)

  • Pilot ELABO 樹脂軸黒(SF)

  • Salor Sapporo(Professional Gear Slim)白軸,金装飾,黒首(M)※海外モデル

  • Salor Professional Gear カクテルシリーズ テキーラサンライズ(M)

  • Pelikan Souverän M805 Demonstrator (B)

  • Pelikan Souverän M300 緑軸(M)

  • Pelikan Classic M205 Olivine (M)

  • Pilot Custom742 仏壇(FA)

  • Aurora Trilobiti Ciocolata (M)

100K over に手を出し始めてしまったから,もうダメかもしれない.10K以下とか,いわゆる低価格帯ものは,入れていない.safari とか pelikano jr. とか.さらに安いと,kakuno, preppy......
ちなみに,透明軸は,変わり種としてほしいと思うことはあるけれど,そこまで好きじゃないので,Twisbi は持っていません.いや,不透明もあるけれど,なんかクリア軸のイメージ強くないですか?
  • Namiki (Pilot) Metropolitan Retro-Pop Orange (M) ※海外モデル

  • Namiki (Pilot) Metropolitan Retro-Pop Turquoise Barrel (M) ※海外モデル

あと,輸入にかかる費用をさっ引いても安いモデルだけれど,この2本は特記.ようはCocoon だけど.Cocoon は MR と比較してダサいので(いまは)持っていない.このシリーズが国内で販売されないのはどう考えてもおかしい.CON-40 とともに,パイロットの大きな謎のひとつである.

2019年2月17日日曜日

芸術との対峙

そんなわけで,連休中は芸術に親しんできたのだけれど,そういう場に足を踏み入れると,いつも感じることだけれども,何故,こうも教養もなく展覧会に足を運ぶ人間が多数存在しているのか,ということ.

まぁ,絵画展なら,まだわかる部分もある(それでもクソうざいけれど).教養がない人でも,意味がわからない人でも「絵だ」程度の感嘆は得られるかもしれないし,具象的描写があれば「何が書かれているか」の表象は理解できるだろうから.

でも,書道に関して教養がない人間が顔真卿展に来るのは違うだろう,と.少なくとも,顔真卿展に来ている書道ガチ勢が,静かに展示を見るのを邪魔する権利は無教養な人間にはないはずだ!(激怒)

しかし,本当に,あーいう奴らってなんなんだろうと思うよね.美術館でも,博物館でも,どこにでも現れるあの生き物たち.

絵でも書でも化石でもなんでもいいんだけれど,それらについて教養が全くないし,現れた展においても学ぶ気もない,そういう行為に彼らを駆り立てるものがなんなのか,本当に,純粋に興味がある.単純に,順当に興味があって来る人の観覧の邪魔をすることが趣味とかなんじゃなかろうか?

自分も博物館に勤めた経験があるので,アレが金を落とすということは知っている.知っているが,貴重な資料や芸術作品をリスクにさらしてまで,本当に,あんなバカどもの金が欲しいのか,と,そういうことを考えてしまう.

まぁ,この辺は,私が,若い人以外に向けたアウトリーチに否定的だからという部分もあるのだけれど,本当に,一考すべき問題だと思っている.

2019年1月27日日曜日

手書きの文章とワープロ打ちの文章

オカルト的な話であることは否定しない.

……が,手書きで書かれる文章とワープロ打ちで書かれた文章には違いがあると思う.これは,どちらが優れているとか,そういう話ではなくて,例えば,喋り言葉と書き言葉に違いがあるようなものだ.

手書きの言葉と,ワープロ打ちの言葉の違いは確実に存在していると思うけれど,この違いが万人に共通する”かたち”で現れるわけではなくて,個人の資質によって規制される部分が大きいというところが,この論をオカルト化していると思う.

たぶん,「直接,漢字を書く」ことと「変換する」こと,思考の速度と文章を「書く速度」と「打つ速度」の差異,修正の簡易さの問題など,明らかに自分の生理的な呼吸との間に違う行為が挟まれているので,差が生まれる理由は,存在している気がする.あと,漢字を勝手に変換してくれるから,ワープロ打ちの方が難しい言葉を使いがちになるよね(自分だけの症状かもしれないけれど).

例えば,手書きで書いた草稿をワープロに打ちなおすとき,それを強く感じる.私の場合は,ワープロ打ちだと一文が長くなる傾向が著しい.手書きだと,長い文章の整合性が取れないし,たぶん,書いているうちに思考が息切れする.

そう考えると,手書き時代に長いのに美しい文章を書いていた堀辰雄ってすげえな.

2019年1月14日月曜日

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.

2016年5月25日水曜日

わけがわからない

自分(研究者)が書いた研究に関する書類を,自分(企画担当)がセッティングした所内検討会にかけ,その課題に対して自分(検討人員)がコメントして,自分(研究者)が修正して,自分(書類事務担当)に提出して,自分(書類事務担当)が書類不備のチェックをして,自分(外部機関窓口)が書類の送り先に書類を送付する.そんな最近のわたくし.

2016年2月18日木曜日

ずっと前から突っ込みたかったこと

大阪弁あるあるは,方言の単語を標準語に置き換えると,普通に,標準語でも同じことが大部分(たとえば「なんや」のコピペなら「なんだ」に置き換えれば関東でもよくみる光景).

女あるあるとかま〜ん(笑)ネタは,性別を置き換えても大抵通じる.というか,同案で性別入れ替えただけのネタとか普通に見かける.たとえば,自動車バッテリーコピペだって,あれ自体は,男女入れ替えても普通にある光景で,むしろ,それをジョークにした時の受け取る側のジェンダーの問題.

国家・国民性ジョークとか県民性とかも,だいたい,その類.

かように,ある特定の集団に固有の性質なんてものはないのでした.ちょっとしたジョークで言っている分にはいいんだけれどね.

2015年5月31日日曜日

宮沢賢治は好きだけれど,宮沢賢治を取り巻くアレな感じは嫌いなのだ

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4881863.html

単に,「ある牛飼いがものがたる」の対になる締めの言葉以上の意味はないんじゃねーの,と.すぐ思い出せるところで,「やまなし」でも似たようなテクニック使ってるし,他にも起文と結語でくくる形式の話はあったような気がする.宮沢賢治に限らなければ,それこそ,無数に.

とにかく,テクストとして書かれた文字以上のものを考える風潮はとっとと死に絶えてほしい(この書かれていること以上の意味を考えるのって,陰謀論の生じるロジックと一緒なんだよね.陰謀論がはびこるのを防ぐのには科学教育よりも国語教育の方が重要ということなんだけれど,これはまた,別の話).「やまなし」の "クラムボン" とか,(少なくとも高等教育を終了しているレベルの)いい大人が意味がどうこうとかネット上で書いているのを見ると,本当に頭痛が痛くなる.

宮沢賢治の感性や語感は独特だし,彼の文章から立ち上る臭気は日本文学の系譜の中で,かなり特異的な存在だと思うし,なにより,あの物語の中に示される彼の科学的かつ宗教的な世界観は魅力的だけれど,それに纏わりつくような,学術的な研究を超えたところに妙な執着を持って,いち作家以上に神聖視するタイプの "宮沢賢治研究者" とか,そういう存在が大嫌い(名前は出さないけどさ).

あーいうタイプの自称研究者の信者が消え失せないと,そもそも,宮沢賢治そのものがちゃんと評価されない気がするのです.

2015年1月27日火曜日

字幕のはなし

補足.

字幕については,数々の名(迷?)翻訳を生み出してきたことを,もっと評価するべきだと思う.

例えば,分かりやすい例だと,"Here is looking at you, kid." を「君の瞳に乾杯」と訳したとしても,それを声優が日本語で発話してしまっていたとしたら,たぶん,こんなに語り継がれる名台詞としては残っていないのじゃないかと.耳でハンフリー・ボガードの賺したイケメンボイスを聞いて,異国のキラキラした世界でイケメンと美女が囁きあっているという雰囲気に浮かれているからこそ「君の瞳に乾杯」が,際立つものだと思うわけです.これが日本語で発話されていたら,いくら絵が異国のイケメン美女であっても日本語の響きにどこか日常を想起させられてしまうのではないかと.

2015年1月26日月曜日

字幕と吹き替え

字幕か吹き替えかで論争になることがあるけれど,基本的に字幕派.字幕の情報量の少なさとか,訳の拙さとかは,まぁ,頑張って聞き取れば,そんなに問題ではないかと(※).それより,声という役者の演技の大部分を占める要素を他人のもので代替したんじゃ,役者にも監督にも失礼じゃないかと思うのです.ぶっちゃけ,なに喋ってるか分かんなくたって,演技や映画は楽しめると思うの.一回見て,内容把握してる映画なら字幕も消すよ.

でも,アクションとか,演技を気にしない映画は吹き替えの方が気楽でいいかも.アニメも吹き替えでいいかな……(日本の声優業界の層の厚さ的な意味で).

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(※)長セリフとか,堅苦しい独白とか,小難しい議論とかは,制作者側も "聞けるように" 撮るから意外と楽に聞き取れるんだけれど,日常会話はぼちぼちで,どーでもいい(言い争っていることが伝わればいいような)クロストークとか,展開が急な場面での短い言葉の応酬とかは,かなり難しいから字幕に頼る感じ(そういう場面は字幕の少ない情報量でも構わないし). あと,訛りの強い役者さんのセリフはお手上げ,字幕様万歳という程度.

2015年1月18日日曜日

そういえば

今日は,センター試験の 1 日目だったらしいけれど,「相変わらず,ソシュール以前の世界に生きているバカが国語の設問に関してあーだこーだバカな話をしてるんだろうな.世界はもう,ポストモダンの時代も終わっているというのに……」とか思っていたら,案の定過ぎて,日本の国語教育はどうなってるんだろう,と心の底から不安になった.

少なくとも,僕は,高校の現代文の時間にソシュールからソーカル事件までの言語学史のザックリした解説は受けたし,(大学入試程度の)国語の試験は記号学に基づいたテクストの読み取りの習熟具合を見られるから,そういう技術を磨け,と言われたわけで(一応,全国的に有名な私立の進学校だったから,これが普通とは思わないけれど),普通の教育を受けていれば,どこかしらでそういう概念は学ぶと思うんだけれど…….

2015年1月9日金曜日

言葉の意味とネタの鮮度

某所で「ポスドクは水商売らしい」という言葉が Wikipedia の「水商売」の解説部分の画像とともに "ネタ" として書かれているのをみて,(一歩先も見えない非正規雇用なんだから当たり前だろ,という意味で)なにが笑いどころなのか,まったくわからなかったんだけれど,他者から「水商売を性風俗産業だけを指すとでも思っているんじゃねーの」と指摘されて,ようやく意味が分かった(その後,wikipedia を見たらそういう用法も一般的らしい).

水商売と聞いて,真っ先にイメージするのは落語家とか芸人のような職種なので(多分落語好きなせい),水商売って言葉自体に原義(というか,今でもそういう意味だけど)のイメージしかなく,性風俗業のみを指すという限定的な使い方はしっくりこない(「お水」とかの業界人が自称するような符牒ならわかるけれど).

ネタも水物なら,言葉の意味も水物だな,と思った(上手いことまとめたつもり).