教養って何かといえば,僕は,結局,会話が成立するかどうかということだと思っている.会話の前提といってもいい.
古典の話で言えば,「春はあげぽよ」というギャグが面白いためには,枕草子を知っていて,その解釈をなんとなく知っていて,あけぼのとあげぽよがダジャレになっていることに気付けて……という前提となる知識が必要なように,教養の程度の違いは会話を破綻させる.
大人になると,徐々に,人は同質な集団のみとしか関わらなくなるので,なかなか認識できる機会はなくなるんだけれど,教養というバックボーンが大きく違う人と会話をする機会があると,あまりにも会話が成立しなくて驚くことになる.サイエンスの業界で,(それが適当なものであるかはともかく)サイエンスコミュニケーションというものがあるのは,科学者が(教養というレベルを超えて)専門的に過ぎるのを,どうにか義務教育レベルに伝達するためだ.そういう差が,教養のレベルでも生じる(落差は違うけれど).
例えば,少し前に,「三角関数は必修にいらない」みたいな話題がバズったことがあった(誰がきっかけだったか忘れたけれど).
ご存知の通り,三角関数ってかなり多くの仕事で「使われている」わけだけれど,それを教養として「知っている」かどうかで,上記のような議論になった際に会話ができなくなって,議論が成立しなくなってしまう.実際,上記のネタがバズった際に,そこかしこでそういう議論不調を見かけたものだ.この話で面白いのは,実際に三角関数に仕事で使うかどうかではなくて,「三角関数が非常に多くの分野に使われている」という教養を持っているかどうかが差をつけている,ということだ.
で,なんで教養の差が会話の不調を生むのかについては,また,別な機会で.
(教養が足りないと経験に依存するという話)
2019年2月8日金曜日
2019年2月7日木曜日
古典とか
古典を必修から外す(かもしれない)というニュース.
古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.
教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.
与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)
で,冒頭の問題.
古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?
古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.
教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.
与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)
で,冒頭の問題.
古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?
2019年1月30日水曜日
抽象的な話2
今度は,特定しないためにボカす.
--
あるネット上のある科学系の学識ぶったクラスタで,ちょっとしたネタが沸いているのを見た.そのネタが明らかにその学問の基本中の基本を理解していない内容だったにも関わらず,それについて何故かちゃんと議論が成立していた(本当のはじめから流れを見ていたわけではないので,くそネタを弄って議論風に遊んでいたのかもしれないけれど).
そんな不思議な光景を見たので,話の展開をちょっとだけ遡ってみたところ,そのクラスタのオピニオンリーダー的な人が,議論をミスリード(というのは言葉が違うんだけれど.何しろ根本的に間違っているから)していたことがわかった.
それがいいとか悪いとかいう話ではなくて,そのクラスタにいる人たちは,その場に書き込んでいるのに使っている箱を使えば,いま目の前で展開されている言葉のやり取りが根本的に間違っているということが簡単に調べられるということに気付いていないということが恐怖だった.つまり,そのオピニオンリーダーの知識や各議論参加者のその時点で保有している知識を上限にした議論しかなし得ていなかったということで,かつ,それが学問系クラスタやら議論を名乗っていて,それがおかしいと思っていないということだ(具体を知っているが故に抽象的に書くのが難しい.要は,バカがもっとバカととんでも理論の構築をしようとしているところを目撃したという話).
何度も書くけれど,その間違いは,その分野に明るければすぐにわかるものだし,その時点では,不勉強ゆえ知らなかったとしても,ググればすぐわかるレベルのもの(教科書を読む,とかじゃなくて,ググればわかることを確認した).
基本的に,議論の途中でわからないことが出てきたら,相手が目の前にいてもググって調べたり(または相手に聞いたり),自分が弱い部分についての話だったら,教科書なり論文なりを手元に置いて,相手と確認しながら話したり,議論の立脚点について誤謬がないかどうかを確認・共有したりというのが当たり前な世界でしか生きてきたことがなかったので,かなりの衝撃だった.とんでも理論とか陰謀論とかができる仕組みを観察できたというか…….
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あるネット上のある科学系の学識ぶったクラスタで,ちょっとしたネタが沸いているのを見た.そのネタが明らかにその学問の基本中の基本を理解していない内容だったにも関わらず,それについて何故かちゃんと議論が成立していた(本当のはじめから流れを見ていたわけではないので,くそネタを弄って議論風に遊んでいたのかもしれないけれど).
そんな不思議な光景を見たので,話の展開をちょっとだけ遡ってみたところ,そのクラスタのオピニオンリーダー的な人が,議論をミスリード(というのは言葉が違うんだけれど.何しろ根本的に間違っているから)していたことがわかった.
それがいいとか悪いとかいう話ではなくて,そのクラスタにいる人たちは,その場に書き込んでいるのに使っている箱を使えば,いま目の前で展開されている言葉のやり取りが根本的に間違っているということが簡単に調べられるということに気付いていないということが恐怖だった.つまり,そのオピニオンリーダーの知識や各議論参加者のその時点で保有している知識を上限にした議論しかなし得ていなかったということで,かつ,それが学問系クラスタやら議論を名乗っていて,それがおかしいと思っていないということだ(具体を知っているが故に抽象的に書くのが難しい.要は,バカがもっとバカととんでも理論の構築をしようとしているところを目撃したという話).
何度も書くけれど,その間違いは,その分野に明るければすぐにわかるものだし,その時点では,不勉強ゆえ知らなかったとしても,ググればすぐわかるレベルのもの(教科書を読む,とかじゃなくて,ググればわかることを確認した).
基本的に,議論の途中でわからないことが出てきたら,相手が目の前にいてもググって調べたり(または相手に聞いたり),自分が弱い部分についての話だったら,教科書なり論文なりを手元に置いて,相手と確認しながら話したり,議論の立脚点について誤謬がないかどうかを確認・共有したりというのが当たり前な世界でしか生きてきたことがなかったので,かなりの衝撃だった.とんでも理論とか陰謀論とかができる仕組みを観察できたというか…….
2019年1月27日日曜日
老害化の端緒を感じる
私は,昭和末期に生まれた世代で,物心は昭和のうちについている世代です.具体的に言うと,S.58 年生.ちょうど,いま,中年の入り口にさしかかっている年代と言えます.
世代としてくくると,私たちは社会がめちゃくちゃだった昭和末期から平成初期に基本的な人格形成がなされてしまった世代なわけです.この世代の経験した時代は,社会の変遷もめまぐるしいものでした(特に,PC 関連と IT 関連と通信技術).たぶん,我々の世代が,デジタルネイティブではない,唯一,成長とともにデジタル化されていった世代であると言えるでしょう.
で,実は,いわゆるデジタル云々じゃないところもそうだよね,という話.
私たちの世代は,基本的な人格形成が済んだ後になって,はじめて西欧的な感覚による political correct,多様性への寛容,機会均等,男女同権,ジェンダー論……etc. を学んだ世代になっていると思います.たぶん,私たちより上の世代(親世代)は,こんなものを学んだことはないし,私たちより下の世代(子供世代)は,人格形成期にはこういうことを少しずつ学んでいる世代になると思う(ただし,デジタルディバイドよりも遥かに緩やかだから,完全にネイティブに上記のような社会的価値観を身につけられる世代は,いままさに生まれているくらいの世代だと思うけれど).
そんな宙ぶらりん世代の私たちは,親世代や老害政治家のとんでも発言には嫌悪感を覚えるが,男女の性差と社会的ジェンダーの区別みたいなことは体感的にできない.頭を使えばできるけれど,感覚的ではない,という感じ.
例えば,トイレの男女表記が青赤になっていることに違和感を覚えられるだろうか?(まぁ,男女の赤青は日本においてはピクトグラム化しているし,男が青(黒)で女が赤というのもよく根拠が分からない色分けではあるんだけれど.ハレの着物の色とかが起源なのかな?)
例えば,男の子が木に登っている時にはなにも思わないのに,女の子が木に登っていると「危ない」と感じてしまったことはないだろうか?(成長を考えると,子供世代だったら女子のほうが成長早いはずなんだから,本来は,逆の注意をするべき)
(要は,ジレットの CM みたいな話ね)
そういう意味で,いま,自分たちの子供世代が続々と生まれている世界で,私たちは,コロコロと老害への道を転がり始めていると感じる.
世代としてくくると,私たちは社会がめちゃくちゃだった昭和末期から平成初期に基本的な人格形成がなされてしまった世代なわけです.この世代の経験した時代は,社会の変遷もめまぐるしいものでした(特に,PC 関連と IT 関連と通信技術).たぶん,我々の世代が,デジタルネイティブではない,唯一,成長とともにデジタル化されていった世代であると言えるでしょう.
で,実は,いわゆるデジタル云々じゃないところもそうだよね,という話.
私たちの世代は,基本的な人格形成が済んだ後になって,はじめて西欧的な感覚による political correct,多様性への寛容,機会均等,男女同権,ジェンダー論……etc. を学んだ世代になっていると思います.たぶん,私たちより上の世代(親世代)は,こんなものを学んだことはないし,私たちより下の世代(子供世代)は,人格形成期にはこういうことを少しずつ学んでいる世代になると思う(ただし,デジタルディバイドよりも遥かに緩やかだから,完全にネイティブに上記のような社会的価値観を身につけられる世代は,いままさに生まれているくらいの世代だと思うけれど).
そんな宙ぶらりん世代の私たちは,親世代や老害政治家のとんでも発言には嫌悪感を覚えるが,男女の性差と社会的ジェンダーの区別みたいなことは体感的にできない.頭を使えばできるけれど,感覚的ではない,という感じ.
例えば,トイレの男女表記が青赤になっていることに違和感を覚えられるだろうか?(まぁ,男女の赤青は日本においてはピクトグラム化しているし,男が青(黒)で女が赤というのもよく根拠が分からない色分けではあるんだけれど.ハレの着物の色とかが起源なのかな?)
例えば,男の子が木に登っている時にはなにも思わないのに,女の子が木に登っていると「危ない」と感じてしまったことはないだろうか?(成長を考えると,子供世代だったら女子のほうが成長早いはずなんだから,本来は,逆の注意をするべき)
(要は,ジレットの CM みたいな話ね)
そういう意味で,いま,自分たちの子供世代が続々と生まれている世界で,私たちは,コロコロと老害への道を転がり始めていると感じる.
2018年11月3日土曜日
教育に関してよくみる言説
特定の学術分野に関して,一般人がトンチンカンな反応をしたりするのを見た際,「◯◯について学校(特に義務教育)できちんと教えるべきだ!」と鼻息を荒くしている人をよくみる.もちろん,社会で共通認識として通用するべき常識的な教養の範囲(=義務教育が担保すべきレベル)は,高く広い方がいいのは当然なんだけれど,指導内容が無限に増やせるわけではないので,そりゃ,限界があるだろーよ,と思う.
そもそも,自称:ふつーの大人の大部分は,義務教育できちんと学習していることでも,ろくに覚えていないので,その「◯◯」についてしっかり義務教育(〜中等教育)に取り込んだとしても,基本的には現状と大して変わらないだろうと断言できる(一般向けの教養系クイズ番組の問題の大部分は義務養育レベルだけれど,それに悩んだりして楽しむ視聴者が大部分なわけで).
さらにいうと,その「◯◯」が義務教育〜中等教育の範囲内で,普通に教えられている内容であることが大半だったりする(ちなみに,高校進学率(=中等教育修了者)は 1990 年代以降,95 % 以上だそうな).それでも,覚えていない人がいて,そういう人がトンチンカンなことをいうというのが現実なのだ.
人間が総じて物忘れの激しいバカであるという巨大な事実の前では,諦観しかない(ので,私は熱くなれない).
まぁ,その程度に,人類みんなバカと思って暮らしている方が平和で,教育とかについても,より建設的な議論ができるんじゃないかと思うんだけれど,どうですかね?
そもそも,自称:ふつーの大人の大部分は,義務教育できちんと学習していることでも,ろくに覚えていないので,その「◯◯」についてしっかり義務教育(〜中等教育)に取り込んだとしても,基本的には現状と大して変わらないだろうと断言できる(一般向けの教養系クイズ番組の問題の大部分は義務養育レベルだけれど,それに悩んだりして楽しむ視聴者が大部分なわけで).
さらにいうと,その「◯◯」が義務教育〜中等教育の範囲内で,普通に教えられている内容であることが大半だったりする(ちなみに,高校進学率(=中等教育修了者)は 1990 年代以降,95 % 以上だそうな).それでも,覚えていない人がいて,そういう人がトンチンカンなことをいうというのが現実なのだ.
人間が総じて物忘れの激しいバカであるという巨大な事実の前では,諦観しかない(ので,私は熱くなれない).
まぁ,その程度に,人類みんなバカと思って暮らしている方が平和で,教育とかについても,より建設的な議論ができるんじゃないかと思うんだけれど,どうですかね?
2018年8月19日日曜日
せまい有限
最近,立て続けに貴重な文献や記録が廃棄されてしまったというニュースを耳にする.それについて,批判をするのはたやすいし,(特に大学や研究機関に対して)「それでも学問の府か」と批判したくなる気持ちもわからないわけではない.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.
2016年5月30日月曜日
メガネを置く,という行為
美術館の床にメガネを置いておいたら,人だかりができて,観客の議論が始まったという話.
http://jin115.com/archives/52132943.html
もちろん,バカバカしいお笑い草な話題ではあるんだけれど,果たして,美術館という場に,いたずらでメガネを放置するという行為が芸術ではないのか,という点が気になる.
なんの意図もなく,わざわざ,美術館の床にメガネを置くなんて行為はできないし,それをなんの疑問もなく芸術作品だと思い込んで眺める観客を撮影するということは,少なくとも現代のアートの消費者に対する批判的な感情が,仕掛け人の内にあるのは間違いない.それ自体が,いたずらそのものを一連の意味のある行為にしてしまっている(そこまでを仕掛け人が考えているのかどうかはともかくとして).
なんというか,いたずらに引っかかった人は,まぁ,世界中から笑われるのかもしれないけれど,引っかかった人の写真を眺めて,「馬鹿だなぁ」と笑っている人も含めて,仕掛け人的には「してやったり」と思われている気がして,素直に笑えないのでした.
http://jin115.com/archives/52132943.html
もちろん,バカバカしいお笑い草な話題ではあるんだけれど,果たして,美術館という場に,いたずらでメガネを放置するという行為が芸術ではないのか,という点が気になる.
なんの意図もなく,わざわざ,美術館の床にメガネを置くなんて行為はできないし,それをなんの疑問もなく芸術作品だと思い込んで眺める観客を撮影するということは,少なくとも現代のアートの消費者に対する批判的な感情が,仕掛け人の内にあるのは間違いない.それ自体が,いたずらそのものを一連の意味のある行為にしてしまっている(そこまでを仕掛け人が考えているのかどうかはともかくとして).
なんというか,いたずらに引っかかった人は,まぁ,世界中から笑われるのかもしれないけれど,引っかかった人の写真を眺めて,「馬鹿だなぁ」と笑っている人も含めて,仕掛け人的には「してやったり」と思われている気がして,素直に笑えないのでした.
2016年5月25日水曜日
科学はある種のロマンを駆逐するけれど,科学もロマンだよねという話?
ニューネッシーというものがある.なんでこんな古いネタを持ち出すかというと,最近,そんな過去の記事を回顧したうえに,ニューネッシーみたいな UMA に想いを馳せるのは素敵だねという内容の記事が朝日新聞に掲載されていたからです.もっというと,こんなバカネタ読み物記事に「科学的な事実を無視している!」みたいなマジレスをしているかわいそうな人を見たからです.
まぁ,マジレスした人と同じように「あの,ウバザメね」と一言で済んでしまう話なんだけれど,それは非常に面白みがないし,たぶん,意味もない.
確かに,アレ自体は,得られている科学的なデータに基づけば,ウバザメの死体と結論づけるだけの物体なんだけれど,アレを読み物のネタとしてイジることに,科学的にウバザメという結論が出ていることはどの程度意味があるだろうということ.
別な話をしましょう.
恋人と二人で,空の星座を指でなぞりながらいい雰囲気になっているカップルの隣で,星を眺めながら,星座っていっているけれど地球から見上げる天球面に並んだ星をつなげて人が勝手に絵を描いているだけで,三次元的に見ると全然バラバラなんだという内容を本を読んで知っているおっさんがいたとして,それが二人のロマンスを変えますかということ.
もっと言えば,かわいい女の子が,「血液型占いだと私とあなたは相性がいいみたい」って話をしてきたときに,「血液型と性格に相関はない」という返事をしますかということ.
科学とか理系とかって,そういうイメージを持たれているし,事実として,そういうレベルの低い発想をする人もいなくはないんだけれど,人間的な感情とか,別な側面で眺めたときに面白くなるものを,科学なんてたったひとつの基準だけで何から何まで否定する必要はないと思うわけです.
最後に,タイトルへの返答.
「いや,ムーにマジレスして,何が楽しいのよって話ですよ」
※なお,僕はオカルトマニアです.
まぁ,マジレスした人と同じように「あの,ウバザメね」と一言で済んでしまう話なんだけれど,それは非常に面白みがないし,たぶん,意味もない.
確かに,アレ自体は,得られている科学的なデータに基づけば,ウバザメの死体と結論づけるだけの物体なんだけれど,アレを読み物のネタとしてイジることに,科学的にウバザメという結論が出ていることはどの程度意味があるだろうということ.
別な話をしましょう.
恋人と二人で,空の星座を指でなぞりながらいい雰囲気になっているカップルの隣で,星を眺めながら,星座っていっているけれど地球から見上げる天球面に並んだ星をつなげて人が勝手に絵を描いているだけで,三次元的に見ると全然バラバラなんだという内容を本を読んで知っているおっさんがいたとして,それが二人のロマンスを変えますかということ.
もっと言えば,かわいい女の子が,「血液型占いだと私とあなたは相性がいいみたい」って話をしてきたときに,「血液型と性格に相関はない」という返事をしますかということ.
科学とか理系とかって,そういうイメージを持たれているし,事実として,そういうレベルの低い発想をする人もいなくはないんだけれど,人間的な感情とか,別な側面で眺めたときに面白くなるものを,科学なんてたったひとつの基準だけで何から何まで否定する必要はないと思うわけです.
最後に,タイトルへの返答.
「いや,ムーにマジレスして,何が楽しいのよって話ですよ」
※なお,僕はオカルトマニアです.
寺田寅彦はそんなこと言ってないって中谷宇吉郎先生の本に書いてた
よく,名言だと言われる言葉に「災害は忘れた頃にやってくる」というものがある.まぁ,名言かどうかは置いておいて,「常に災害に備えねばならない」というニュアンスの警句として,大事な言葉ではある.
この言葉,正確に表現するのなら,「他人の不幸(災害)が来るとこの言葉をみんなが思い出す」という感じ.なお,自分の不幸だったら時すでに遅し.
年がら年中,災害のことを考えていないといけない立場の人間としては,今回の熊本地震のような大きな災害を機に,ほんの少しだけでも,活断層とか直下型地震というものについて見識を深めようとする人がいることが救いである反面,寄せられる疑問の程度の低さに,誰にとっても等しく起こりうる災害に対する認知度がものすごく低いという事実に危機感を覚えるのでした.
最近,そういう仕事をしているから数える機会があったのだけれど(資料編纂室的な左遷?),自分の勤め先にくる取材の件数を遡ると,2011 年に(当然のことながら)巨大なピークがあった後,潮が引くように取材件数は減り,その後,小さな地質災害のあるたびに少しだけ取材がくる状態に推移し,東北の震災からだいぶ時が経ち,目立った災害がなかった去年はものすごく取材件数が減っていた.しかし,今年は,この一ヶ月で,去年の取材件数を超える勢いになっている.
普段は,気にも留めないし,当然,お金を出そうなんて微塵も思われないうえに各地で研究機関が廃止に追い込まれている研究分野なのに,いざ,災害が起こると「なんでこの災害が予知できなかった(無理です)」とか「なんでこの研究をしていないんだ(やろうとしても平時だとみんな忘れていて予算がつかないからです)」とか「なんでこんなに研究が進んでいないのだ(みんなが応援しないからです)」とか「税金の無駄遣い(民意とやらで予算がどんどんカットされているので,そんなにお金使っていません)」とか叩かれるという悲しい世界.
でも,災害が起こるとみんなが思い出してくれて,研究予算もつくという,他人の不幸で飯を食う的な悲しさも感じつつ,明日も仕事に向かうのです.
この言葉,正確に表現するのなら,「他人の不幸(災害)が来るとこの言葉をみんなが思い出す」という感じ.なお,自分の不幸だったら時すでに遅し.
年がら年中,災害のことを考えていないといけない立場の人間としては,今回の熊本地震のような大きな災害を機に,ほんの少しだけでも,活断層とか直下型地震というものについて見識を深めようとする人がいることが救いである反面,寄せられる疑問の程度の低さに,誰にとっても等しく起こりうる災害に対する認知度がものすごく低いという事実に危機感を覚えるのでした.
最近,そういう仕事をしているから数える機会があったのだけれど(資料編纂室的な左遷?),自分の勤め先にくる取材の件数を遡ると,2011 年に(当然のことながら)巨大なピークがあった後,潮が引くように取材件数は減り,その後,小さな地質災害のあるたびに少しだけ取材がくる状態に推移し,東北の震災からだいぶ時が経ち,目立った災害がなかった去年はものすごく取材件数が減っていた.しかし,今年は,この一ヶ月で,去年の取材件数を超える勢いになっている.
普段は,気にも留めないし,当然,お金を出そうなんて微塵も思われないうえに各地で研究機関が廃止に追い込まれている研究分野なのに,いざ,災害が起こると「なんでこの災害が予知できなかった(無理です)」とか「なんでこの研究をしていないんだ(やろうとしても平時だとみんな忘れていて予算がつかないからです)」とか「なんでこんなに研究が進んでいないのだ(みんなが応援しないからです)」とか「税金の無駄遣い(民意とやらで予算がどんどんカットされているので,そんなにお金使っていません)」とか叩かれるという悲しい世界.
でも,災害が起こるとみんなが思い出してくれて,研究予算もつくという,他人の不幸で飯を食う的な悲しさも感じつつ,明日も仕事に向かうのです.
2016年5月12日木曜日
絶対ないとは言わないけどさ
とある中学生くらいの少年が,奇抜な発想で,しかも,Google Earth を使ってマヤの遺跡を発見したというニュースが全世界を駆け回ったかと思ったら,一瞬で学識者からマジレスを食らって消え失せたという話.
今回のニュースの場合,一報を聞いた時点でリモートセンシングを使って遺跡を探すという学術分野があることを知っていたので(私はリモセンに近しい分野の人なので),瞬時にガセネタ(または少年の錯誤)と判断できましたが,まぁ,騙される人は多かったようで(ニュースの影響力って偉大ね),いつものお決まりの「学者はバカか?」とか「金返せ!」のシュプレッヒコールを方々で見かけました.まぁ,それはどうでもいいんだけれど.
この件で,僕がひとつだけ言いたいのは,数十年前ならいざ知らず,基本的に,どんな分野でも素人が急に最先端の学問領域に新しい風とともに切り込んでくるなんてことはないですよ,ということ.
普通に生きている人には想像もつかないくらい頭のいい人(たぶん,大多数の人は生まれてから死ぬまで一度も会うことがないレベルの人たち.仮に会っていたとしても,その頭の良さを認識できないようなレベルの人たち)が集まって,特定の狭い分野の研究に色々な手法をもって取り組んでいるのが研究の世界です.よく,「素人の柔軟な発想が〜」みたいな言われ方をするけれど,その瞬間までどの学問分野にも属さずに素人でいられる程度の脳みその人に学者より柔軟な発想ができるとは到底思えません.
子供が頑張ったんだから,否定するなみたいな言説も見かけたけれど,研究の世界は,批判や論争を乗り越えてこそ,新たな地平に向かえるものなので,かの少年が,(今回の失敗にめげずに)その熱意を燃やしてくれることを願うからこそ,マジレスが彼には必要だと,僕は思います.
そもそも,この少年の説が世界中に晒されるより前に,この少年の錯誤に気付いている大人はいたはずで,この少年を甘やかして学術的批判を加えなかったことが今回の事態を招いているのは明らかなので,否定されるべきは少年の説への学術的批判を非難する人たちの方だ(そもそも,二年くらい前からの話みたいなので).
今回のニュースの場合,一報を聞いた時点でリモートセンシングを使って遺跡を探すという学術分野があることを知っていたので(私はリモセンに近しい分野の人なので),瞬時にガセネタ(または少年の錯誤)と判断できましたが,まぁ,騙される人は多かったようで(ニュースの影響力って偉大ね),いつものお決まりの「学者はバカか?」とか「金返せ!」のシュプレッヒコールを方々で見かけました.まぁ,それはどうでもいいんだけれど.
この件で,僕がひとつだけ言いたいのは,数十年前ならいざ知らず,基本的に,どんな分野でも素人が急に最先端の学問領域に新しい風とともに切り込んでくるなんてことはないですよ,ということ.
普通に生きている人には想像もつかないくらい頭のいい人(たぶん,大多数の人は生まれてから死ぬまで一度も会うことがないレベルの人たち.仮に会っていたとしても,その頭の良さを認識できないようなレベルの人たち)が集まって,特定の狭い分野の研究に色々な手法をもって取り組んでいるのが研究の世界です.よく,「素人の柔軟な発想が〜」みたいな言われ方をするけれど,その瞬間までどの学問分野にも属さずに素人でいられる程度の脳みその人に学者より柔軟な発想ができるとは到底思えません.
子供が頑張ったんだから,否定するなみたいな言説も見かけたけれど,研究の世界は,批判や論争を乗り越えてこそ,新たな地平に向かえるものなので,かの少年が,(今回の失敗にめげずに)その熱意を燃やしてくれることを願うからこそ,マジレスが彼には必要だと,僕は思います.
そもそも,この少年の説が世界中に晒されるより前に,この少年の錯誤に気付いている大人はいたはずで,この少年を甘やかして学術的批判を加えなかったことが今回の事態を招いているのは明らかなので,否定されるべきは少年の説への学術的批判を非難する人たちの方だ(そもそも,二年くらい前からの話みたいなので).
2016年4月13日水曜日
この支配からの卒業からの卒業
ニコニコ動画が高校を作ったとかなんとか.そして,そこに多数の若者が集ったそうな.
別に,それ自体はどうでもいいし,高校なんて自分には全く縁のない世界なので,そこに通う生徒も,作った人達も頑張ってくださいってだけの話なんだけれど,ニュースそのものに強烈な違和感がある.その高校のウリは自由であることだそうで,学生の個性を尊重して,学生のやりたいことをやりたいようにやってもらうことだそうな(普通じゃないこと云々は壮大なギャグだとして).まぁ,実際どうなるかは知らないけれど,言葉自体は魅力的なものだし,(既に大人になってしまった人間としては)若者の自己実現を応援してやりたいという気持ちも分からないわけではないのだ.
しかし,ひとつだけ気になるのが,通っている生徒は,「大人が用意した自由という名前の箱」に入ることに,抵抗とか違和感とかがないのかということだ.
いや,大人が用意した箱ということにだけ心理的な抵抗を感じて意味のない無駄な反発をするよりも,セッティングされた環境を享受して利用し尽くす生き方のほうがクレバーなのかもしれないけどさ.
ひとつだけ言えるのは,別にその高校に行くことが自由を保障するんじゃなくて,結局,自分が自分に対して自由かどうかが自分の人生に自由を感じられるかどうかの全てなのだということ.場や箱が重要ではないなんて,大人になった僕には言えないけれど,場や箱が如何に用意されていても,結局は,自己実現の問題なので,逆に,恵まれた環境を用意されているからこそ,自分を見失わずに生きられるかどうかが強く問われるんじゃないかと思ったり.
少なくとも僕は,やりたいことしかやらずに自由に生きてこれたけれど(自分の能力が足りなくて諦めたことは多少あるけれど),それは結局,僕にそれを許すだけの能力があったからだというだけのこと.環境や運が大事じゃないとは絶対に言えないけれど,そもそもの能力は前提なのだ.
まぁ,今の若者にとっての大人って敵や嫌悪すべき支配の象徴とかじゃないのかもしれないという事実に,おっさんは驚いてしまったよ,と要約できるだけのことなのかもしれない.そういう意味で,社会は多分,尾崎から卒業してしまったのだろう.というか,尾崎たちが大人になったというか.
別に,それ自体はどうでもいいし,高校なんて自分には全く縁のない世界なので,そこに通う生徒も,作った人達も頑張ってくださいってだけの話なんだけれど,ニュースそのものに強烈な違和感がある.その高校のウリは自由であることだそうで,学生の個性を尊重して,学生のやりたいことをやりたいようにやってもらうことだそうな(普通じゃないこと云々は壮大なギャグだとして).まぁ,実際どうなるかは知らないけれど,言葉自体は魅力的なものだし,(既に大人になってしまった人間としては)若者の自己実現を応援してやりたいという気持ちも分からないわけではないのだ.
しかし,ひとつだけ気になるのが,通っている生徒は,「大人が用意した自由という名前の箱」に入ることに,抵抗とか違和感とかがないのかということだ.
いや,大人が用意した箱ということにだけ心理的な抵抗を感じて意味のない無駄な反発をするよりも,セッティングされた環境を享受して利用し尽くす生き方のほうがクレバーなのかもしれないけどさ.
ひとつだけ言えるのは,別にその高校に行くことが自由を保障するんじゃなくて,結局,自分が自分に対して自由かどうかが自分の人生に自由を感じられるかどうかの全てなのだということ.場や箱が重要ではないなんて,大人になった僕には言えないけれど,場や箱が如何に用意されていても,結局は,自己実現の問題なので,逆に,恵まれた環境を用意されているからこそ,自分を見失わずに生きられるかどうかが強く問われるんじゃないかと思ったり.
少なくとも僕は,やりたいことしかやらずに自由に生きてこれたけれど(自分の能力が足りなくて諦めたことは多少あるけれど),それは結局,僕にそれを許すだけの能力があったからだというだけのこと.環境や運が大事じゃないとは絶対に言えないけれど,そもそもの能力は前提なのだ.
まぁ,今の若者にとっての大人って敵や嫌悪すべき支配の象徴とかじゃないのかもしれないという事実に,おっさんは驚いてしまったよ,と要約できるだけのことなのかもしれない.そういう意味で,社会は多分,尾崎から卒業してしまったのだろう.というか,尾崎たちが大人になったというか.
2016年3月30日水曜日
責任の所在
某中学生の監禁事件のニュースを見ていて,容疑者の通っていた大学が謝罪をしたという記事を見かけたときに思い出した,某先生に聞いた昔話.
某大学でちょっとした学生の不祥事があって,それに関する調査やら謝罪やらが一段落ついたころに,その大学の,よりによって某先生がいた学部の学生が殺人事件を起こしたことがあったそう.そのとき,その先生は学務を担当していたそうで,直前の不祥事の対応のこともあって,ニュースをみてすぐ顔面蒼白で学部長に相談に行ったら,「人を殺すことについての教育に大学の責任はない」と一言言われて,以降,落ち着いて粛々と除籍の手続きを行ったとのこと.
まぁ,そりゃそうだよね,という話なんだけれど,そういう意味で,千葉大には,未成年を監禁するということについての教育の責任なんてないと思うので,謝罪なんてする必要ないよね,ということ.
ただし,卒業取り消しを批判している人が一定数いるようだけれど(学業を修めた事実と在学中の犯罪は関係ないという理屈にもならない妄言),この事件の発覚が一ヶ月前だったら,当然,除籍なわけで(これを批判する人はいないはず),在学中の犯罪が卒業の数日後に発覚した以上,卒業取り消しのうえ除籍という処置は当然だと思います.
某大学でちょっとした学生の不祥事があって,それに関する調査やら謝罪やらが一段落ついたころに,その大学の,よりによって某先生がいた学部の学生が殺人事件を起こしたことがあったそう.そのとき,その先生は学務を担当していたそうで,直前の不祥事の対応のこともあって,ニュースをみてすぐ顔面蒼白で学部長に相談に行ったら,「人を殺すことについての教育に大学の責任はない」と一言言われて,以降,落ち着いて粛々と除籍の手続きを行ったとのこと.
まぁ,そりゃそうだよね,という話なんだけれど,そういう意味で,千葉大には,未成年を監禁するということについての教育の責任なんてないと思うので,謝罪なんてする必要ないよね,ということ.
ただし,卒業取り消しを批判している人が一定数いるようだけれど(学業を修めた事実と在学中の犯罪は関係ないという理屈にもならない妄言),この事件の発覚が一ヶ月前だったら,当然,除籍なわけで(これを批判する人はいないはず),在学中の犯罪が卒業の数日後に発覚した以上,卒業取り消しのうえ除籍という処置は当然だと思います.
2016年2月12日金曜日
時期柄
時期柄,世の中には進学に関してのアドバイスとか,研究室選びのアドバイスとか,そういうものが氾濫しているけれど,個人的に,特に研究室選びに悩んでいる学部生くらいにひとつだけアドバイスしておく(あくまで,ある程度,研究志向があって,少なくとも卒論・修論の間は研究というものを体験したい,という程度に真面目な子に向けて書いています).
こういう案件だと,やれ「教授の業績を見たほうがいい」とか,やれ「所属している先輩の話を聞いてみよう」とか,やれ「研究内容が自分のやりたい内容と沿うかよく考えよう」とか,もっともらしい正論を語る人がいるんだけれど,そのルートでは,研究室に(言い方は悪いけれど)奴隷が欲しい人たちによって着飾られた耳障りのいい言葉に変換されてしまうので,そんな正攻法を取る前に,研究室に属している院生・教員のツイッターを覗いてみることをお勧めする.
そういうアカウントを探し出すのとか,そもそもつぶやきを読み解くのは技術が必要かもしれないけれど(そして,必ずしも研究室構成員のアカウントがあるわけではないけれど),その研究室に進学する上で,君が知りたいことと,その研究室の実態はかなり深く知ることができると思う.
ちなみに,どう読み解くのかまで詳しく説明してあげるほど,僕は親切ではないので,頑張って読み解いてみてください.
こういう案件だと,やれ「教授の業績を見たほうがいい」とか,やれ「所属している先輩の話を聞いてみよう」とか,やれ「研究内容が自分のやりたい内容と沿うかよく考えよう」とか,もっともらしい正論を語る人がいるんだけれど,そのルートでは,研究室に(言い方は悪いけれど)奴隷が欲しい人たちによって着飾られた耳障りのいい言葉に変換されてしまうので,そんな正攻法を取る前に,研究室に属している院生・教員のツイッターを覗いてみることをお勧めする.
そういうアカウントを探し出すのとか,そもそもつぶやきを読み解くのは技術が必要かもしれないけれど(そして,必ずしも研究室構成員のアカウントがあるわけではないけれど),その研究室に進学する上で,君が知りたいことと,その研究室の実態はかなり深く知ることができると思う.
ちなみに,どう読み解くのかまで詳しく説明してあげるほど,僕は親切ではないので,頑張って読み解いてみてください.
2015年6月29日月曜日
もやもやする
最近,各地で火山活動が活発になっていることで(注),火山活動や火山学に注目が集まっている.そんななか,ニュースなどでよく聞かれる言説に「火山観測に従事できる火山学者が少ない」というものがある.
確かに,複数のプレート収束域に位置し,火山大国である日本としては,明らかに,火山観測網は不十分だし,火山観測に従事できる火山学者は少ないと言える(かといって,他の火山国がもっと充実しているというわけでもない).しかし,偽らざる実感から語るなら,その他の人的被害を伴うような地質災害と比較した場合,火山学関連は,人的・質的には,ものすごく充実していると断言できる.
そもそも,地質に関連した人間が極端に少ないことが問題だ.そもそもの母数が少ないから,各個の事象に対応できる人員も少なくなる.地質学徒の少なさは,歴史的に日本が資源弱小国であったことに由来すると言われている(本当かどうかは知らない).しかし,日本が地質災害の宝庫であることを鑑みれば,もう少し,この分野が発展していても良さそうなものなのだが,「災害に対応する」というネガティブな印象は学問人口には直結しないようで,それが,歴史的に積み重ねられてしまった現在では,もう,どうしようもないのかもしれない.
(注)火山活動の活発さをこんな短期間で判別できるはずもないので,あくまで,一般論・巷間の戯言として.
確かに,複数のプレート収束域に位置し,火山大国である日本としては,明らかに,火山観測網は不十分だし,火山観測に従事できる火山学者は少ないと言える(かといって,他の火山国がもっと充実しているというわけでもない).しかし,偽らざる実感から語るなら,その他の人的被害を伴うような地質災害と比較した場合,火山学関連は,人的・質的には,ものすごく充実していると断言できる.
そもそも,地質に関連した人間が極端に少ないことが問題だ.そもそもの母数が少ないから,各個の事象に対応できる人員も少なくなる.地質学徒の少なさは,歴史的に日本が資源弱小国であったことに由来すると言われている(本当かどうかは知らない).しかし,日本が地質災害の宝庫であることを鑑みれば,もう少し,この分野が発展していても良さそうなものなのだが,「災害に対応する」というネガティブな印象は学問人口には直結しないようで,それが,歴史的に積み重ねられてしまった現在では,もう,どうしようもないのかもしれない.
(注)火山活動の活発さをこんな短期間で判別できるはずもないので,あくまで,一般論・巷間の戯言として.
2015年6月17日水曜日
焼死したり頭に当たったり
恐竜の絶滅の原因論に関して(というか,私の立場上,K-Pg boundary event に関して,というべきか?),一般の人の多くも「隕石衝突」がその大きな要因になったということは知っていると思う.でも,具体的に,隕石衝突の結果どうなって,どういう風に恐竜が絶滅したのかということについては,あんまり知られていないようで…….
よく見かけるのが,隕石が恐竜の頭に降ってきて死んでいるみたいな図なんだけれど,今回,それなりに信頼の置ける一般向け科学ネタ雑誌で,「隕石の衝突で発生した森林火災で焼死した恐竜」みたいな記述を見つけて脱力した.恐竜は,隕石にぶつかったり,焼死したりしていて忙しそうだし,大変だな,と思った.
よく見かけるのが,隕石が恐竜の頭に降ってきて死んでいるみたいな図なんだけれど,今回,それなりに信頼の置ける一般向け科学ネタ雑誌で,「隕石の衝突で発生した森林火災で焼死した恐竜」みたいな記述を見つけて脱力した.恐竜は,隕石にぶつかったり,焼死したりしていて忙しそうだし,大変だな,と思った.
なんか教養なすぎて泣ける……
文科省が,大学の改革をする云々に対して批判をしている人が「文科省は,ハゼの研究とかやっている皇族に,実学以外の役に立たない学問をやめろ,と言えるのか!?」みたいなことを言って批判しているんだけれど,見当外れすぎて噴いた.いわゆる「皇室科学」は,西洋で歴史的に行われてきた「貴族自然哲学」の流れを汲んだものであって,奴隷や臣民が働いて有閑な貴族たちが自然哲学をやってきたというのが転じて,象徴制の強い現代の王族や皇族には「自然哲学に代表されるような実践的に役に立たない学問をやらせとけ!」という,いわば,今の文科省の発想の延長線上にある考え方のものなんだよね.
まぁ,こういう教養の欠片もない発言をしているバカの存在そのものが,リベラルアーツとか実学以外の学問を軽んじている現代教育の弊害のようなものなので,上記の発言をした人は,結果的に,いまの文科省の考え方を批判しているということでよろしいのではないでしょうか?
まぁ,こういう教養の欠片もない発言をしているバカの存在そのものが,リベラルアーツとか実学以外の学問を軽んじている現代教育の弊害のようなものなので,上記の発言をした人は,結果的に,いまの文科省の考え方を批判しているということでよろしいのではないでしょうか?
2015年6月3日水曜日
机の下
「地震のときには机の下に隠れろという常識を疑おう」といった内容の記事を最近よく見かける.記事を読むと,家屋倒壊の際に生存率が高いと言われている「三角スポット(ベッドの脇など)」と呼ばれるゾーンの解説(これ自体は間違っていない)なんだけれど,それと同時に「机の下に潜る」という行動が間違っているかのような誘導がなされていることが多く,それがとても気になる.
「机の下に潜る」という行動の目的は,落下物から身を守ることにある.地震の際に,家屋が倒壊して屋根が落ちてくる確率と落下物が降ってくる確率のどちらが高いかと考えれば,どういう行動をとるべきかは明らかだろう.そもそも,ある程度以上に丈夫な机の下は,当然,「三角スポット」でもある.
地震のとき,「三角スポット」だからといって,頭上がガラ空きのソファーやベッドの脇に身を縮こめていたら,上から降ってきたものに当たって頭に怪我をしました,なんてことになったら,笑い話にもならない.
「三角スポット」に関する知識を持っておくことは,もしもの大地震のときの生存率を上げてくれるという意味で,非常に重要だけれど,とりあえず「机の下に潜る」という行動をとれることの方が,ずっと大事なのだ.
あと,東北地方太平洋沖地震を仙台で体験した人間としていわせてもらうけれど,地震の最中で「三角スポット」云々なんて考えて行動できるような精神的・身体的(揺れ的な意味で)余裕なんて,絶対ないと断言できる.そもそも,まともに立っていることもできないから,危険の少なそうなところまで這っていってうずくまるのが関の山です.あとはもう運だね.
「机の下に潜る」という行動の目的は,落下物から身を守ることにある.地震の際に,家屋が倒壊して屋根が落ちてくる確率と落下物が降ってくる確率のどちらが高いかと考えれば,どういう行動をとるべきかは明らかだろう.そもそも,ある程度以上に丈夫な机の下は,当然,「三角スポット」でもある.
地震のとき,「三角スポット」だからといって,頭上がガラ空きのソファーやベッドの脇に身を縮こめていたら,上から降ってきたものに当たって頭に怪我をしました,なんてことになったら,笑い話にもならない.
「三角スポット」に関する知識を持っておくことは,もしもの大地震のときの生存率を上げてくれるという意味で,非常に重要だけれど,とりあえず「机の下に潜る」という行動をとれることの方が,ずっと大事なのだ.
あと,東北地方太平洋沖地震を仙台で体験した人間としていわせてもらうけれど,地震の最中で「三角スポット」云々なんて考えて行動できるような精神的・身体的(揺れ的な意味で)余裕なんて,絶対ないと断言できる.そもそも,まともに立っていることもできないから,危険の少なそうなところまで這っていってうずくまるのが関の山です.あとはもう運だね.
2015年6月2日火曜日
どっちの影響?
常々,疑問に感じていたことだけれど,いわゆる「ゆとり」と総称される世代のもつ価値観って,ゆとり教育を受けたことによって,世代特有の価値観を得たんじゃなくて,いわゆるデジタルネイティブとか言われるような環境を無条件で与えられている結果として形成された価値観を共有している世代なんじゃないかということ.いわゆる「ゆとり」にまつわる話の大部分,それこそ巷間のバカ話から,ある程度の母数の統計データから考察されているものまで,ポジティブなものネガティブなものに関わらず,いわゆるデジタルネイティブ論と重なっていることが多くて(そりゃ,ほぼ同世代をターゲットにして語っているんだから当然なんだけれど),影響としては,学校(笑)なんかよりも,日常的に接していたいんたーねっつのほうが,価値観の形成には大きな影響があるんじゃないかと.
世代に関わらず,ネット(の暗部)にどっぷりな人(ネトウヨでも 2ch 脳でもなんでもいいんだけれど)って,わりと,「ゆとり」的よね,とか.
世代に関わらず,ネット(の暗部)にどっぷりな人(ネトウヨでも 2ch 脳でもなんでもいいんだけれど)って,わりと,「ゆとり」的よね,とか.
2015年5月31日日曜日
宮沢賢治は好きだけれど,宮沢賢治を取り巻くアレな感じは嫌いなのだ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4881863.html
単に,「ある牛飼いがものがたる」の対になる締めの言葉以上の意味はないんじゃねーの,と.すぐ思い出せるところで,「やまなし」でも似たようなテクニック使ってるし,他にも起文と結語でくくる形式の話はあったような気がする.宮沢賢治に限らなければ,それこそ,無数に.
とにかく,テクストとして書かれた文字以上のものを考える風潮はとっとと死に絶えてほしい(この書かれていること以上の意味を考えるのって,陰謀論の生じるロジックと一緒なんだよね.陰謀論がはびこるのを防ぐのには科学教育よりも国語教育の方が重要ということなんだけれど,これはまた,別の話).「やまなし」の "クラムボン" とか,(少なくとも高等教育を終了しているレベルの)いい大人が意味がどうこうとかネット上で書いているのを見ると,本当に頭痛が痛くなる.
宮沢賢治の感性や語感は独特だし,彼の文章から立ち上る臭気は日本文学の系譜の中で,かなり特異的な存在だと思うし,なにより,あの物語の中に示される彼の科学的かつ宗教的な世界観は魅力的だけれど,それに纏わりつくような,学術的な研究を超えたところに妙な執着を持って,いち作家以上に神聖視するタイプの "宮沢賢治研究者" とか,そういう存在が大嫌い(名前は出さないけどさ).
あーいうタイプの自称研究者の信者が消え失せないと,そもそも,宮沢賢治そのものがちゃんと評価されない気がするのです.
単に,「ある牛飼いがものがたる」の対になる締めの言葉以上の意味はないんじゃねーの,と.すぐ思い出せるところで,「やまなし」でも似たようなテクニック使ってるし,他にも起文と結語でくくる形式の話はあったような気がする.宮沢賢治に限らなければ,それこそ,無数に.
とにかく,テクストとして書かれた文字以上のものを考える風潮はとっとと死に絶えてほしい(この書かれていること以上の意味を考えるのって,陰謀論の生じるロジックと一緒なんだよね.陰謀論がはびこるのを防ぐのには科学教育よりも国語教育の方が重要ということなんだけれど,これはまた,別の話).「やまなし」の "クラムボン" とか,(少なくとも高等教育を終了しているレベルの)いい大人が意味がどうこうとかネット上で書いているのを見ると,本当に頭痛が痛くなる.
宮沢賢治の感性や語感は独特だし,彼の文章から立ち上る臭気は日本文学の系譜の中で,かなり特異的な存在だと思うし,なにより,あの物語の中に示される彼の科学的かつ宗教的な世界観は魅力的だけれど,それに纏わりつくような,学術的な研究を超えたところに妙な執着を持って,いち作家以上に神聖視するタイプの "宮沢賢治研究者" とか,そういう存在が大嫌い(名前は出さないけどさ).
あーいうタイプの自称研究者の信者が消え失せないと,そもそも,宮沢賢治そのものがちゃんと評価されない気がするのです.
2015年4月29日水曜日
おかねのはなし
研究者の給料に関して,ちょっと話題になっているのを見かけた.まぁ,僕みたいなほとんど社会の役にも立っていない,縁辺に転がっているゴミ研究者に関しては置いておいて,大学で最先端の研究をやっているような一流の研究者でも,かなり,給料が少ないというのは事実で,(比較すりゃいいってもんじゃないけれど)その給料を他国の同程度の研究者と比較すると圧倒的に少ないというのも事実です.日本は,研究者(の金銭面)に厳しいのです.だからといって,それが(良くも悪くも)一般に知られているかとか,そういうのは,また,別な話で…….
以下は,笑い話ですが本当にあった話.
親戚の集まっている場で「(俺)くんはあんなに長期間勉強して,ようやく研究の仕事に就いたんだから,さぞ,お給料が高いんでしょ?(驚くべきことに皮肉ではなくw)」みたいな話題になったんだけれど,「そんなことはないよ.そもそも俺は半官半民だし,大学の教授クラスだって〜」と,大学の研究者とか(いわゆる)普通のアカデミアの人(の中でも成功している部類の人)の給料の水準とか,非常勤の社会保障の実情とかの話をしたら,ジョークかなんかだと思ったのか「そんなわけないじゃないwwww」と大笑いされて,公表されている統計データに基づく研究者の実情を,ついぞ誰も信じてくれませんでした.まぁ,そんな感じです.はい.
以下は,笑い話ですが本当にあった話.
親戚の集まっている場で「(俺)くんはあんなに長期間勉強して,ようやく研究の仕事に就いたんだから,さぞ,お給料が高いんでしょ?(驚くべきことに皮肉ではなくw)」みたいな話題になったんだけれど,「そんなことはないよ.そもそも俺は半官半民だし,大学の教授クラスだって〜」と,大学の研究者とか(いわゆる)普通のアカデミアの人(の中でも成功している部類の人)の給料の水準とか,非常勤の社会保障の実情とかの話をしたら,ジョークかなんかだと思ったのか「そんなわけないじゃないwwww」と大笑いされて,公表されている統計データに基づく研究者の実情を,ついぞ誰も信じてくれませんでした.まぁ,そんな感じです.はい.
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