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2022年6月1日水曜日

相似な事象

 10数年前から観測されているけれど,ここ数年に顕著になった事例のひとつに「ファスト映画(※)」がある.映像の n 倍速再生とかも,この仲間かな.

※大前提である著作権侵害とかの部分は,今回の話と関係ないので,とりあえず置いておく.

私は,バックボーンとして元映画オタで,映像作品が大好きなので,そもそも,単にあらすじだけを追いかけるようなコンテンツ消費とか,n 倍速して「作られた時間」を無視するような視聴姿勢などを理解できないし,いかなる理由でも賛同するつもりは一切ないです.別に,そういう人と喧嘩する気はないけれど,根本的な思想や宗教が違う人なんだと思います.

ただ,よく考えると,近年になって動画編集技術が簡易化したり,機器に n 倍速再生機能が標準化したことで,いわば「要約」「時短」界の最後の牙城だった映像コンテンツが要約できるようになってきたので,こういう議論が沸き上がっているだけだよな,と最近になって気付きました.

昔から,相似な事象はいっぱいあって,はるか昔から長編小説のダイジェスト版みたいなものはあったし,様々なジャンルで「n 分で完全理解」みたいなものはベストセラーになってきたわけです.もう少し広げると,例えば,音楽を聴いているときに主旋律やボーカルの歌だけを聴く人とか,絵を眺めているときに背景知識などに一切興味を持たずに絵面だけを眺めて通過してしまう人なども,対象とする媒体は違っても,全体を構成するもののなかで目立つものを消費して終わるという意味で,同じ種類の人で,それらは古くからいるし,誰もがなにがしかのジャンルにはそういう態度を取っている面があるのだなと気付きました.だって,例えば,ほとんどの人は,その辺に落ちている適当な石ころを眺めて楽しむこととかできないでしょ?(私は地質の知識があるので,かなり楽しめる)

まぁ,そういった触り方しかする気がないジャンルに,わざわざ手を出す理由も分からないし,あらゆるものに対して触ることくらいしかしない人は,最早,理解の外だけど.

2020年8月1日土曜日

平成という時代の個人史

そろそろ誰も平成がどうとか令和がどうとか言わなくなった頃なので,少しそんな話を.

私くらいの年代(30代半ば)は,平成という時代に育ち,平成という時代を最初から最後まで見ることができた一番若い世代だと思う.物心ついた頃に,昭和末期の空気をなんとなく嗅いで,一番物事を吸収する年代を平成とともに歩んで,平成の中盤に青春を過ごし,平成末期の社会の一員となった世代.

今の時代,こういう場など,個人が容易に記録を残すことができる場が増えた.

もちろん,イコール,その記録が残り続けるわけではないけれど,デジタルネイティブな我々が,みんなで,ただ,盲目的に個人史をどこかに残すだけで,日本の平成史を厚い記録として残せるんじゃないかと思ったりするのです.

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個人的な感想だけれど,平成という時代を一言で表すと「狂気」だよね,と思うワタクシ.

2019年9月22日日曜日

たぶん疲れている

唐突に自分の愛している美しいものに触れながら死んでしまいたくなる時がある.純粋に美しいとしか思わないようなもの.

映画なら,「天国の日々」とか.
音楽なら,ゲンズブールとバーキンの作り出した世界とか.
詩なら,立原道造とか.
小説なら,「斜陽」……いや,「風立ちぬ」,「冬」,「死のかげの谷」……,それとも「美しい村」か「菜穂子」か.

こんな風に,美しいものを並べてみたとき,これらの美しい世界が自分より若い人間によって生み出されていたのだと思うと,どんよりと頭が重くなるのを感じる.

……こういうときは,たぶん,疲れている.

2019年2月17日日曜日

芸術との対峙

そんなわけで,連休中は芸術に親しんできたのだけれど,そういう場に足を踏み入れると,いつも感じることだけれども,何故,こうも教養もなく展覧会に足を運ぶ人間が多数存在しているのか,ということ.

まぁ,絵画展なら,まだわかる部分もある(それでもクソうざいけれど).教養がない人でも,意味がわからない人でも「絵だ」程度の感嘆は得られるかもしれないし,具象的描写があれば「何が書かれているか」の表象は理解できるだろうから.

でも,書道に関して教養がない人間が顔真卿展に来るのは違うだろう,と.少なくとも,顔真卿展に来ている書道ガチ勢が,静かに展示を見るのを邪魔する権利は無教養な人間にはないはずだ!(激怒)

しかし,本当に,あーいう奴らってなんなんだろうと思うよね.美術館でも,博物館でも,どこにでも現れるあの生き物たち.

絵でも書でも化石でもなんでもいいんだけれど,それらについて教養が全くないし,現れた展においても学ぶ気もない,そういう行為に彼らを駆り立てるものがなんなのか,本当に,純粋に興味がある.単純に,順当に興味があって来る人の観覧の邪魔をすることが趣味とかなんじゃなかろうか?

自分も博物館に勤めた経験があるので,アレが金を落とすということは知っている.知っているが,貴重な資料や芸術作品をリスクにさらしてまで,本当に,あんなバカどもの金が欲しいのか,と,そういうことを考えてしまう.

まぁ,この辺は,私が,若い人以外に向けたアウトリーチに否定的だからという部分もあるのだけれど,本当に,一考すべき問題だと思っている.

2019年2月7日木曜日

古典とか

古典を必修から外す(かもしれない)というニュース.

古典に限らず,教育内容について変更があるというのは,そう少ないことではない.例えば,僕の世代(いま,30 台半ば)は,高校数学から微分方程式がなくなった初期の世代だった(高校物理では暗黙の了解で使うのに,数学では触れられないという不思議).大学に入ってすぐの頃には,教養部の微積担当の先生にしつこいくらい「君たちは意味もなく微分方程式に触れることができなかった世代」と言われたものだ.

教育において,必修内容を削除するということは,多くの子供から機会や可能性を奪うということであると認識しなければならない.

与えられた知識が無駄になってしまうのは,個人の選択や個人の能力の問題だが,「無駄になりそうだから」と父権者が取り上げてしまうのには,本当に慎重にならなければならない.(例えば,僕は与えられた世界史の知識の大部分を無駄にしているが,不要だったと思ったことはない)

で,冒頭の問題.

古典を取り上げるのは,本当に「春はあげぽよ」みたいなギャグで笑う機会を取り上げるだけですむことなのでしょうか?

2019年1月27日日曜日

老害化の端緒を感じる

私は,昭和末期に生まれた世代で,物心は昭和のうちについている世代です.具体的に言うと,S.58 年生.ちょうど,いま,中年の入り口にさしかかっている年代と言えます.

世代としてくくると,私たちは社会がめちゃくちゃだった昭和末期から平成初期に基本的な人格形成がなされてしまった世代なわけです.この世代の経験した時代は,社会の変遷もめまぐるしいものでした(特に,PC 関連と IT 関連と通信技術).たぶん,我々の世代が,デジタルネイティブではない,唯一,成長とともにデジタル化されていった世代であると言えるでしょう.

で,実は,いわゆるデジタル云々じゃないところもそうだよね,という話.

私たちの世代は,基本的な人格形成が済んだ後になって,はじめて西欧的な感覚による political correct,多様性への寛容,機会均等,男女同権,ジェンダー論……etc. を学んだ世代になっていると思います.たぶん,私たちより上の世代(親世代)は,こんなものを学んだことはないし,私たちより下の世代(子供世代)は,人格形成期にはこういうことを少しずつ学んでいる世代になると思う(ただし,デジタルディバイドよりも遥かに緩やかだから,完全にネイティブに上記のような社会的価値観を身につけられる世代は,いままさに生まれているくらいの世代だと思うけれど).

そんな宙ぶらりん世代の私たちは,親世代や老害政治家のとんでも発言には嫌悪感を覚えるが,男女の性差と社会的ジェンダーの区別みたいなことは体感的にできない.頭を使えばできるけれど,感覚的ではない,という感じ.

例えば,トイレの男女表記が青赤になっていることに違和感を覚えられるだろうか?(まぁ,男女の赤青は日本においてはピクトグラム化しているし,男が青(黒)で女が赤というのもよく根拠が分からない色分けではあるんだけれど.ハレの着物の色とかが起源なのかな?)

例えば,男の子が木に登っている時にはなにも思わないのに,女の子が木に登っていると「危ない」と感じてしまったことはないだろうか?(成長を考えると,子供世代だったら女子のほうが成長早いはずなんだから,本来は,逆の注意をするべき)

(要は,ジレットの CM みたいな話ね)

そういう意味で,いま,自分たちの子供世代が続々と生まれている世界で,私たちは,コロコロと老害への道を転がり始めていると感じる.

2019年1月14日月曜日

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.

2018年11月28日水曜日

長さ

最近,時々,手塚漫画を読み直すことがある.そのたびに思うのが,とにかく「短い!」ということ.

いい悪いの話ではなくて,とにかく,手塚漫画って短い.後期,「ひだまりの樹」あたりは,わりとだらーんと間延びしている感はあるけれど,それでも,あれ KC サイズの 10 巻くらいでしょ?

「火の鳥」なんて,改めて読み返すと,各編が短すぎてビックリする.本当に短い.頭の中に残っているかつての記憶の 1/5〜1/10 くらいのイメージ.昔,浦沢直樹がアトムの中編を,脳内で勝手に付け足していたストーリーを交える形でリメイクしたりしていたけれど,そんな感覚に近いかもしれない.

それに比べて,今の漫画のなんと長いことか.長いことがすなわち悪いという話ではないんだけれど,「本当にその長さは必要なのかい?」とは思う.あげつらうわけではないけれど,20 年近く連載している少年漫画,というかぼかさず書くけど,ONE PIECE なんて,その長さに意味あるのと言いたくなる(誰が継続して読むのよ,と).

長編を書くより中編,中編を書くより短編を書くのが難しい,とはよく聞く言説だけれど,結局のところ,エッセンスを編集するという能力が現代人から欠落してきているんじゃないのか,と思う.だだらに続くアニメやドラマと,2 時間の映画の対比とか,近似できる気がする.

たぶん,その背景に,記録媒体の変化とか,視聴環境の変化とか,諸々絡んでいるだろうし,これに絡んで(書きながら),いわゆる「日常系」とか「美少女動物園」的なアニメとかに関する論も思いついてしまったのだけれど(長くだらだら書いてもいいという感覚と,永続的に続いて欲しいという感覚の相関とか諸々),どんどん長くなるので,この辺は,いずれどこかに書くかも.

思考のクリップとして,とりあえず,ここに書き散らしておく.

ばんぱくばんざい

大戦で一度荒廃した日本が東京オリンピックと大阪万博で輝かしく花開いて,東京オリンピックと大阪万博で花と散るのではないかと思うと,すごい話だな,と思います.

あ,誤解されないように言っておくと,万博そのものは日本でやるなら眺めに行っても面白いかも,くらいには楽しみです.五輪はべつに…….

あと,(同意見多数だと思うけれど)浦沢直樹が「今時,万博って……(意訳)」という発言をしたってニュースが地味にツボ.

2018年8月28日火曜日

初音ミクとの結婚とかの話

二次元キャラとの結婚についていつも思うんだけれど,結婚という,本来,当事者2人が合意のうえで手続きする制度に対して,片方の欲求に従って結婚という自己満足を得る行為って,あまりに一方的かつ暴力的な感情過ぎて,少し引く(ただし,ラブプラスを除く).

非実在少女の人権とかそういうことをいうつもりはないんだけれど,キャラと結婚したいと感じる程度にキャラを「人扱い」する(させる)のに対して,キャラが「自分と結婚したい」と思っているという思い込みの暴力的な傲慢さというか,キャラを「人扱い」するのに対して,キャラの「感情」は自分勝手に規定しているというダブルスタンダード状態とか,なんか,そういう部分が受け入れられない.

2ch のコピペだったか,同人作品だったかで,「物語に入り込める能力」を手にしたおっさんが,物語に入って好きなキャラに出会ったけれど,その好きなキャラは「物語上の思い人」を求めていた……みたいなネタがあったけれど,そういう感じ.

2018年8月19日日曜日

せまい有限

最近,立て続けに貴重な文献や記録が廃棄されてしまったというニュースを耳にする.それについて,批判をするのはたやすいし,(特に大学や研究機関に対して)「それでも学問の府か」と批判したくなる気持ちもわからないわけではない.

ただ,金銭的にも,空間的にも,資料を適切に保管し続ける能力は,非常に狭い有限なわけで,特に,それらが不足している地方大学や国の公的機関に対して,金も何も出さずに「批判」を叫ぶなんて,本当に無責任だと思う.

2017年3月20日月曜日

Chuck Berry

Chuck Berry が死んだ.大往生なので,悲しいとか,そういう感情ではないんだけれど,ロックの歴史そのもののような人であって,かなり最近まで元気に演奏している姿を見せていてくれた人でもあって,なんか,不思議な喪失感がある.

でも,この世間的な訃報の扱われなさはなんなんだろう.

ロックが好きなので,わざわざ言うまでもなく,Chuck Berry は大好きだった.言うまでもなく,ロックンロールの草創期の巨人の一人であり,その中でも,頭一つ抜けたロックンロールそのものという人だったと思う.ロックの殿堂の選出理由を挙げるまでもなく,ロックの始祖に限りなく近い存在なのは間違いない.

ロックなんて概念のない時代,持ち前のポップなセンスとリフスタイルのギタープレイで,明確に「若者」と「ダンス」に焦点を絞って R & B を別次元へ押し上げたことが最大の功績.何が言いたいかというと,同時期のロック創始者と呼ばれる人々の演奏の中でも抜きん出て,いまでも通用する "ロックらしさ" を感じさせるということ自体が,Chuck Berry という存在の大きさそのものだと思う(いまでも通用するというのは,曲がではなくて,いわば,いまでも "Rock or not" の試金石になっているということ.流石に Chuck Berry 大好きな私でも,古臭い曲であることはわかっている).

例えば,リフロックの教科書の様な Johnny B. Goode や Rock and Roll Music をカバーするミュージシャンは,現在でも少なくないだろうけれど,Buddy Holly や "KING" Elvis の曲をカバーするアーティストはほとんどいない(もちろん,不幸な飛行機事故がなければ Buddy Holly だってそういう存在になっていただろうけれど).例えば,ダッグウォークに代表される特徴的な歩き方での観客の煽り方,ソロの時に縦にしたギターを高く掲げる姿,ギターを上下に揺するような演出などなど,いまでも見かけるロックギタリストのアクションの基礎も作った(もちろん,ロックの胎動がはじまる頃のミュージシャンの総体的な産物ではあるけれど,間違いなくいまに伝えた功績は Chuck Berry のものだ).

それなのに,この訃報の軽い扱いはなんなんだろう.少なくとも,日本では,ほぼ話題になっていないといっていいレベルに感じる.なんだか,それがロックそのものの衰退の象徴のようで,なんだか,妙に悲しい.

個人的に,一番大好きな,Sweet Little Sixteen を聞きながら.

2017年2月13日月曜日

無為

航空券の特典ポイントと宿泊斡旋サイトのポイントが大量にたまっていたうえに,年度末に期限切れを迎えるポイントがあるというので,なんの意味も目的もなく,とりあえず,時間を潰すことはできるという理由だけで,東京に遊びに来た.旅費はゼロ.

とりあえず,六区周辺をぶらついて,科博に行って,寄席によって,スカイツリーに登ってきた.

そうそう,昔は,適当に学校サボって一人でこういう風にぶらついてたよな,とか思いつつ(高校時代と学部生時代と仙台時代),たぶん,たまに,こういう時間を取らないと,いろいろダメになる気がしつつ.割と,仕事のことは忘れて楽しみました.

2016年5月30日月曜日

国民的番組

なんつーか,「あ〜あ.やっちゃった」という感じ.

まぁ,立川流ということはないと思っていたけれど,林家をさらに増やすとは思わなかった.個人的には,その世代だったら花緑師匠が適任だったんじゃないかと.びっくりすることに,いま,柳家いないからね.他にもこの世代だと,古今亭菊之丞師匠でも,他とキャラがかぶらない上品なキャラとかでいけたかな,とかも思う.

まぁ,少なくとも,当代三平はない.終身名誉こぶ平のほうがマシなレベル.

2016年5月25日水曜日

科学はある種のロマンを駆逐するけれど,科学もロマンだよねという話?

ニューネッシーというものがある.なんでこんな古いネタを持ち出すかというと,最近,そんな過去の記事を回顧したうえに,ニューネッシーみたいな UMA に想いを馳せるのは素敵だねという内容の記事が朝日新聞に掲載されていたからです.もっというと,こんなバカネタ読み物記事に「科学的な事実を無視している!」みたいなマジレスをしているかわいそうな人を見たからです.

まぁ,マジレスした人と同じように「あの,ウバザメね」と一言で済んでしまう話なんだけれど,それは非常に面白みがないし,たぶん,意味もない.

確かに,アレ自体は,得られている科学的なデータに基づけば,ウバザメの死体と結論づけるだけの物体なんだけれど,アレを読み物のネタとしてイジることに,科学的にウバザメという結論が出ていることはどの程度意味があるだろうということ.

別な話をしましょう.

恋人と二人で,空の星座を指でなぞりながらいい雰囲気になっているカップルの隣で,星を眺めながら,星座っていっているけれど地球から見上げる天球面に並んだ星をつなげて人が勝手に絵を描いているだけで,三次元的に見ると全然バラバラなんだという内容を本を読んで知っているおっさんがいたとして,それが二人のロマンスを変えますかということ.

もっと言えば,かわいい女の子が,「血液型占いだと私とあなたは相性がいいみたい」って話をしてきたときに,「血液型と性格に相関はない」という返事をしますかということ.

科学とか理系とかって,そういうイメージを持たれているし,事実として,そういうレベルの低い発想をする人もいなくはないんだけれど,人間的な感情とか,別な側面で眺めたときに面白くなるものを,科学なんてたったひとつの基準だけで何から何まで否定する必要はないと思うわけです.

最後に,タイトルへの返答.

「いや,ムーにマジレスして,何が楽しいのよって話ですよ」

※なお,僕はオカルトマニアです.

2016年4月24日日曜日

いまの学生

自分の母校(大学)の敷地内にえぐりこむような形で配置されている職場に通っていると,どうしても,自分の後輩にあたる子供達の様々な姿が目に入ってしまう.それは,楽しいことでもあり,懐かしさと郷愁で物悲しい気分になることでもある.僕は,年を取ってしまった……(といいつつ,基本的に 10 年以上,大学に所属していて,すぐに現職場 [not 大学] に入ったので高校卒業以来,大学から物理的に離れたことはないのだけれど).

先日,ふとしたことで,新入生向けの某大学(と伏せる意味があるとは思えないけれど)紹介パンフレットみたいなものを眺める機会があって,なんか,隔世を感じてしまった.

もちろん,校風とか伝統とか変わっていない部分はあるんだけれど,根本的なところで,僕らの頃と「大学生像」が大きく変わっているのを感じた.

僕らの大学生初年度の頃は,まだ,意識が高くて(系じゃないよ),それなりにリアルを充実させているような大学生というのが理想像として存在した気がする(今風に言えば,みんな意識が高いリア充に恥ずかしげもなくなりたがっていたということ.そして,彼女が欲しかったし,セックスがしたかった.それが恥ずかしいことではなかった).

級友と図書館で試験勉強するのとか(その時に頑張って女の子のグループを誘ったりして.特定の教科に強いやつとかがいるといい口実になったw),大学生になったからというきっかけで哲学書を持ち歩いたりとか,わからなくてもそういう本を乱読したりとか(そんな乱読が未だに教養として生きていたりする),ある日唐突に特定の学問にのめり込んで勉強しまくったり,いかにその学問が面白いか語りあったり,夜通し酒(もちろん,某大生なので SS)を飲んで(その頃はまだ飲んでた.その頃のやらかしのせいで今は一切飲まない.もちろん,元々,強くはなかったけれど)男友達と下らないエロ話から学問のこと,社会のことまで議論したりして朝を迎えてしまうとか,下らないことで殴り合いの喧嘩をしたのはいいけれど,数日経つとなんであんなにいがみあったのか忘れて,また仲直りの酒を飲んだりとか,バイトで金を稼いで友達とすすきのに繰り出したりだとか(色んな意味で),適度にサークルで遊んだりだとか,合コンに繰り出したりだとか,そういう姿が「大学生像」として確固なものだった.その一方で,サークルにのめり込んで落第したりとか,すごいマニアックなことに偏執的にハマってみたりだとか,ふらっと授業を抜け出して(そこまでは恥ずかしくて言えなかったけれど,結局のところ「自分探しの」)旅に出てみたりだとか,そういう大学生像もあったり.ともかく,そのころの僕らに共通していたのは,リアルにそこにいる・あること以外には大きな価値を感じないというのが大学生の基本的な価値観だったということだと思う(もちろん,今風のオタクとかアキバ文化というのは,僕くらいの世代が奔りではあって,そういう人たちもいたけれど,もっと謙虚だったというか,それはそれ,リアルはリアルと使い分けるのが最低限の礼儀だった気がする).

因みに,インターネットは,ちょうど,テキストサイト全盛期で(少し後にフラッシュ黄金時代),時々,話題になることはあったけれど,決して日常的話題のメインストリームじゃなかった.ただ,さるさる日記とか,日記系のサービスがあって,みんなそんなところで日記を書いたりとか,HTML 手打ちで個人サイトを持って,リンクし合うなんていう,今でいう SNS の手工業版みたいなことをやっていた.僕も HTML 手打ちの個人サイトとか持ってた.今も,その当時のものがネットの海のどこかに漂っているけれど.

そんなのも,もう,15 年くらい前の話だ…….

いいとか悪いとかではなく,最近の大学生像は,とにかく 2ch 的なものに代表されるインターネットの世界や SNS が練り上げてきた価値観が,すべての前提とされていて(僕の頃は 2ch なんてできたばっかりだった.SNS やブログに至っては存在すらしていなかった),オタク(と称するただのアニメ視聴者)とかぼっちとか,そういうものを肯定的に……というか,一定の地位を持ったキャラクターとして認識していたりして(この辺の感覚が,僕らの世代が感じるぼっち感とすごくかけ離れている.一定の地位があったら,ぼっちじゃないじゃん,とか),逆に,僕らの頃の理想像としてあった「リアルを充実させる」ことに憧れたり,そのために努力したりするのは格好悪いみたいな風潮があるみたいだ(意識高い系の揶揄とか.「系」だったら叩いていい,みたいな風潮も僕はそんなに好きではない).

もちろん,僕らの世代も,もっと上の世代から,学生の姿が変わった,という言われ方をしてきたし,変わることが悪いなんてことは絶対にないけれど,十数歳の年の差で,もう,価値観が相入れなくなってしまっているという事実が,自分の老いを認めるようで悲しいのだ.

なんか,書きながら,猛烈に大学の教養時代のことを思い出してしまって,異常に長くなってしまった.

2016年3月26日土曜日

心の底からつまらない

AI の書いた小説が星新一賞の一次選考を通過した話とか,Microsoft の AI が独裁者の礼賛をはじめたり暴言を吐き始めたりしたから運用を停止したという話を聞いて,心の底からつまらないと思った.

人工知能を作る上での研究者側の心意気の問題なんだろうけれど,人間が考えるような人間の価値観で判断できる人間らしいものを作って,何が楽しいのか?

せっかく,人工知能を作るのに,人間の出す結論と似たり寄ったりになるようにチューニングをしたんじゃ,ただの計算の早い人間以外の何物でもなくて,なんの面白みもない.

AI 小説の例で言えば,人間の審査員が「理解出来る」ような文章を吐き出すだけじゃ,そもそも,人工知能に小説を書かせる意味がない.むしろ,何が何だかわからない,わけのわからないけれど,その人工知能のなかでだけはロジックが完結しているような,めちゃくちゃなものを吐き出せるということが重要なんじゃないの?

(※AI 小説の件について,各プロジェクトによって作業内容は違えど大部分が人間による仕事であるという知識は持っていますので,ツッコミはいりません)

2016年2月12日金曜日

ふつう

先日,大学兼職場の後輩とタバコ吸いながらくっちゃべっていたことの延長なんだけれど,同世代の人間が,みんな普通に大人や社会人になっていてビビる.

別にいわゆる「普通」という言葉云々の話ではなくて,昔のバカなことやってる時代を知っている人が,目に見える範囲ではバカなことしていないっていうのが,怖い.みんな普通に結婚してるし,みんな普通に仕事してるし,みんな普通に子煩悩になっている(具体例はいくらでもあげられるんだけどこのくらいで).これが,猛烈に怖い.

いや,自分も,普通に結婚しているし,普通(?)に働いているんだけれどさ.

なにしろ,その普通の姿が,まるで自分たちの親世代を見ているかのようだから,本当に恐怖を感じる.だって,みんなの価値観が昔,僕らが見ていた大人そのものなんだもの.それが,とても怖い.みんな「僕ら若者のことなんて『大人はわかってくれない』」って思っていたんじゃなかったの?

「自分はそんな『普通の大人』じゃない」みたいに嘯いている人なんて,もしかすると,みんな自覚もなく「俺(私)は若者の感覚を持っているし,わかってるよ?」っていう,自分たちが若かった頃,一番嫌悪していたクソみたいな大人になっているんだよね.

もちろん,僕自身が,普通に大人になっている(そもそも,僕もすでに 30 をとうに超えている)ことも自覚しているからこそ,漠然とした不安と恐怖に慄いているんだけれど,みんな,この恐怖を感じていないんだろうか?それとも,その恐怖を押し殺して生活しているの?

自由なんてまやかしで,自分を叱ってくれる大人たちからは独立してしまって,もちろん,法律なんて犯すことはできないし,そもそも,生きていかなきゃいけないという現状に身動きが取れないとき,結局,型にはまるのが,結局,一番楽で,その型の中で,ちょっとした模様替えや着替えをすることが自分を個性的に彩る全てになるなんて,もう,絶望しかない.

それを否定するわけでもないし,自ら荒野を歩む気なんてないんだけれど,全部,無かったことにして,例えば,全裸で街の中を駆け抜けるような爽快感を懐かしむくらいは,自分に自由でありたいとは思う(比喩であって性的指向の話ではないよ!).

2015年10月14日水曜日

学習漫画 100 選

学習漫画 100 選というものが公表された.選んだのは日本財団という団体で,大学教員とか漫画家とか漫画評論家とかが選んだらしい.


まぁ,ラインナップを眺めてみると,僕らおっさん世代からは,意外と「いい」もので,実際,これを,今後,子供達に残していきたい「学習漫画 100 選です」と提出されても,それほど「うわー……」感のないラインナップになっている.まぁ,「アレが入っていない」「コレが入っていない」を始めたら切りがないことは明白なので,この 100 タイトルを選んだことには,素直に敬意を表したいと思う(僕の個人的な見解としては,岡崎二郎から選ぶんなら「アフター0」じゃなくて「国立博物館物語」にして欲しかった,というところ).

しかし,コレって,結局,おっさんおばはんの自己満足ライナップだよね,というところが,かなり鼻に付く(確かに面白い漫画ばかりだし,青少年だって,読んだら面白いと感じるとは思うけれど).

こういう風に「おっさんおばはんの自己満足」で押し付けられたものって,例え,それがいいものであっても 10 数年前の僕らって「嫌」じゃなかったか?

この 100 選を見て,漫画という娯楽が,父権的なニュアンスを持つことに嫌悪感を抱いてしまうのは,僕だけでしょうか?

2015年9月23日水曜日

年齢と変化

人は年とともに変わっていくとも言うけれど,同世代がゴルフとか始めてるとリアルすぎて,なんか引く.あと,業界特有の趣味とか行楽とかを(そーいうものがある業界があって,まぁ,そーいう業界に知り合いが多い),その業界に入った人間が SNS に披露していたりすると,かなり引く.いや,やりたくてやっているんならいいんだけれど,同調圧力みたいなもんがあるのかな,と.

やりたいことは,まぁ,頑張ってやる.やりたくないことはしない.という風に生きてきた私には全く理解できない世界だ.あと,はいそさえてぃーな文化に対する心理的な抵抗みたいなもんもあるのかもしれない.

あ,でも,職場に入って草野球は始めたな.いや,やってみると楽しいし,体動かすのは嫌いじゃないからいいんだけれど.