2020年8月1日土曜日
2020年3月20日金曜日
ワニ2
もう1個.
「死」を表現するうえで,主人公(または主人公の大切な人)が病気などで衰弱していくというのは,王道のフォーマットで,まぁ,よくあるストーリー.
でも,実際には「突然の死」が,世の中には多くて,それを表現する試みもあるが,大抵の場合は,主人公の大切な人が突然死をすることで,主人公がなにかを改心していくというストーリーが多い気がする(例「タッチ」).
そんな物語の作り方のロジックでいうと,漫画内の主人公が「突然死」することで,読者を従来の「タッチ」型ストーリーの疎外されたメタの主人公に仕立てる,というのが,ひとつの発明だと思った.ワニは漫画の主人公であるとともに,読者の親しむキャラで,それの死を見ることが,読者に感情を催させる,という作り方.
「死」を表現するうえで,主人公(または主人公の大切な人)が病気などで衰弱していくというのは,王道のフォーマットで,まぁ,よくあるストーリー.
でも,実際には「突然の死」が,世の中には多くて,それを表現する試みもあるが,大抵の場合は,主人公の大切な人が突然死をすることで,主人公がなにかを改心していくというストーリーが多い気がする(例「タッチ」).
そんな物語の作り方のロジックでいうと,漫画内の主人公が「突然死」することで,読者を従来の「タッチ」型ストーリーの疎外されたメタの主人公に仕立てる,というのが,ひとつの発明だと思った.ワニは漫画の主人公であるとともに,読者の親しむキャラで,それの死を見ることが,読者に感情を催させる,という作り方.
2019年2月17日日曜日
芸術との対峙
そんなわけで,連休中は芸術に親しんできたのだけれど,そういう場に足を踏み入れると,いつも感じることだけれども,何故,こうも教養もなく展覧会に足を運ぶ人間が多数存在しているのか,ということ.
まぁ,絵画展なら,まだわかる部分もある(それでもクソうざいけれど).教養がない人でも,意味がわからない人でも「絵だ」程度の感嘆は得られるかもしれないし,具象的描写があれば「何が書かれているか」の表象は理解できるだろうから.
でも,書道に関して教養がない人間が顔真卿展に来るのは違うだろう,と.少なくとも,顔真卿展に来ている書道ガチ勢が,静かに展示を見るのを邪魔する権利は無教養な人間にはないはずだ!(激怒)
しかし,本当に,あーいう奴らってなんなんだろうと思うよね.美術館でも,博物館でも,どこにでも現れるあの生き物たち.
絵でも書でも化石でもなんでもいいんだけれど,それらについて教養が全くないし,現れた展においても学ぶ気もない,そういう行為に彼らを駆り立てるものがなんなのか,本当に,純粋に興味がある.単純に,順当に興味があって来る人の観覧の邪魔をすることが趣味とかなんじゃなかろうか?
自分も博物館に勤めた経験があるので,アレが金を落とすということは知っている.知っているが,貴重な資料や芸術作品をリスクにさらしてまで,本当に,あんなバカどもの金が欲しいのか,と,そういうことを考えてしまう.
まぁ,この辺は,私が,若い人以外に向けたアウトリーチに否定的だからという部分もあるのだけれど,本当に,一考すべき問題だと思っている.
まぁ,絵画展なら,まだわかる部分もある(それでもクソうざいけれど).教養がない人でも,意味がわからない人でも「絵だ」程度の感嘆は得られるかもしれないし,具象的描写があれば「何が書かれているか」の表象は理解できるだろうから.
でも,書道に関して教養がない人間が顔真卿展に来るのは違うだろう,と.少なくとも,顔真卿展に来ている書道ガチ勢が,静かに展示を見るのを邪魔する権利は無教養な人間にはないはずだ!(激怒)
しかし,本当に,あーいう奴らってなんなんだろうと思うよね.美術館でも,博物館でも,どこにでも現れるあの生き物たち.
絵でも書でも化石でもなんでもいいんだけれど,それらについて教養が全くないし,現れた展においても学ぶ気もない,そういう行為に彼らを駆り立てるものがなんなのか,本当に,純粋に興味がある.単純に,順当に興味があって来る人の観覧の邪魔をすることが趣味とかなんじゃなかろうか?
自分も博物館に勤めた経験があるので,アレが金を落とすということは知っている.知っているが,貴重な資料や芸術作品をリスクにさらしてまで,本当に,あんなバカどもの金が欲しいのか,と,そういうことを考えてしまう.
まぁ,この辺は,私が,若い人以外に向けたアウトリーチに否定的だからという部分もあるのだけれど,本当に,一考すべき問題だと思っている.
2019年2月8日金曜日
教養ってなに?
教養って何かといえば,僕は,結局,会話が成立するかどうかということだと思っている.会話の前提といってもいい.
古典の話で言えば,「春はあげぽよ」というギャグが面白いためには,枕草子を知っていて,その解釈をなんとなく知っていて,あけぼのとあげぽよがダジャレになっていることに気付けて……という前提となる知識が必要なように,教養の程度の違いは会話を破綻させる.
大人になると,徐々に,人は同質な集団のみとしか関わらなくなるので,なかなか認識できる機会はなくなるんだけれど,教養というバックボーンが大きく違う人と会話をする機会があると,あまりにも会話が成立しなくて驚くことになる.サイエンスの業界で,(それが適当なものであるかはともかく)サイエンスコミュニケーションというものがあるのは,科学者が(教養というレベルを超えて)専門的に過ぎるのを,どうにか義務教育レベルに伝達するためだ.そういう差が,教養のレベルでも生じる(落差は違うけれど).
例えば,少し前に,「三角関数は必修にいらない」みたいな話題がバズったことがあった(誰がきっかけだったか忘れたけれど).
ご存知の通り,三角関数ってかなり多くの仕事で「使われている」わけだけれど,それを教養として「知っている」かどうかで,上記のような議論になった際に会話ができなくなって,議論が成立しなくなってしまう.実際,上記のネタがバズった際に,そこかしこでそういう議論不調を見かけたものだ.この話で面白いのは,実際に三角関数に仕事で使うかどうかではなくて,「三角関数が非常に多くの分野に使われている」という教養を持っているかどうかが差をつけている,ということだ.
で,なんで教養の差が会話の不調を生むのかについては,また,別な機会で.
(教養が足りないと経験に依存するという話)
古典の話で言えば,「春はあげぽよ」というギャグが面白いためには,枕草子を知っていて,その解釈をなんとなく知っていて,あけぼのとあげぽよがダジャレになっていることに気付けて……という前提となる知識が必要なように,教養の程度の違いは会話を破綻させる.
大人になると,徐々に,人は同質な集団のみとしか関わらなくなるので,なかなか認識できる機会はなくなるんだけれど,教養というバックボーンが大きく違う人と会話をする機会があると,あまりにも会話が成立しなくて驚くことになる.サイエンスの業界で,(それが適当なものであるかはともかく)サイエンスコミュニケーションというものがあるのは,科学者が(教養というレベルを超えて)専門的に過ぎるのを,どうにか義務教育レベルに伝達するためだ.そういう差が,教養のレベルでも生じる(落差は違うけれど).
例えば,少し前に,「三角関数は必修にいらない」みたいな話題がバズったことがあった(誰がきっかけだったか忘れたけれど).
ご存知の通り,三角関数ってかなり多くの仕事で「使われている」わけだけれど,それを教養として「知っている」かどうかで,上記のような議論になった際に会話ができなくなって,議論が成立しなくなってしまう.実際,上記のネタがバズった際に,そこかしこでそういう議論不調を見かけたものだ.この話で面白いのは,実際に三角関数に仕事で使うかどうかではなくて,「三角関数が非常に多くの分野に使われている」という教養を持っているかどうかが差をつけている,ということだ.
で,なんで教養の差が会話の不調を生むのかについては,また,別な機会で.
(教養が足りないと経験に依存するという話)
2019年1月20日日曜日
センター試験といえば,みたいなのも書いておく?
……とはいえ,結構,過去にもこういう振り返りはしている気がするし,その時より,当時の記憶は不鮮明になっているから,今更な気はする.
……と思って,ブログとかを振り返ってみたけれど,意外とセンター試験だけの思い出って書いてなかった(むしろ,二次試験の時期に思い出話書いている率が高い).
センター試験は,千葉大の理学部棟で受けたんじゃなかったかと思うんだけれど,自分の前後,しばらく,自分と同じ名字の人がずらっと並んでいて,「ああ,あんまり自覚なかったけれど,自分の名字ってやっぱり多かったんだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えている(同級生の同性の人との間(名前の頭文字「け」と「た」の間)に何人も人がいたので,それなりに多かったのだろう).一応,全国順位で 10 位前後(調査によってブレがある)なので.
まぁ,よく聞く「高橋部屋」とか「佐藤部屋」ほどではないけれど.ちょっと,衝撃的だった.
ちなみに,私は,下の名前も珍しくないので,漢字まで含めた同姓同名が結構います.一時期,同じ研究室に名字かぶりの人と名前かぶりの人がそれぞれいたくらいだしね.
……というか,これ,センター試験の思い出話から随分とずれてるね.というか,本当に記憶がない.
……と思って,ブログとかを振り返ってみたけれど,意外とセンター試験だけの思い出って書いてなかった(むしろ,二次試験の時期に思い出話書いている率が高い).
センター試験は,千葉大の理学部棟で受けたんじゃなかったかと思うんだけれど,自分の前後,しばらく,自分と同じ名字の人がずらっと並んでいて,「ああ,あんまり自覚なかったけれど,自分の名字ってやっぱり多かったんだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えている(同級生の同性の人との間(名前の頭文字「け」と「た」の間)に何人も人がいたので,それなりに多かったのだろう).一応,全国順位で 10 位前後(調査によってブレがある)なので.
まぁ,よく聞く「高橋部屋」とか「佐藤部屋」ほどではないけれど.ちょっと,衝撃的だった.
ちなみに,私は,下の名前も珍しくないので,漢字まで含めた同姓同名が結構います.一時期,同じ研究室に名字かぶりの人と名前かぶりの人がそれぞれいたくらいだしね.
……というか,これ,センター試験の思い出話から随分とずれてるね.というか,本当に記憶がない.
2018年9月9日日曜日
転職のお知らせ(?)
……などと,偉そうにブログを書いている私の学会直前の Tweet をここで振り返ってみましょう.
16:57 - 2018年9月2日
来週,某学会が開催されるはずなんだけれど,まったく当日に関する指示が回ってこないんだけれど,本当に大丈夫なのかしら?
17:02 - 2018年9月2日
(実行委員の偉い人が,昨年大会が台風によって中日中止になった件をみて,昨年大会よりは問題は起こらないだろうとか言っていたけれど,まさにその台風が大会中にやってきそうなんですが)
17:03 - 2018年9月2日
中日中止になったら(なんの準備もできていない)私の発表が吹っ飛ぶので,中止になってくれても構わないんですが
……正直,事前準備の段階からあまりにグダグダだったので,昨年大会(台風で 1 日中止)よりひどい状況になって,運営責任者の責任問題に発展すればいいのに,と思っていましたが,この願いが天に届いた結果が,今回の災害につながったのだとしたら,誠に申し訳なく思うとともに,地質学者を廃業して拝み屋稼業をはじめたいと思っております.
2015年6月23日火曜日
札幌最古の地層の続報の続報
これとこれの続きというか,付記.
先日,回収してきた薄別層の岩石を,岩石カッターでぶった切ってみたら,砂岩の層内変形やら,未固結時の小規模な泥岩注入やら,無数の微小断層やら,パッと見の整然層っぽい見た目(参考: https://sites.google.com/site/ver301/Home/toy-box/short-notes/geo01 )とは印象がガラッと変わってしまった.
やっぱり,こいつも付加体だったのだな…….
--
切断面の写真は気が向いたら,どこかに載せるかも?
先日,回収してきた薄別層の岩石を,岩石カッターでぶった切ってみたら,砂岩の層内変形やら,未固結時の小規模な泥岩注入やら,無数の微小断層やら,パッと見の整然層っぽい見た目(参考: https://sites.google.com/site/ver301/Home/toy-box/short-notes/geo01 )とは印象がガラッと変わってしまった.
やっぱり,こいつも付加体だったのだな…….
--
切断面の写真は気が向いたら,どこかに載せるかも?
2015年5月10日日曜日
世代間格差
これの補足.
僕の世代は,生まれた頃から CM ソングでも,挿入歌でもなんでも,とにかく身の回りにビートルズの曲が溢れていた.これは,そういうものを選ぶ権利がある立場に僕の親よりひとまわりくらい上の,ビートルズ直撃世代が多かったせいだと言われているし,実際,そうだったんだと思う.そんな背景もあって,僕と同世代〜少し上の世代は,1960 年代の直撃世代に次ぐくらい '60 年代のロックにシンパシーを抱く人が多い気がする.
その後,1990 年代後半くらいから Queen や Derek and the Dominos や Led Zeppelin, Deep purple なんかの 1970 年代以降の音楽が徐々に増えてきて,2000 年代に入ると年代で音楽をくくるのが難しくなったのか, '80〜'90 年代の雑多な音楽〜以前から頻繁に使われている古い楽曲が使われることが多くなっているようなので,選曲権を持つ人の世代は順調に移り変わっているのだろう.
僕の世代は,生まれた頃から CM ソングでも,挿入歌でもなんでも,とにかく身の回りにビートルズの曲が溢れていた.これは,そういうものを選ぶ権利がある立場に僕の親よりひとまわりくらい上の,ビートルズ直撃世代が多かったせいだと言われているし,実際,そうだったんだと思う.そんな背景もあって,僕と同世代〜少し上の世代は,1960 年代の直撃世代に次ぐくらい '60 年代のロックにシンパシーを抱く人が多い気がする.
その後,1990 年代後半くらいから Queen や Derek and the Dominos や Led Zeppelin, Deep purple なんかの 1970 年代以降の音楽が徐々に増えてきて,2000 年代に入ると年代で音楽をくくるのが難しくなったのか, '80〜'90 年代の雑多な音楽〜以前から頻繁に使われている古い楽曲が使われることが多くなっているようなので,選曲権を持つ人の世代は順調に移り変わっているのだろう.
2014年8月11日月曜日
イメージを食って生きている
まだ,書こうと思っていることが上手くまとまっていないのでこっち.
--
何かを生み出すとか,表現するとかには経験が大事だと多くの人は考えているし,それは,当然,生み出したものに付随する付加価値として意味がある.だから,著名な創作者の多くは,「若いうちに色々な経験をしろ」とか,そういった類いの言葉を残している.しかし,一方で,例えば藤子・F・不二雄先生の言葉の様に「経験をしていない人の生み出すものが見たい(うろ覚えなのでニュアンスで)」という類いの発言も色々ある.いつだったか,宇多田ヒカルが「『First Love』を書いたときには恋なんてしたことなかったよ」的な発言をしたというのも見たことがある.
下世話な話をすれば,人を殺したことのある作家や演技者や視聴者や読者なんてほとんど居ないのにも関わらず,それを表現したり,その表現に共感したり感動したりすることも出来るし,逆に上手く表現できなかったり,それを見て下手だと感じることも出来る,ということだろう.
例えば,表現のなかで演技に焦点を絞る.
演技には,大きく分けてふたつほど大きな潮流がある.ひとつはシェークスピアを頂点とするイギリス演劇の,いわば,如何に素晴らしく脚本を読み上げるのか,という考え方.もうひとつは,いわゆるメソッド演技だ(※).もちろん,もっと細かい分類は出来るし,亜流は無数に存在する(例えば,日本映画の演技っていうのは,世界の演技の潮流の中ではかなり特殊な部類だし,もっと分かりやすいのでいえば,インド映画の演技なんて斜め上の方向に天元突破しているのは見たことのある人なら分かるだろう).
(※)いわゆる演技力とかいわれるのは大抵こっち.概念を説明するのは難しいけれど,役者が役に「なりきって」感情を発露するという考え方.「リアリティー」と言ってもいいけど,やや違って,演技をもって観客を「納得させる」表現をとるということ.例えば,泣きわめいている人間がセリフを発話できるのはおかしいから,セリフを明瞭に言わない,みたいな.ただ,この考え方は役者の精神的な負担が大きくて,色々問題があるとか言われているし,実際に,死者も出している(最近だと,ヒース・レジャーの自殺なんかもこれが遠因だといわれている).
イギリス演劇系の演技とメソッド演技は,一般に,対立とまではいわないけれど,別の方法論だとは思われている.でも,実際,どちらかの演技を極めたような役者は,もう片方の方法論にたっても「上手い」ことが多く,結局,演技(表現)の目指すところは同じだといえる.
じゃあ,その目指すところというのがなにか,ということなんだけれど,それは見る人間のなかの「絶対多数のイメージ」なのだろう.もちろん,何かの演技(表現)と同じ経験をした人もいるし,演技(表現)者がそれを経験したことがある場合もあるだろうけれど(ごく日常的なものであればそれも多いだろう),ぶっ飛んだ,さっきの例を引くなら殺人のような,ほとんどの人が経験したことのない事象を演じる(表現する)ためには,「イメージ」に沿わなければ,それが上手いとは思われない.例えば,リアリティーを極めるために殺人犯にたくさん取材をしたところで,観客の「イメージするリアリティー」とズレていれば,上手い表現とは思われないだろうということ.
僕が分かるところでいえば,「天才」の表現なんかが当てはまる.僕は,ガチの「天才」といえるような滅茶苦茶に頭のいい人を見たことがあるので,「天才」を表現しているものを見てもピンと来ないことが多いけれど(要はちっとも天才には見えない),そんな表現でも評価されているところをみると,多くの人のイメージする「天才」像はこうなんだろうな,と思う.逆に僕が知っている「天才」を役者に表現してもらっても,誰の共感も得られなくて,下手と感じられるんではないだろうかと.
客はイメージを食う生き物である.
だから,客層に合わせて,同じものを表すのに複数の表現が存在するのであるから,逆にいうと,表現者は客層のイメージに合わせて表現しないと売れるものは作れない.よって,漫画家を表現するときには付けペンに墨汁が必須なのだろう.QED.
--
何かを生み出すとか,表現するとかには経験が大事だと多くの人は考えているし,それは,当然,生み出したものに付随する付加価値として意味がある.だから,著名な創作者の多くは,「若いうちに色々な経験をしろ」とか,そういった類いの言葉を残している.しかし,一方で,例えば藤子・F・不二雄先生の言葉の様に「経験をしていない人の生み出すものが見たい(うろ覚えなのでニュアンスで)」という類いの発言も色々ある.いつだったか,宇多田ヒカルが「『First Love』を書いたときには恋なんてしたことなかったよ」的な発言をしたというのも見たことがある.
下世話な話をすれば,人を殺したことのある作家や演技者や視聴者や読者なんてほとんど居ないのにも関わらず,それを表現したり,その表現に共感したり感動したりすることも出来るし,逆に上手く表現できなかったり,それを見て下手だと感じることも出来る,ということだろう.
例えば,表現のなかで演技に焦点を絞る.
演技には,大きく分けてふたつほど大きな潮流がある.ひとつはシェークスピアを頂点とするイギリス演劇の,いわば,如何に素晴らしく脚本を読み上げるのか,という考え方.もうひとつは,いわゆるメソッド演技だ(※).もちろん,もっと細かい分類は出来るし,亜流は無数に存在する(例えば,日本映画の演技っていうのは,世界の演技の潮流の中ではかなり特殊な部類だし,もっと分かりやすいのでいえば,インド映画の演技なんて斜め上の方向に天元突破しているのは見たことのある人なら分かるだろう).
(※)いわゆる演技力とかいわれるのは大抵こっち.概念を説明するのは難しいけれど,役者が役に「なりきって」感情を発露するという考え方.「リアリティー」と言ってもいいけど,やや違って,演技をもって観客を「納得させる」表現をとるということ.例えば,泣きわめいている人間がセリフを発話できるのはおかしいから,セリフを明瞭に言わない,みたいな.ただ,この考え方は役者の精神的な負担が大きくて,色々問題があるとか言われているし,実際に,死者も出している(最近だと,ヒース・レジャーの自殺なんかもこれが遠因だといわれている).
イギリス演劇系の演技とメソッド演技は,一般に,対立とまではいわないけれど,別の方法論だとは思われている.でも,実際,どちらかの演技を極めたような役者は,もう片方の方法論にたっても「上手い」ことが多く,結局,演技(表現)の目指すところは同じだといえる.
じゃあ,その目指すところというのがなにか,ということなんだけれど,それは見る人間のなかの「絶対多数のイメージ」なのだろう.もちろん,何かの演技(表現)と同じ経験をした人もいるし,演技(表現)者がそれを経験したことがある場合もあるだろうけれど(ごく日常的なものであればそれも多いだろう),ぶっ飛んだ,さっきの例を引くなら殺人のような,ほとんどの人が経験したことのない事象を演じる(表現する)ためには,「イメージ」に沿わなければ,それが上手いとは思われない.例えば,リアリティーを極めるために殺人犯にたくさん取材をしたところで,観客の「イメージするリアリティー」とズレていれば,上手い表現とは思われないだろうということ.
僕が分かるところでいえば,「天才」の表現なんかが当てはまる.僕は,ガチの「天才」といえるような滅茶苦茶に頭のいい人を見たことがあるので,「天才」を表現しているものを見てもピンと来ないことが多いけれど(要はちっとも天才には見えない),そんな表現でも評価されているところをみると,多くの人のイメージする「天才」像はこうなんだろうな,と思う.逆に僕が知っている「天才」を役者に表現してもらっても,誰の共感も得られなくて,下手と感じられるんではないだろうかと.
客はイメージを食う生き物である.
だから,客層に合わせて,同じものを表すのに複数の表現が存在するのであるから,逆にいうと,表現者は客層のイメージに合わせて表現しないと売れるものは作れない.よって,漫画家を表現するときには付けペンに墨汁が必須なのだろう.QED.
登録:
投稿 (Atom)