2018年9月9日日曜日

7 年ぶり 2 回目の話

9/6 未明に発生した平成 30 年胆振東部地震に札幌市内で巻き込まれたブログ主がこちらです.震災と呼ばれる規模の地震に被害の中心地近くで巻き込まれるのは 7 年ぶり 2 回目です.自宅は,札幌市内でもわりと早く電気が復活したので(9/7 未明頃?3 時に起きた時に通電を確認),現時点では,全くもって被害がなく,すでに日常感が溢れていますが,とりあえず「生きていますよ」という報告です.

記録というか備忘のために私の経験した出来事を時系列を残しておきましょう.半分以上,地質学会批判です(笑).これでも,だいぶ批判はマイルドにしたよ.

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9/6 未明(3:00 頃):強烈な揺れで目覚める.とりあえず,寝所の両脇にあるものを抑えながら揺れが収まるのを待つ.揺れながら,「長いな.震度は 5 強〜6 弱かな.このくらいなら大したことないな」と思っていたが,この辺は,前震災の余震地獄で培った感覚.すぐに気象庁サイトで規模を確認したら,震度予想はドンピシャだった.

気象庁やら USGS やらのサイトで震源を確認し,「石狩東縁にしては深いな,1年くらい前にもこの辺のこの深さで揺れたな」ということを考える.そんなこんなの簡易的な情報収集をしているころ,揺れの 10〜20 分くらいあとに,(なんの前触れもなく)急に停電になって,「あれ?」と思う.地震による停電は,前回,経験済みなので,それと比べて違和感があった.とはいえ,夜中の 3 時に起きていても仕方がないので就寝(余震があろうが眠れるのも前回の震災で培った能力.嫁はろくに眠れなかったらしい).

9/6 6:30 頃.普段通り目覚める.停電から回復していないことを確認.うちは運良く,電気のみ不通の状態で,水は水圧分配なので無事,火についてはカセットコンロやらキャンプ用のガスストーブやらがゴロゴロしているのでいくらでも使えるという状況でした.

ラジコで NHK AM を確認すると,震源付近の斜面災害と全道停電という,想像以上に大きい被害状況を知る.と同時に,「今回の地質学会は飛んだな(確信)」と思う(9/5〜9/7 の日程で,地質学会の 125 周年記念大会が北大にて開催中でした).

とはいえ,本当に学会が飛んだか確認しないといけないので(ホスト側の実行委員の一人だったし,その日の午前に講演予定だったし),8:00 前に会場に「中止を確認に」行く.

会場について,今回の仕切りをやっている先生に「今日は当然中止ですよね?」と聞いたら,「午前 8:00 に停電が復帰しなければ午前中止.11:00 時点で復帰していなければ午後も中止.ポスターは貼っていてもいいことにする.電気が復帰すれば学会はできるでしょ?」などと,間の抜けた回答が帰ってきたので,思わず「(この状況で危機感がないとか)馬鹿ですか?」と返答してしまう.付き合いきれんと思いつつ,8:00 で停電継続,午前中止を確認してから,職場に移動する(講演予定があったので,一応,中止が確定するまではクソ茶番に付き合ったよ!).学会の連中は,地質災害の真っ只中で,地質学者が集まってワイワイしていたら,世の中にどう思われるのか理解できないのか,と.

職場に着くと,とりあえず,所員の安否確認とか,緊急調査の会議とか,現状被害の情報収集とか始まっていて,「当然だけれど,まぁ,地質関係機関として,これが正常な反応だよな……」と学会の対応が情けなくなる.

……その一方で,電気が来ていないので車庫から業務車が出せない(シャッターが手動で動かない),予備電源用のガソリン発電機のうち 2 台が整備不良で動かないという,情けない状況も発生(発電機が 1 台は動いたので,とりあえず,最低限の電源は確保できていたけれど).

諸々ありつつ,とりあえず,市内の被害状況(液状化など)を調査するチームが出ることになり,その第 2 班に選ばれたので,昼前くらいからマイカーで清田周辺の被災状況調査に出る(その辺の打ち合わせなどをしているうちに,学会は午後も中止,ポスターは貼っていいという状況になっていたらしい.どーでもえーわ).

そんなわけで,17:00 くらいまで,市内を緊急調査.液状化(噴砂,マンホールの浮上など),地割れ,建物の破断などの状況を調査.ニュースで取り上げられているいちばんひどい場所には,我々の班は行かなかった.

調査中,学会で来ていた師匠,元指導教官殿から安否を含め連絡があるが,「こういう状況なので対応できない」旨を伝えると,「そりゃそうだな.頑張れ」という反応だったので,この人たちはマトモな感覚だった,よかった,と思う.

帰庁時点で,学会がまだ完全中止になっていなくて「本当に阿呆だな」と思いつつ.いまだに職場の電源が復帰していないので,調査データをまとめるすべもないので,帰還命令がでる(電子管理ってこういう状況だと全然ダメね)

この時点で,停電の長期化が懸念されていたので,出遅れたものの,過度にはならない程度に備蓄食料などを確保する(もう,だいぶ出遅れていたけれど,会社が休みだった嫁が買った分と合わせて数日耐えられるだけのものは確保).

この時間くらいから電波塔の非常電源が切れ始めたのか,自宅周辺は携帯の電波が失われていたので,携帯の電源維持のため機内モードに移行(携帯の充電は,職場でできることになっていたけれど,一応,保守の意味も込めて).

帰宅中に八軒,琴似エリアの電気が一部回復していたことを確認していたので,このエリアに非常時連絡やら,物品の買い足しやらで外出(19:00〜20:30 頃).ついでに,師匠と元指導教官殿の状況等を電話で確認.

帰宅中,電気がない世界を歩くと,星がよく見えて,しばし見上げる.ふと周りを見渡すと,道行く人の多くが,なにかを諦めたような顔で,ものすごく綺麗な星空を見上げている,という状況.わかるよ.空を見上げるくらいしか,心が平穏を保てる瞬間はないのだよね.そういえば,震災下の仙台でも,こういう光景はみたな,と思い出す.

帰宅後,夕飯を食って,就寝(21:30 頃).

9/7 未明(3:00 過ぎ).ふと目覚める.外を見ると,自宅マンションの真下の信号がついているのに気付く.もしかしてと思い,自室のブレーカーを on にすると,通電(後でわかったけれど,札幌市内でも相当早い復帰だった模様.マンションの裏手に病院があるから?).

6:00 起床.学会が此の期に及んで,まだ中止を決めあぐねているのをみて,本当にどうしようもないな,と思いつつ,出勤準備.

8:00 一応,学会が中止になっていることを確認しに会場に寄る.当然,全行事の完全中止.元指導教官殿と少し会話し,昼頃に元指導教官殿と数名を空港に送ることを頼まれる.

出勤.前日と状況はあまり変わらず.前日は,緊急調査だったので(防災関連部署ではない)自分も調査に出たが,今日についてはお役御免だったので,所内の被害状況の調査など.

10:30〜 元指導教官殿ほか 3 名の送迎.ガソリンスタンドに並ぶ列などで猛烈な渋滞が発生している状況や,市内の交通状況を把握.前日の調査時よりは信号の復帰率が高かったけれど,幹線道路を通っているにも関わらず,3〜4 割程度しか信号は点いていない印象.ちなみに北大〜新千歳空港の往復で 3 時間以上かかった(高速は混んでいなかったが,市内と新千歳空港の乗降口の渋滞がひどかった).

車内で,「こんな状況で,ポスターセッションだけはやるとか馬鹿な提案をしたのは誰だ?」とか「意思決定が遅すぎた」という話をしていたのが,「え?この人がそれを把握していないのはどういうことなの?」という立場の人だったので,学会運営上の意思決定がメチャクチャだったのだということを実感.もちろん,口の悪い元指導教官殿にその旨突っ込まれていた.

14:00 頃に職場に復帰すると,庁内が通電していたので,前日の調査結果のまとめなど.その後,特にやることもなかったので,今回の地震のメカニズムの話とか,厚真の地すべりの話とかを上の人と一頻り議論.

18:00 前頃に帰宅.

なんか疲れていたので,その日から営業していた近所の馴染みの定食屋(断じてジャンヌではない)で,夕飯.定食屋のおばちゃん(近所在住)と雑談.

その時点で,自宅のインフラは完全な状態だったので,余震には気を付けつつも,自分の中で,日常宣言をだして,今回の震災は自分の中で終焉.もちろん,仕事上は,これから色々忙しくなるんだけれど,土日はゆっくりしようと思いつつ就寝(23:00 頃).

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雑感として,今回の災害は,典型的な政治的人災だなと思っています.それは,不用意にベースロード電源の完全停止をしていたこととか,行政がエネルギー源の一極集中を放置していたこととか(石狩新港発電所の件は立場的に一般人の数億倍よく知っているので,指摘(と書いてクソリプと読む)等はいりません!),札幌市,ひいては北海道の地質災害に対する認識の甘さとか,市民の認識不足とか(この辺は道民の地質リテラシー向上の一角を担う我々の敗北でもある),(地震災害が多い地域の都市と比べて)札幌市の都市機構の脆弱さとか,そういうものを引っ括めた点からの総合的な結論です.少なくとも,震源近く以外で発生した状況は,この規模の地震程度で起こっていい事態ではなかったと確信しています.

私も,道の公的機関で,(諸々の紆余曲折がありつつ)「地域エネルギー」を冠する役職にいる人間ですので,今回の事態は手痛い反省材料になったと自覚しつつ,仕事に反映していきたいと(ちゃんと本心で)思っております.

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