2019年2月8日金曜日

教養ってなに?

教養って何かといえば,僕は,結局,会話が成立するかどうかということだと思っている.会話の前提といってもいい.

古典の話で言えば,「春はあげぽよ」というギャグが面白いためには,枕草子を知っていて,その解釈をなんとなく知っていて,あけぼのとあげぽよがダジャレになっていることに気付けて……という前提となる知識が必要なように,教養の程度の違いは会話を破綻させる.

大人になると,徐々に,人は同質な集団のみとしか関わらなくなるので,なかなか認識できる機会はなくなるんだけれど,教養というバックボーンが大きく違う人と会話をする機会があると,あまりにも会話が成立しなくて驚くことになる.サイエンスの業界で,(それが適当なものであるかはともかく)サイエンスコミュニケーションというものがあるのは,科学者が(教養というレベルを超えて)専門的に過ぎるのを,どうにか義務教育レベルに伝達するためだ.そういう差が,教養のレベルでも生じる(落差は違うけれど).

例えば,少し前に,「三角関数は必修にいらない」みたいな話題がバズったことがあった(誰がきっかけだったか忘れたけれど).

ご存知の通り,三角関数ってかなり多くの仕事で「使われている」わけだけれど,それを教養として「知っている」かどうかで,上記のような議論になった際に会話ができなくなって,議論が成立しなくなってしまう.実際,上記のネタがバズった際に,そこかしこでそういう議論不調を見かけたものだ.この話で面白いのは,実際に三角関数に仕事で使うかどうかではなくて,「三角関数が非常に多くの分野に使われている」という教養を持っているかどうかが差をつけている,ということだ.

で,なんで教養の差が会話の不調を生むのかについては,また,別な機会で.
(教養が足りないと経験に依存するという話)

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