2019年1月19日土曜日

どろろ

手塚の,ブームに踊らされて書いた自称・大失敗作が,今期の天下を取ったら,それは面白いことだと思う.

2019年1月14日月曜日

元号

ついでで言っておくと,個人的には,元号を意地でも(実用面でも)続けるという態度は嫌いじゃない.ただし,過去にたった 4 回しかやっていない「一世一元」という伝統(笑)にこだわるとか言っている人は滅んで欲しい.というか,とっとと決めて発表しろ.

公的書類とか,いろんな場で,西暦と元号が両方とも使われるのは,確かに不便で面倒なんだ.ただ,不便だし,面倒臭いんだけれど,その面倒くささを感じられるという感覚を利便性の名の下に失いたくはないんだよね.

この感覚がおかしいとは思いたくない

新元号の話題.平和な世を願うということなんだろうし,その願い自体を元号に込めるというのは否定する気はないけれど,平和を願うから元号を「平和」にしようという安直さというか,気持ち悪さというか,頭の悪さというかは,決して,認めるわけにはいかない.

最近気づいたこと

メモは便利.

自慢ではないけれど昔から記憶力はいいので,人から言われたこととかあんまり忘れることがなかったので,メモとか真面目にとっていなかったし,仮にとっていたとしても,見返すことはほぼなかった(機械の操作ノウハウとか,実験の手法とか,重要な案件は別ね).

ところが,30 も過ぎてくると,自慢の(?)記憶力も寄る年波に勝てず……というか,思い出す体力がなくなってきたというか,見返す前提のちゃんとしたメモをするようになったし,見返すことも増えた.そういうわけで,便利さを痛感している.

2019年1月12日土曜日

耳をすませば

……は,恋愛の話ではなくて,思春期に普遍的にある自己実現へのもがきの話であり,ものをつくるということの悲鳴のようなものだと思っている.だから名作.

ぶっちゃけ,恋愛部分って,イケメンが美少女と出会った,という以上のものではないわけで.

年が変わりました

年が変わりましたが,私は何も変わりません.

2018年11月28日水曜日

長さ

最近,時々,手塚漫画を読み直すことがある.そのたびに思うのが,とにかく「短い!」ということ.

いい悪いの話ではなくて,とにかく,手塚漫画って短い.後期,「ひだまりの樹」あたりは,わりとだらーんと間延びしている感はあるけれど,それでも,あれ KC サイズの 10 巻くらいでしょ?

「火の鳥」なんて,改めて読み返すと,各編が短すぎてビックリする.本当に短い.頭の中に残っているかつての記憶の 1/5〜1/10 くらいのイメージ.昔,浦沢直樹がアトムの中編を,脳内で勝手に付け足していたストーリーを交える形でリメイクしたりしていたけれど,そんな感覚に近いかもしれない.

それに比べて,今の漫画のなんと長いことか.長いことがすなわち悪いという話ではないんだけれど,「本当にその長さは必要なのかい?」とは思う.あげつらうわけではないけれど,20 年近く連載している少年漫画,というかぼかさず書くけど,ONE PIECE なんて,その長さに意味あるのと言いたくなる(誰が継続して読むのよ,と).

長編を書くより中編,中編を書くより短編を書くのが難しい,とはよく聞く言説だけれど,結局のところ,エッセンスを編集するという能力が現代人から欠落してきているんじゃないのか,と思う.だだらに続くアニメやドラマと,2 時間の映画の対比とか,近似できる気がする.

たぶん,その背景に,記録媒体の変化とか,視聴環境の変化とか,諸々絡んでいるだろうし,これに絡んで(書きながら),いわゆる「日常系」とか「美少女動物園」的なアニメとかに関する論も思いついてしまったのだけれど(長くだらだら書いてもいいという感覚と,永続的に続いて欲しいという感覚の相関とか諸々),どんどん長くなるので,この辺は,いずれどこかに書くかも.

思考のクリップとして,とりあえず,ここに書き散らしておく.