2016年4月13日水曜日

この支配からの卒業からの卒業

ニコニコ動画が高校を作ったとかなんとか.そして,そこに多数の若者が集ったそうな.

別に,それ自体はどうでもいいし,高校なんて自分には全く縁のない世界なので,そこに通う生徒も,作った人達も頑張ってくださいってだけの話なんだけれど,ニュースそのものに強烈な違和感がある.その高校のウリは自由であることだそうで,学生の個性を尊重して,学生のやりたいことをやりたいようにやってもらうことだそうな(普通じゃないこと云々は壮大なギャグだとして).まぁ,実際どうなるかは知らないけれど,言葉自体は魅力的なものだし,(既に大人になってしまった人間としては)若者の自己実現を応援してやりたいという気持ちも分からないわけではないのだ.

しかし,ひとつだけ気になるのが,通っている生徒は,「大人が用意した自由という名前の箱」に入ることに,抵抗とか違和感とかがないのかということだ.

いや,大人が用意した箱ということにだけ心理的な抵抗を感じて意味のない無駄な反発をするよりも,セッティングされた環境を享受して利用し尽くす生き方のほうがクレバーなのかもしれないけどさ.

ひとつだけ言えるのは,別にその高校に行くことが自由を保障するんじゃなくて,結局,自分が自分に対して自由かどうかが自分の人生に自由を感じられるかどうかの全てなのだということ.場や箱が重要ではないなんて,大人になった僕には言えないけれど,場や箱が如何に用意されていても,結局は,自己実現の問題なので,逆に,恵まれた環境を用意されているからこそ,自分を見失わずに生きられるかどうかが強く問われるんじゃないかと思ったり.

少なくとも僕は,やりたいことしかやらずに自由に生きてこれたけれど(自分の能力が足りなくて諦めたことは多少あるけれど),それは結局,僕にそれを許すだけの能力があったからだというだけのこと.環境や運が大事じゃないとは絶対に言えないけれど,そもそもの能力は前提なのだ.

まぁ,今の若者にとっての大人って敵や嫌悪すべき支配の象徴とかじゃないのかもしれないという事実に,おっさんは驚いてしまったよ,と要約できるだけのことなのかもしれない.そういう意味で,社会は多分,尾崎から卒業してしまったのだろう.というか,尾崎たちが大人になったというか.

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