2016年3月11日金曜日

人間の感覚(笑)

囲碁でトッププロがコンピューターに負けたという話.

囲碁は,ゲームのかなり早い段階で人間の脳でロジカルに考えられる範囲を超えて,感覚の世界に入るからこそ,それは人間にしか理解できない云々という話を聞いたことがある.この話を聞いて,なんというか,人間の感覚というものをまるで天啓か何かのように考えているようで,「お前は何を言っているんだ?」としか思えなかったし,脳という貧弱な計算機の限界を「感覚」なんて言葉でごまかしていることが,結局,考えの及ぶ範囲の定石と棋譜のうえで有利になった経験則の積み重ねに過ぎず,計算量がものすごい小さい,むしろ,生物の脳の貧弱さの象徴じゃないかと思っていた(多くの人は,これこそが人間の脳の優位性だとか思っていたようだけれど).

今回,コンピュータの打った棋譜が,人間のトッププロに理解できない場面が多々あった上で,かつ,人間が完敗したという事実は,感覚というのが過去の棋譜の上で明文化されていない経験則の積み重ねに過ぎないということを喝破したので非常に痛快だった.これは,素晴らしい成果だと思う.

今回のコンピュータの思考プログラムは,決して,最適解だとは思わないが(ニュースを読みかじっただけなので,どういうロジックで思考の分岐の枝を端折ったのかもよくわかっていないレベルです),特定のロジックに則って,(もしかしたらファジーな部分もあるのかもしれないけれど)計算が追尾可能な状態で生み出された,「人間に理解できない」手が存在するということが非常に面白い.

むかし,分類ということに関して似たようなことを考えたことがあって,三次元形態モデルを大量にぶち込んだうえで,非常に単純な志向性をもたせた分類プログラムを組んだら,どのくらい人間の感覚に基づく分類と乖離するか,という思考実験をしたことがあった.このとき,コンピュータの吐き出した分類が,人間が「感覚」で作った自然分類とどう変わるかというところに,分類 "学" の先が見えてくるんじゃないかという話とかいろいろ考えていた(し,今も考えている)んだけれど,まぁ,それはまた別の話.長くなるし.

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