私は,昭和末期に生まれた世代で,物心は昭和のうちについている世代です.具体的に言うと,S.58 年生.ちょうど,いま,中年の入り口にさしかかっている年代と言えます.
世代としてくくると,私たちは社会がめちゃくちゃだった昭和末期から平成初期に基本的な人格形成がなされてしまった世代なわけです.この世代の経験した時代は,社会の変遷もめまぐるしいものでした(特に,PC 関連と IT 関連と通信技術).たぶん,我々の世代が,デジタルネイティブではない,唯一,成長とともにデジタル化されていった世代であると言えるでしょう.
で,実は,いわゆるデジタル云々じゃないところもそうだよね,という話.
私たちの世代は,基本的な人格形成が済んだ後になって,はじめて西欧的な感覚による political correct,多様性への寛容,機会均等,男女同権,ジェンダー論……etc. を学んだ世代になっていると思います.たぶん,私たちより上の世代(親世代)は,こんなものを学んだことはないし,私たちより下の世代(子供世代)は,人格形成期にはこういうことを少しずつ学んでいる世代になると思う(ただし,デジタルディバイドよりも遥かに緩やかだから,完全にネイティブに上記のような社会的価値観を身につけられる世代は,いままさに生まれているくらいの世代だと思うけれど).
そんな宙ぶらりん世代の私たちは,親世代や老害政治家のとんでも発言には嫌悪感を覚えるが,男女の性差と社会的ジェンダーの区別みたいなことは体感的にできない.頭を使えばできるけれど,感覚的ではない,という感じ.
例えば,トイレの男女表記が青赤になっていることに違和感を覚えられるだろうか?(まぁ,男女の赤青は日本においてはピクトグラム化しているし,男が青(黒)で女が赤というのもよく根拠が分からない色分けではあるんだけれど.ハレの着物の色とかが起源なのかな?)
例えば,男の子が木に登っている時にはなにも思わないのに,女の子が木に登っていると「危ない」と感じてしまったことはないだろうか?(成長を考えると,子供世代だったら女子のほうが成長早いはずなんだから,本来は,逆の注意をするべき)
(要は,ジレットの CM みたいな話ね)
そういう意味で,いま,自分たちの子供世代が続々と生まれている世界で,私たちは,コロコロと老害への道を転がり始めていると感じる.
0 件のコメント:
コメントを投稿