2014年7月5日土曜日

その選考に意味があるのかどうかは無意味

就職活動云々に関する論評を見ていて常日頃感じていた違和感の正体が分かった.

現在の就職活動で行われている茶番がどーだこーだという議論が生じるのは分かるし,選考する側が自社にとって出来る限りいい買い物をしたいという気持ちもわかるし,選考される側が何を評価されているのかわからなくて煩悶する気持ちも分かる.端から眺めていて,それぞれの部分にある問題点は色々思いつくし,現在進行形でそれを変えていこうという運動があることも知っているし,それぞれの言い分も理解できるんだけど,なんだかピンと来なかった.

結局は,ある一定の基準,それは学力であり,経歴であり,面接の簡単な会話程度でわかるような程度の人柄という曖昧な基準であっても,そういう基準を満たしている限り,少なくとも新卒からそれに近い若い人間を採用する段階であれば,その後の長い職業期間において,その職務の範囲を超えた差なんてでないことが経験上分かっている限り,どんな過程であっても選別が行われて,人材が各種分野に分散されていれば,本質的に選考の方法になんて意味がないのだと言える.ある程度若くて,ある程度の能力があれば(これは職種によって基準が違うだろうけれど),一定の訓練で職業人になれるわけだから,そこに選別の過程すら本当はいらなくて,就活者に番号を振ってランダムに各社に振り分けたって社会はそんなに変わらないと思う(就活者の不満に目をつぶればね).

だから,就活はトレンドをリードする会社が時代にあったものを提供して,それにバカみたいに就活者が追従して,なんだか難しいカタカナ言葉で「我が社独自の基準」をもって,なんとなく選別していれば機能していて,それでなんの問題もないのだ.あとは,就活に挑む人間の気の持ちようの問題.

……だけど,20 代そこそこの人間のもつ人生の展望なんて,職業人生が終わる 60 代の自分に比べて薄っぺらいものだと思うけどね.

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