2019年1月27日日曜日

手書きの文章とワープロ打ちの文章

オカルト的な話であることは否定しない.

……が,手書きで書かれる文章とワープロ打ちで書かれた文章には違いがあると思う.これは,どちらが優れているとか,そういう話ではなくて,例えば,喋り言葉と書き言葉に違いがあるようなものだ.

手書きの言葉と,ワープロ打ちの言葉の違いは確実に存在していると思うけれど,この違いが万人に共通する”かたち”で現れるわけではなくて,個人の資質によって規制される部分が大きいというところが,この論をオカルト化していると思う.

たぶん,「直接,漢字を書く」ことと「変換する」こと,思考の速度と文章を「書く速度」と「打つ速度」の差異,修正の簡易さの問題など,明らかに自分の生理的な呼吸との間に違う行為が挟まれているので,差が生まれる理由は,存在している気がする.あと,漢字を勝手に変換してくれるから,ワープロ打ちの方が難しい言葉を使いがちになるよね(自分だけの症状かもしれないけれど).

例えば,手書きで書いた草稿をワープロに打ちなおすとき,それを強く感じる.私の場合は,ワープロ打ちだと一文が長くなる傾向が著しい.手書きだと,長い文章の整合性が取れないし,たぶん,書いているうちに思考が息切れする.

そう考えると,手書き時代に長いのに美しい文章を書いていた堀辰雄ってすげえな.

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