2015年5月14日木曜日

メモあれこれ

若者がメモを取らずに携帯でパシャパシャ写真を撮って済ますことについて沸き起こった議論に関する話.あまりにも下らなすぎて,実際,どういう議論が巻き起こったかもよくは知らないのだけれど.

メモが,白紙と鉛筆だけで生成されるものなんていう思い込み自体が,その人の無能を証明しているような思い込みなんだけれど,とはいえ,それと同時に,話題の発端となっている「いまどきの若者(一般名詞)」が,携帯で撮った写真や説明コメントなどを駆使した自分だけのオリジナルマニュアル的なものを即時に生成するほど素晴らしい有能な人間であるとも思えないので,もうちょっとだけ.

メモって,基本的にあとでそれをもとに必要事項を再構築するためのものであるとともに,できる限り簡便に作成するものでもあると思う.じっくり時間をかけて,図表写真を駆使して,内容を詳述しているものは,もはや,マニュアルだ(そんなもんは即時に作れるわけがない).そういう意味で,詳細な描画や引き写しが必要な時に,そんな作業を白紙と鉛筆でするくらいなら,写真を駆使することはメモの手段として妥当であるのは当然として,同時に,白紙に鉛筆で要点やコメントや図表やスケッチをマルチに走り書きするのも,もっとも簡便なメモ作成手法なのだ.いかにタブレット型 PC が一般化して,便利なアプリがたくさんリリースされたところで,直感的に即時的にメモする時に簡便なのは,まだ,しばらくは白紙(タブレットの手書きメモアプリを含む)と鉛筆だと思う.

要は,適切な手段をいかに選択するのかという問題で,手法に関する問題ではない.写真でもなんでも使いたいものを使ってくれていいけれど,要点を見出してメモに落とし込む方法を訓練することの方がよっぽど重要.

僕の話を聞きながら,メモをする後輩を眺めている時に,紙と鉛筆を使っていたって見当はずれのことを書きなぐっている,なんてことは多々あったので,本当に,そこを訓練する方が手法なんかよりもよっぽど大事.そして,それは手法に付随する要素ではなくて(紙と鉛筆を使えば鍛えられるなんて S [そんな] O [オカルト] A [ありえません]),当人の脳みそと経験値の問題なのです.

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